3-10 狙われた男

 電車の中の見知らぬ人々の怪訝な視線の中、互いに目を合わせることができなかった。目の中に黒い影が出没することを知った以上、目を見ることができなくなってしまった。


 おおたかの森に到着。おおたかの森ショッピングセンター内の映画館に向かう間も目を合わせることはなかった。移動することに、避難することに必死だった。目は合わせられないけれど相手がいるのは確かめたい、一人ぼっちでないことを確かめたい、手を繋ぐのは二人にとっては自然な流れだった。


 ええと、映画は何を見たか。高畑は浦に任せるがままチケットを購入して、浦の後をついていって映写室に入った。エンターテイメント小説の実写化だったと思う。高畑は読んだことのない、しかしタイトルだけは聞いたことのある、そんな作品だった。


 高畑は内容をよく見ていなかった。高畑が視聴していたのは浦だった。部屋全体が暗転してスクリーンに光が灯るわけだが、浦の手が高畑に伸びてきたのはこの時だった。


 映像の明かりの中で右手側の席を見てみれば、浦が高畑の方を見ていた。


「暗いからこうさせて」


 浦は顔を寄せて囁きかけた。辛うじて顔が見えるぐらいの暗さの中、心細さが出てしまったらしい。高畑がうなずきで答えると、不安をにじませていた顔にふっと微笑みをたたえて、そうしてから背もたれに体を預けたのだ。


 映画の本編が始まるよりも前に浦は目を閉じてしまっていた。穏やかな音色の呼吸は本編が始まっても変わらなかった。スクリーンの向こうで俳優が最初のセリフを口にした時もそのままだった。


 電車の中で互いを見つめた時の様子を思い出した。目の下の血色の悪さ。ドトールで見た乱れようからすれば、車内で聞いた話から想像すれば、昨日からずっと黒い影の恐怖に怯えていたのは察しがつくものだった。


 高畑が一緒にいるから安心したのだろう。程よく暗い環境と睡眠不足も相まって寝息を立ててしまっていた。


 彼女の寝顔の穏やかさといったら。


 日中屋外のとても明るいシーンが映し出されても反応しなかった。スクリーンに照らされたまぶたは時たまピクリと痙攣するように動いた。まぶたの奥の眼球が動いていなくて、それほどまでに熟睡していた。


 彼女の寝息を聞いていているうちに、穏やかな寝顔を眺めているうちに、いつしかエンドロールが流れていた。スクリーンが真っ暗になったかと思えば映写室に明かりが灯り、観客が席を後にしていった。


 浦はなお寝息を立てていた。


 叩き起こしてしまうのはなんだか悪く思えて、自然に目を開けるのを待っていたが、ほかの客が全員いなくなってからも目覚めなかったからしょうがなく肩を叩けば、ぱっと目を開けてあたりを見回すのだ。


「私、もしかして寝てたの?」


「ずっと寝てたよ、本編始まる前から」


「ああそうなんだ、いつの間に寝ちゃったのね。しかし、手を掴んだ後から記憶がないんだけど、ああ寝ちゃう、って記憶もない」


「よっぽど疲れてたんでしょ。昨日は寝れてないんじゃ」


「ん、まあね。昨日のことがあったから」


 映画館のロビーに出てきたところでスマートフォンの電源を入れたら十件以上の着信があった。石田というワードに石田拓朗を連想して背筋が凍ったけれども、隣に記された『孝之』が安堵させた。ごく数分前にも着信があったらしい。


 浦のスマートフォンにちょうど着信があって、横目に画面を見てみれば石田孝之からの電話だった。ロビーの壁際に寄りながら電話を受ける浦は、時折相槌を打ちながら、


「私はおおたかの森です。高畑も一緒です」


と状況を話していた。


「何かあったの」


 スマートフォンを耳から離す浦に問いかけてみる。


「石田先輩もやられたって。今から柏の葉キャンパスに来れないかって」


「やられたって、拓朗に?」


「多分そういうことだと思う。行かない理由はないから『はい』って言っちゃったけど、大丈夫だよね」


「いいけど、また電車に乗るわけで、それは大丈夫なの?」


「目を見なければ何とかなるはず」


 ロビーを後にしてそのまま駅に向かう。映画館の暗がりにいたから気づかなかったが、外はすっかり夕焼けに染まっていた。電車の中も茜色に染まっていた。


 今回は改札外の待ち合わせスペースに石田孝之が腰掛けていて、改札を出る二人を見るなり立ち上がった。合流するなり向かいのマクドナルドに移動して、例のごとく石田が注文している間に手頃なテーブルを探した。


