2-9 聴取
深田教諭が言っていた通り、翌日早朝から早速呼び出された。登校してみれば初めて見るスーツ姿の男が待っていて、手帳を見せるに警察官らしかった。
図書室の隣に図書準備室なる小部屋があり、そこにスーツと缶詰になった。深田も同席してはいたものの、ほぼ空気で、やり取りをしていたのは高畑と警察官だけだった。
警官は新しく手に入れたらしい話をして、高畑は昨日に制服と話をしていた内容を改めて説明する。ついさっき知ったばかりの人に対して事情を説明するのは、たとえ同じ内容であったとしても、気持ち的に疲れる。制服から話を聞けば大体のことは分かるだろうに。
だが、警官が石田拓朗の失踪に触れてきたのは予想していなかった。一通りの説明と質問のやり取りが済んだ後に、
「ところで、君の周りで行方が分かっていない子がいるね。今回被害にあった子との間に何か問題があったり、いつもと違うと思うところはあったかな」
と切り出したのである。
前澤の事件と石田の失踪。
その関連性について全くの考えがなかった高畑は問いかけられても答えを用意できなくて、しまいのところ考えるのも面倒になってしまって、
「分からないです」
と言うほかなかった。
早朝から始まった事情聴取が終わったのは、授業があるならば四時限目終了のチャイムが鳴る数分前といった時間だった。高畑はすぐに帰るつもりだった。図書館に置いた荷物を回収してそのまま昇降口から出て行けばよかった。
バッグを置いた六人がけのところで誰かがノートパソコンを広げていた。浦が学校に端末を持ち込んで作業している。珍しい光景だった。本を広げて調べものをしている姿を見かけることはよくあったが、端末を持ち込んでいるのは初めて見たかもしれなかった。
バッグのもとに高畑がたどり着いても、浦は画面から目を離さなかった。キーボードを打ち続けているところ、執筆しているようにしか見えなかった。ただ、わざわざ高畑が荷物を置いている机に陣取って作業をしているところ、何か思うところがあるのかしらと思うわけで、荷物を前に腰を下ろして、浦の気が散るのを待った。
キーを叩く音がはたと止まる。ややあってから深く息を吐いた。猫背気味になっていた上半身を伸ばせば互いを見合った。集中が切れた一瞬の、無抵抗な表情を捉えた。
高畑がいると認識するまでにいくばくかの時差があった。無表情のまま顔が赤くなってゆくかと思えば、ぱっと目をそらして端末を見下ろした。
「いるなら声をかけてくれてもいいのに」
「いや、だって集中してるみたいだから、声をかけるのも悪いなって思って」
「それでもかけてくれればよかったのに。待ってたんだよ?」
「でも、どうしてここで作業してる? 小説書いてるんだよね」
「いや、それがね。午前中は補習で、午後の二時から文化祭の参加団体の打ち合わせなの。家に帰るには中途半端だから、こうやってパソコン持ってきたの」
「夏休み中も打ち合わせで集合なんて凶悪だな」
「まあ、こんなものでしょ。でさあ、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
自らの端末の前から立ち上がると、浦は高畑の隣の椅子を引いた。座るときにうらのかおが高畑に近づく。ほんの少し浦の匂いがした。
「準備室で話しをしてたんだよね。何かその、明ちゃんのこととか言ってた?」
「手術は問題なく終わったって。しばらく入院すれば大丈夫だって」
「そっか、よかった。本当は先生から話を聞こうかと思ってたんだけど、事情聴取につきっきりだったみたいだから聞けなかったんだよね」
「ほかは、そうだなあ、事件として捜査を進めるってことぐらいかな」
警察が石田拓朗の件を気にしているのはあえて口にしなかった。
「じゃあ、二つ目。待合室で言ってたよね、石田から連絡があったって。詳しく教えてよ」
高畑の考えを先回りしているかのような浦の要求だった。待合スペースではまるで関心のなかった浦がこの時に及んで関心を示していた。赤かった顔も落ち着きを取り戻していた。
高畑は昨日の石田拓朗とのやり取りを見せた。直近二十件は高畑も初めて見た。新しい石田からのメッセージは魔物の押し付けをしてきた人間を見つけて二度とダンジョンに潜れない体にしてやったという内容だった。
