3-8 ガラスの向こう側

 通報の連絡を受けてやってきた警官は彼らを前に顔をしかめた。


 現場を警官に任せた後、深田の車に乗り込むが、車内もまた死体が隠されているのではと思える臭いが充満していた。


 高校に着いて図書室に入れば、図書室にもあたかも死体が隠されているかのような錯覚に陥る。


 石田拓朗の遺体から離れても、服に染み付いてしまった臭いがその事実を否応なしに意識させてきた。窓際のテーブルに固まって扇風機の風を浴びて臭いを吹き飛ばそうとしても落ち着く様子がなかった。もちろん窓は全開だった。


 石田孝之はほとんど死んでいた。辛うじて図書部一行の行動についてきてはいたものの、まるで人格を奪われてガワだけになってしまったかのよう、感情も言葉もどこかに捨ててしまったらしかった。心配になった高畑が声をかけても全く反応しなかった。


 石田拓朗が死んだ。


 実物を目撃していない浦でさえ泣きかけていた。抱えている感情の使い方が分からないでいるのか、散々毛嫌いしていたはずの男がとっくのとうにいなくなっていたという事実に悲しんでいるのか、いないはずの男からメッセージが飛んでくることに怯えているのか。


 はたしてどれなのだろうか? 浦は一言も発さないでいるから高畑にはなぜ涙をにじませているのか分からなかった。少なくとも高畑は中に渦巻く感情を扱いあぐねていた。後輩が死んだということ。なのにLINEは生きていてやり取りをしていたこと。前澤を襲ったということ。どう見たってここ二日ぐらいで死んだわけがない腐敗具合。高畑の中でぐるぐるしている出来事が、同じ線上にあるはずなのに、全てがねじれて交わることを知らない。


 石田拓朗が死んでいた。


 高畑の視線の先にはスマートフォンが横たわっていた。画面こそ暗くなっているが、画面上部にあるインジケータが青く点滅を繰り返していた。何らかの通知が来ているのである。


 いったい何の通知か。


 高畑には見当がついていた。


 机の上でスマートフォンが跳ね上がる。短いバイブ音が鳴り響いたかと思えば画面に電源が入った。画面真ん中に表示されるのはLINEの新着メッセージ。


 石田拓朗がメッセージを送ってきた。


 内容を見る気になれなかった。ただただ画面が再び暗転するのを待つばかりだった。


「今のも、もしかして」


 浦の声は小さくて、辛うじて言葉として聞き取れる程度のもの。石田拓朗に対してはずっと厳しい目を向けていた彼女であっても、いざ最悪の結末を目の前にすると力をなくしてしまうのである。


 そこに輪をかけて、生きていない人からのLINEが浦を混乱させるのだ。


 ブブブ、と高畑のスマートフォンが知らせる。


 ポップアップした画面に映るのはやはり石田拓朗だった。高畑は画面をぼんやりと眺めるが、ほかは全く興味を示していなかった。または避けていた。


 高畑は机に突っ伏したままの姿でスマートフォンを自分のもとへ引きずった。顔のそばで起立させてトーク画面を出せば、


「え、ちょっとなんですかこれ」


「パイセン何をしたんですか」


「何でこんなに人が押し寄せてるんですか」


「この場所を教えましたか?」


「よく見たらみんな警察官じゃないですかいったい何事ですか」


と、旧校舎で起きていることを実況しているらしかった。旧校舎ではリアルタイムで警察が死体発見現場を調べているのだ。じき警察官が図書室にやってきて状況を聞く予定になっていた。


 高畑は石田の戸惑いを眺めるだけで既読スルーを決め込んだ。そもそもLINEの相手が石田拓朗であるはずがなかった。拓朗は腐敗していた。旧校舎いっぱいに異臭を振りまいて死んでいた。


 お前は誰だ。


 メッセージを送ることも考えたが、その言葉を発したら最後、後に戻ることができなくなってしまう気がして心で訴えるにとどめた。


 あるいは。


 石田孝之の言葉が脳裏に浮かぶ。テレビ速報のテロップを眺めているかのような感覚。精神と肉体。オカルトや超常現象では肉体と精神を分けて考えなければならない。体を見つけたところで、心が入っていなければそれは。


 石田の言っていたことそのままじゃないか。高畑の目は石田孝之へ移ろう。途中で目に入った浦の落ち着きのなさといったら。メッセージの着信がある度に気持ちが削ぎ落とされてしまっているのだ。


 石田兄は抜け殻のままに見えた。心が体から引き剥がされてどこかに行ってしまっているようにも見えた。兄も弟と同じように心をどこかに捨ておいてしまったようだった。


 一瞬、兄の目が左右に振れた。かと思えば、左側に黒目を寄せてはたと動きを止めるのである。


 抜け殻? 石田の動きは魂を抜けらた人形と言い表すには不自然だった。ようやくにして違和感に気付くのだ。


 左を見ていた目が突如正面へと戻った。


 何かに反応していた。何かを見ていた。石田の視界の先、高畑の背後にあるものといえば、当然ながら書架の中の本と、奥に窓ガラスのはずだった。石田が反応しているものが何なのか見当もつかなかった。


「振り返るな、見るな」


 後ろを振り返ろうとした高畑を止めるのは石田の声だった。絞りだされた声、スマートフォンのバイブ以外に音のないこの場ではまるで叫んでいるように聞こえた。重ねて、


「絶対に見ちゃダメだ」


と言葉を刺すのだ。


 石田の目と浦の目とを見比べた。石田が何かを見続けているのに対して、浦は高畑のスマートフォンを見下ろしたり、図書室の入口に振り返ったりした。あるいは、頭をだらんと垂らすのである。


 浦は石田に見えているものが見えていないのか。それとも見えているうえで『見えていないことに』しているのだろうか。


 確かなのは、浦は石田と同じ方を見ていなかったことである。

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