 石田が持ってきたのはコーラ三つだけだった。


「二人は大丈夫だったか? 昨日からなにかおかしなことは」


「黒い影が」


「やっぱりそっちにも行っていたか」


 石田がコーラを吸えば、懐からトレーに何かを取り出した。


 ライム色をベースにして、ヒンジのところが黒色の端末、ニンテンドーDSだった。しかしニンテンドーDSにあるまじき点はむき出しになった基盤だった。プラスチックのボディには棒を突き立ててぐりぐりかき回したかのような穴が穿たれていた。穴は緑色の基盤にも開いていて、DSを開けてみれば、上の画面にも穴が到達していて、液晶も使い物にならなくなっていた。


「ららぽーとのトイレでやられた」


「黒い影、ですか」


「ああ、トイレで手を洗っていて、ふと鏡を見たら黒い影がそこにいたんだ。気がついた時には鏡から黒い腕が伸びていて、手にはナイフが握りしめられていてだな。ようは刺されたわけだ」


「大丈夫なんですか、怪我とか病院とかは」


「服はこの通り切られてしまったが、こいつのおかげで怪我はしてない。まあ、DSは使い物にならなくなってしまったわけだが」


 石田が話す調子はいつもと変わらない調子だった。 


「もしかしたらやられていたかもしれない」


「たかさんは殺されかけたっていうのにすごく落ち着いていますね」


「俺も不思議なんだよな。命が狙われているのは分かってるんだが、何だろう、場数を踏みすぎたのかもしれない」


「どれだけ修羅場をくぐり抜けてるんですか」


 石田孝之は対してにやにやとしながら後頭部をかくばかりだった。死を意識しなければならない程の状況に何度も陥ることは想像できなかった。だから先輩の静かな表情の奥にはただならぬものを感じるのである。


 石田がストローをくわえた。


「で、状況を整理するとだな。境界の扉は旧校舎で条件を満たすと出現する。どこに出現するのかは不明、ただ俺は図書室に扉が出るんだと考えてる。理由は簡単、拓朗がいたのは図書室だったから。あいつが最後にいた場所にこそ扉があったと思う。で、拓朗は死んだ。あのあと拓朗からLINEは来ているか?」


「来ました」


「となれば、可能性は二つ。拓朗の精神はまだ存在していて、何らかのアクションを続けている。もう一つは、拓朗は完全に死んでいて、誰かがなりすましている」


 さらりと恐ろしい可能性を口にする石田孝之だが、平然とした顔をしたままだった。このタイミングで突きつけられた新しい可能性に高畑も浦も固まってしまった。途端に脳裏を駆け巡るのは『殺人』というワードだった。『行方不明』から始まって、『奇妙』な出来事が続き、石田拓朗の『死』が分かり、『殺人』犯が拓朗になりすましている可能性。


「殺人ってことですか」


「ただの殺人では片付けられない。前者の場合は精神を閉じ込めた存在が必要になる。拓朗自身なのか、別の何かか、全く答えが見えない。ただ、これをはっきりさせなければ境界の扉を終わらせることはできないんだ」


 言っていることがいよいよ分からなくなった。精神を閉じ込める存在なんてどこから出てくる考えなのか。孝之の勘が導き出したものなのか。とにかく、石田孝之の論は高畑には理解できない内容だった。次に打たなければならない手が見えない。


 石田拓朗を見つけ出すため、彼の痕跡を追ってきた。


 石田拓朗がいなくなった今、誰を追えばよいのだろうか。

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