2-10 クエスト報酬

 打ち合わせを終えた浦が図書室に戻ってくるなり、


「甘いもの、甘いものを食べに行こう」


と高畑を急き立てた。彼の頭の中では書くべき内容がどんどんあふれ出てきて止まらないというのに、対する浦の振る舞いは強引そのものだった。キーを打つ手は止まらないというのに視界の隅をチラチラ見え隠れするのだ。波に乗っているところだったから書き進めたかったわけだが、見えたり見えなくなったりする浦のシルエットに少しでも気が向いてしまったら、大波が凪に成り下がってしまうのである。


 視野が狭くなるように意識を端末だけに向けて執筆を続けようとしたものの、一度認めた存在が視界の外にいると思ったら気になって仕方がない。


「手を止めて甘いもの食べに行こう」


 見えないところで訴えかける姿に高畑はしぶしぶ手を止めたのだった。


 で、甘いものをどこで食べようかという話となるわけだが、浦にはどうも目当ての店があるらしい。高畑の知らないところで話題となっているところがあるのだろうかと想像したが、しかしその名前はすぐ近くにあるファミレスだった。


「新しい限定メニューが始まってるらしいから、それ食べたいの」


 そうして目当ての栗とクリームチーズのパンケーキを高畑の前でぱくつく。クリームあんみつの寒天を黒蜜に絡めながら高畑は彼女の姿をぼんやりと眺めた。


 図書室での暴れっぷりからすればパンケーキを貪っておかわりを注文しかねない雰囲気だったものだったが、いざモンブランのように盛られた栗のクリームを少しすくい上げて口に含めば頬が溶けた。ナイフでパンケーキを切り取って、その上に栗のクリームとクリームチーズをつけて頬張れば声を漏らすのである。 


「気は済んだかい」


「だいぶマシになったかな。とりあえず付き合ってくれてありがとう」


 スイーツを食べるだけで機嫌がよくなるのなら安いものだった。石田拓朗という問題がずっと横たわっている中、慰みというか、気分転換になるものが必要だった。


 石田拓朗はここまでのウザい存在だったか。入部してから失踪するまでの姿を思い返してみる。よくも悪くも目立っていた石田先輩に比べれば極めて落ち着いていた。ことある度に相談の連絡をしてきているところ、いい後輩らしいことをしているなと思うこともあった。専門知識の殴り合いのようなことはなかったが、しかし、


「分かりました」


と素直に答えてくれるのは心地よかった。


「そうだ、もう少しで原稿があがりそうだから、そうしたら見てくれない?」


「随分と早い気がするけれど。去年のこの時期といったら、まだプロットができていないとかで英語の課題をこなしながら頭を抱えていたよね」


「少し前に神が降りてきた」


「で、どんな内容? 部活のネタ発表の時は新ジャンルを開拓する、なんて宣言してたが。ガンアクションだっけ」


「剣と銃と魔法とアクション」


「詰め込んできたな。ゲームみたいなイメージ」


「ゲームの実況動画を眺めていたらビビビってくるものがあって、考え始めたら神が降臨してだね、気付いたら物語が出来上がってた。後は書くだけ、みたいな感じ」


 高畑の前に出されたのは一冊のバインダーだった。あんにスプーンを突き刺して、その手でバインダーを取り上げてみれば、縦書きに印刷された言葉たちが並んでいた。


「まだ出来上がってはいないんだけど、物語自体は書ききっていて、あとは見直しをすれば終わりなんだ」


「すごい、早いね。俺なんてまだプロットも書き始めたばかりなのに」


「プロット? 高畑の今年のネタは技術書でしょ。今日だって図書室でそれっぽいものを書いていたじゃない」


「もちろん書いているよ。そっちは順調に進んでる。俺が言っているのはもう一つの創作。ホラーものを書こうかなって思ってるんだ」


「ええそうなの? 今年は二本出すって聞いてないよ」


「去年の七不思議でっち上げ企画を掘り下げたくて」


「なら誘ってくれてもいいのに」


「英語がアレだろうなと思って」


 高畑はバインダーを返すために少し腰を浮かせたが、その時懐のスマートフォンが体に密着した。本体と服とがこすれるのとは異なる、不自然な振動があるのに気付いた。


 一回の短いバイブ。


 わずかな震えが何を示すかの見当はついた。


 浮かせた腰を下ろすのとスマートフォンを開くのは同時だった。どのアプリに通知がついているものか。LINEのアイコンを探せば右上に数字のバッチがついていた。


 見当をつけていた通り、アプリを起動してみれば石田拓朗とのトークに未読マークがあった。


「オーガを倒しました」


 最初に目に入ったメッセージから力が抜けてしまう。非現実的なワードが高畑に先制攻撃を仕掛けた。異世界からの便りに返信する考えは高畑にはなくて、ひたすらに石田が話すに任せた。


