2-11オーガを倒した冒険者の話
カラオケボックスで盛り上がっている中、高畑と浦のスマートフォンが一斉に鳴り始めて、地震速報かあるいは別の速報であるかのように思えた。
二人して何事かと見てゆけば、学校からのメールだった。浦は件名だけみて興味がなくなったらしい、歌を歌うのに戻ってゆく。高畑は一方で浦の歌声をバックにメールの本文を読んだ。
その結果が一夜明けた後の体育館に集合する全校生徒だった。急遽集合するよう連絡が回されていたのだった。詳細は不明、とにかく集まって欲しい、そういった連絡だった。どういうわけだか、通学路沿いには見たこともない人がカメラを持った人と連れ立って何かを狙っていた。
「生徒の皆さんには残念なお知らせをしなければなりません」
校長の言葉から始まった全校集会。つるつるハゲが一方的に話す内容をまとめて一つの議題にするとすれば、『柔道部部長の変死』だった。
曰く、柔道部の屈強な部長が変死体で発見荒れた。
曰く、警察はすでに状況をおさえていて、捜査を始めているから心配しなくてよい。
曰く、石田拓朗の件もあり、マスコミがインタビューを持ちかけてくることも予想される。これには応じないように。報道機関に対しては教育委員会を通じて生徒への接触をしないよう要望している。
曰く、夏休み中の外出はなるべく控えて欲しい。部活などのために登下校する場合はなるべく集団で移動すること。
全校生徒を集めて告げられた内容はそれだけだった。質問などは各クラスのホームルームで受け付けるとの旨で集会は終了する。全校集会の前は夏休みからいつもの学校に戻されたことに不満たらたらだった生徒たちであったが、体育館から出てゆく生徒たちには不満よりも戸惑いの感情が強かったように見えた。一部の生徒は状況を理解できていない様子だったが、ほとんどは隣と言葉を交わすことすらためらっていた。
各々がそれぞれの教室についた後でも鉛色の雰囲気は色濃く残っていた。大声でしゃべるKYはとうとういなくなって、少しばかりのひそひそ話が散見される程度だった。スマートフォンをいじっていたり机の木目を見下ろしていたりしていた。早く帰りたい、この場から去りたいという気持ちが先走ってしまったのだろう、机上にバッグを置いて、持ち手をずっと持っている生徒もいた。
担任が入ってくるなり質問を受け付けるが、手を上げる人は誰もいなかった。教室のみならず、学校全体にのしかかる居心地の悪さが皆を黙らせた。
担任も早々にホームルームを終わらせれば、静かに、しかし足早に教室を後にしてゆく。高畑も浦も人の流れに乗って教室を出るが、すぐに道を外した。
口裏を合わせていたわけではないが、二人揃って同じ足並みで廊下を歩む。教室が並ぶ教室棟から教科特化の教室などが入る特別棟への連絡通路。すれ違う人はいなかった。
連絡通路の行き当たり、そこを左に曲がれば図書室がある。戸を開けて、図書部が活動する場所に歩み寄り、二学年が使っている机に座る。さも当たり前のように、これから部活動が始まるかというように。
当然のように、三年生のところには石田孝之がすでに座っていた。
図書室には三人以外誰もいなかった。司書教諭も出払っていた。全校集会の重苦しさをそのままと図書室に持ち込んで、数百人で受け止めていた苦しさをたった三人で受け止めていた。
理由もなく集まった、しかし高畑には告白をしなければならないのではないか、という思いに押しつぶされかけていた。サキュバス討伐、オーガ討伐。浦の向こう側に石田がいる。石田はきっとこのことを知らない。
「あの」
それから話を終えるまでの間、なんだか記憶が曖昧だった。高畑は何かしゃべっていることは自覚していたものの、石田拓朗とのやり取りについてしゃべっていることは自覚していたものの、どういった口ぶりで話をしたのかは漫然としていて、話したそばから思い出せなくなってしまった。
話を終えて高畑が頭を抱えてうずくまっているのを見て、初めて高畑は下を見ながら打ち明け話をしたことに気付いた。どこで頭を抱え始めたのかは知る由がなかった。ただその事実だけに意味があった。
「そうか、そんなことがあったんだ」
石田の言葉はひどく沈み込んでいた。太い管からちょろちょろと水が流れるような、太くも弱い声だった。抱え込んでしまって顔をうかがいい見ることは全くできなかったが、暗く影になっている雰囲気が石田の感情を物語っているように感じられた。
「ほかには」
「ええと、どこまで話しましたっけ」
「昨日オークを倒したと拓朗が言っていた、と」
「ならば、サキュバスを倒しそこねた話を」
石田は定位置から立ち上がって高畑たちの座る机の隅にやって来る。石田の顔に光があたったにもかかわらず、深く影がかかっているように見えた。抱えている感情を表に出さないよう努めているようだったが、それでもにじみ出る苦痛はかき消すことはできなかった。