虫唾が走る。
「石田がクエストに失敗した、って話」
「やっぱりそういう話なのね。戻ってくるとかそういう話はしたの? あ、いいや答えなくて。何なの石田はこんなこと言って。すごく腹立つんだけど」
高畑のスマートフォンで二人のやり取りを一つ一つスクロールして改めていた。一つ一つ石田の言葉を表示させる度に、浦の表情に嫌悪が積み重なってゆくのを感じ取った。
考えるのを諦めなければ、高畑もきっと同じ反応をして石田を責めたことだろう。殺意さえ湧くような言動は行方不明者と思えなかった。ちょっと本棚の向こう側に顔を向ければ、机の影にスマートフォンを隠しながら冗談を楽しんでいる可能性だって想像できた。
「サキュバスを討伐するクエストでもう少しで倒せたのに、見知らぬ冒険者にモンスターを押しつけられてクエスト失敗。腹いせに失敗した原因の冒険者の手足を切り落としてそのままダンジョンに放置した、と」
浦がスマートフォンを差し出した。それを受け取った高畑が見るのは彼女の暴発しかけている怒りの気持ちだった。苦虫を噛み潰した顔には更に苦虫がまとわりついているように感じられた。普段の浦の表情がどこにも見えなくなってしまっていた。いつ大量の虫を追い払おうと暴れまわるのか。
浦はおもむろに立ち上がれば机の間を歩き始めた。奥の書架に向けて歩いて行ったかと思えば、特段本を探すような素振りもなくて、すぐに戻ってきた。しかしすぐに回れ右して書架を目指した。
二往復しても足りなかったのか、三往復目の回れ右。
浦はどうしてしまったのだろうか。何をしたいのだろうか。
三往復から帰ってきた浦は次の往復には出発しなかったものの、代わりに椅子の背に手をついて寄りかかった。自らが歩いていた方向に顔を向けたり足元に視線を落としたり、かと思えば足踏みをしだしてその場にとどまっているのが我慢ならなくなっていた。
「ああ! もう!」
足元めがけて大声を上げた。図書室にはあるまじき音量、高畑は浦らしくない振る舞いに戸惑った。見たことのない姿を前に、高畑は言葉を見失ってしまったのだ。どう声をかければよいものか。何を投げかければよいものか。
肘を曲げ伸ばしして勢いをつけて背もたれから離れた。その瞬間に再び、
「ああもう! 何なの!」
と大音声を上げるのだった。
「アイツのせいでいらいらが止まらないんだけど、どうしたらいいのよ」
「まあまあ、図書室だから落ち着いて」
「どうして落ち着いていられるんだよ、なんであんな身勝手が放置されているの」
「一応石田は行方不明だし、その、まあ、そもそも何でLINEできてるんだろうね?」
「ああもういらいらが止まらない! 高畑、この後甘いものかカラオケ、付き合ってよ」
「この後って、浦は文化祭の打ち合わせだろう? まだ帰れないでしょ」
「だから待ってて。ちゃちゃっと終わらせてくるから。この後用事とかあるの? ないよね? ね? お願いだから」
選択肢らしい選択肢のない質問を投げつける浦に対して是と答えるほかなかった。高畑の同意を得たと知るやいなや、くるりと振り返って元いた端末の席に戻ってゆく。その間にも、
「こんなに嫌な気持ちになったのは初めてかもしれない」
と仰々しい声で嘆いた。
浦の荒れようは席についても続いた。いざ端末の前に座って、おそらく執筆を再開しようとしたのだろう、キーボードに手を置くまではよかった。指が微動だにしなかった。いくら高畑が彼女を観察していても動く素振りはなくて、浦の眉間にシワが寄るばかりだった。
キーボードから手をどかせばノートパソコンを畳むなり横に横にどかして、
「集中力切れたあ」
と机に突っ伏してしまった。
図書室に静けさが戻ってきた。何もかもやる気を奪われた浦は、もしかしたら眠りに入ってしまったかも知れなかった。帰ろうと思っていた高畑も帰ること帰ることかなわず図書室に取り残された。遠くからの甲高い打球音が尾を引いた。
高畑はバッグから端末を取り出した。立ち上がるのを確かめれば、帰宅してからやろうとしていた執筆を始めるのである。
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