「色魔を倒しそびれてしまったので、代わりに同じ難易度のオーガ討伐を受けたんですよ。街への貢献は大事ですからね」


「そのオーガてのが強くて強くて。腕っ節が強烈だし、移動する脚は速いし。多分戦車を相手に戦うのはこんな感覚かな、と思いました」


「聞くにオーガは近隣の街を襲ったり農作物をダメにしたりしていたみたいです。十体以上のオーガが集団行動しているものだから、そこら辺の賞金稼ぎには手に余る存在だったらしいです」


 関心のない異世界事情を垂れ流す石田に、戻ってくる方法を見つけたかどうか問いかけるのも面倒極まりなかった。


「おかげで思っていたよりもたくさん報酬がもらえたので、しばらく移動するのには困らないぐらいの余裕ができました。次はどこに行くか考えているところです。どこがいいですかね?」


 聞かれても知ったこっちゃない。気を利かせて、


「現実に行けよ」


なんて返せばよかったのだろうが、一線を超えかけている高畑には無理なことだった。アカウントのブロックをしてしまったほうが、と考える高畑を心の中の石田孝之が止めるのだ。石田拓朗とのつながりを断ってはならない。


「どうしたの、急に舌打ちなんかして。さっきからスマホばかり見てるけど」


 浦に指摘されて途端、高畑は呼吸するのを忘れた。いつ舌打ちをしたというのだろうか。心の中では血管が浮き上がってきそうな感覚はいくらでもあったが、肉体で何かをした覚えはなかった。とはいえ、メッセージへの不快感は相当なものだったから舌打ちぐらいしてもおかしくはなかった。


「石田からLINE。今度はクエストが成功したらしい」


「また石田かあ」


 浦を発狂させた本人。見るからに機嫌が傾いている。この場だって石田拓朗の残した不快感に汚された浦をきれいにするための場だ。その場にまで石田が現れたのだから浦の反応は当然だった。そりゃあげんなりするものである。


 しかし上向いていた調子と邪魔な存在がぶつかりあったがために化学反応が起きたらしかった。何かにぶつけたくなるような悪い気持ちも生まれなければ、パンケーキの美味しいことに騒ぐほどのこともなかった。ひたすらにとどまっていた。どちらとも揺れぬ感情の中に身を浸しているようだった。


「冷静に考えてみたんだけどさ」


 ポジティブなのかネガティブなのか分からない表情のまま浦が口にした。


「明ちゃんを襲った犯人て、結局よく分かってないんだよね」


「うん、そう。捜査はしているけれども今のところは手がかりなし」


「その裏でさあ、石田がサキュバス討伐をやっていたんだよねえ」


「そうだね」


「明ちゃんは一命をとりとめていると」


「どうした、何を考えてる?」


「もしさあ、明ちゃんを襲ったのが石田で、石田はそれをゲームのクエストみたいに話をしている、なんてことはないのかな」


「石田は行方不明なんだぞ」


「でも、もしかしたらこの近くに身を潜めてるかもしれないじゃない。ただ見つかってないだけで」


「仮にそうだとしてもだよ? そうだとしても、石田に前澤を襲う理由があるのか? そんなことがあったようには見えなかったぞ」


「だって自分のことをロールプレイング・ゲームみたいな世界の中にいるって言ってるんだよ? 普通じゃないじゃん」


 どっちともつかない表情が次第に目つきをきつくしてゆく。高畑には何となく分かった。言葉に感情がこもり始めていたところ、浦の中で感情のコントロールができなくなりつつあるのは見当がついた。


「図書室の時みたいに叫ぶのはダメだからな」


「でもおかしいよ、どうして行方不明だって心配してるってのに、本人はおかしいことを言っているし、明ちゃんは事件に巻き込まれるし。私には石田弟の言っていることは全然信用できないんだよ、だから隠れて明ちゃんを攻撃したようにしか思えない、またイライラしてきた」


 パンケーキを雑に切り取って口に放った。ほとんど噛み砕いていないまま言葉を放つから、言葉の端々が雑になっていた


「やっぱりカラオケも行きたい。早く食べて出るよ」


 一口で入るのか怪しいサイズのパンケーキを口に押し込んだ。

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