短い距離であるはずなのに中々椅子にたどり着かなかった。ほかの机に腰をぶつけながらやって来るところ、見た目以上に体が言うことを聞いていないらしかった。辛うじて動いているような、ふらふらとしながら歩くのだった。
石田が腰を下ろすのを待つ。
肘をついて、拳であご先を支えた。
「続けてくれ」
高畑は促されるままに話をした。石田とサキュバス討伐の顛末について。はっきりと意識を保ったまま、時々石田の様子を見ながらその振る舞いを確かめながら。
兄の聞きっぷりは落ち着いているように見えた。高畑はサキュバスの件を聞いても感情を変える様子はなかった。そもそも石田がやってきたところで最低な感情をしていたのだからそれ以上悪くなることはなかったか。高畑の言葉には相槌すらせずひたすらに聞くだけだった。
高橋の話は済んでもなお口を開かなかった。石田はが見せるのは目をつぶることぐらいだった。ちらり浦へと視線を向ければ、手の甲を思いっきりつねって真っ赤にしていた。怒りがぶり返してしまったに違いなかった。
次の言葉は何を話せばよいのか。高畑の中にはすでに話すべき事柄は何もなくて、あるとすれば学校を後にすることぐらいだが、しかし学校からの知らせを守ればこの三人で帰宅しなければならない。帰宅するときも淀んだ空気が包み込むと考えると嫌で嫌で仕方がない。どうにかして避けられないか。余計なことを考えている。
石田が目を開いた。
「境界の扉だ」
開口一番の言葉に浦が振り向いた。
「拓朗が境界の扉の向こう側で動き始めて、その影響が出てきているのかもしれない」
「言っている意味が分からないんですが」
「拓朗の言葉を借りれば、討伐をしているってことだ。境界の扉の向こう側、拓朗の世界でモンスターを狩っているわけだ。それが現実に伝播して似たようなことが起きる」
「傷害とか殺人ですか」
「現実としてはそういった形で現れる。拓朗はそのことを知らない。あくまでモンスターを倒した、という意識しかない」
石田が口にする言葉は調子こそ変わらないが、意味する事の恐ろしさは凄まじかった。石田拓朗はモンスター狩りの感覚で人に害を与えるのだ。人を殺す感覚はないが、実際には人を殺しているという。
石田孝之はどういう感覚で話しているのだろうか。極限な状況な内容をどう考えているのだろうか。空想や仮定の世界ではない。現実に起きている物事として分析した結果として話をしている。
「そんなの現実的じゃないです」
浦が口を開くのは考えてもいなかった。弟への怒りをつねる痛みで紛らわせていたはずだったのが、いつしか別の感情も積み上がってしまったらしい。手の甲で怒りを紛らわせながらも異議を唱えたのだ。
「どうして境界の扉の向こうで起きたことが現実になるんですか。私は理解できないです」
「境界の扉は人智を超えた存在なんだ。普通の常識が通用しないものだ。常識を捨ててものを考えないと」
「それよりも石田がこのあたりで隠れていることを考えるべきじゃないんですか。どこかに身を潜めて手をかけているんです」
「拓朗はそんなことができるほど度胸があるやつじゃない」
「そういう話じゃないですよ。私には異世界にいるなんて考えている時点でおかしいんです。信用なんてできません。おかしい人の考えなんて知らないです」
「前澤に対して手をかける理由はあるか? 柔道部の部長に至っては面識があるか? どうやって手をかけるんだよ」
「だからおかしいんですって。おかしい人は自分が知ってる知らない関係ないでしょ」
「そもそも出会いがないだろ」
「明ちゃんは図書部だし、部長の顔なんてそこら辺の掲示板に出てるんだから、やろうと思えばできないことはないでしょ」
「それこそ現実的じゃない」
石田と浦の言葉の打ち合いは思っていた以上に広がりを見せて、高畑は二人のやり取りを見守る試験官だった。冷静に主張を飲み込んでみれば、しっくり来るのは石田孝之の言だった。
LINEの向こう側にいる石田拓朗は無邪気な存在だった。いなくなる前の拓朗の言動を見れば正直な男である。おかしな言動を聞いたこがなかった。彼はおかしいわけではないと実感していた。だから浦の考えには違和感があった。石田拓朗が狂人であることを前提としているのが受け入れられなかった。
孝之の考えを採るにしても、浦の考えを採るにして、どう転んだって誰かが死ぬのは避けられない。直接なのか、伝播するのか。何かが起きるという点においては両者は同じだ。
次は誰を倒すのだろうか。
次は誰を手にかけるのだろうか。
起こりうる未来を考えると高畑の心から落ち着きが奪われる。思考は、想像は止まらない。続けたところで不毛極まりないのに、しかしほかにやり場がなくて、考えつづけるほかなかった。
次は誰だ。
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