1-7 相談と結論
プログラムの相談を受けてからというものの、石田の中で何かのハードルが下がったらしい。高畑にあてて連絡や相談が来るようになった。LINEの着信音が鳴らない日のほうが少なかった。
ある時は文献を調べるための方法の相談だった。ある時は、小さなツールを組みたいという考えだったのか、プログラムの書き方の相談だった。ある時は資料を文章に落とし込むためのコツについての相談だった。ある時は原稿全体の構成の相談だった。ある時は自主的な進捗報告だった。
期末テストまであと一週間というところになっても調子は衰えなかった。テスト勉強をしているかも怪しい石田の様子に問いかけてみても、
「原稿のほうが大事です」
と全く意に介さなかった。
「部誌の創作のために赤点を取るのは編集長として看過できないぞ」
脅しを加えたところで怯むような石田ではなかった。
期末テストがあるのは何も石田だけではない。高畑にも定期テストはあるし、クラスメイトである浦もまたテスト勉強の真っ最中だった。で、浦は浦で高畑にLINEの嵐をもたらすのである。石田とは異なり、教科で分からないことがあったらその瞬間に連絡が来る、というものである。
だから石田のメッセージに辟易した直後にメッセージが届いて、思いつく限りの文句を言ってやろうとメッセージ主を見ると浦だった、ということが幾度となく繰り返された。そして浦への勉強の手伝いをして、直前まであった石田との愚痴を投げて浦にたしなめられる、この流れが常だった。
「また石田から例の話の相談を受けたよ。勉強しろって言っているのに全く聞く耳を持たない」
「また石田の話? ほっといて無視すればいいって何度言えば」
「そうしたいのはやまやまだけど、既読スルーはちょっとあれだし」
「だから見なければいいし、そこを何とか回り道するのがプログラムなんじゃないの」
「やりようはあるだろうけどさ、たかが石田からのメッセージに対して既読通知させないようにするプログラムなんて作ったところで使い道ないし」
結局は誰しも、勉強をしろとは言いながらも、LINEなんか無視しろといいながらも、おしゃべりを繰り広げてしまうのである。
大丈夫、高畑はLINEをしながら勉強ができる口だからあまり被害はなかった。高畑はむしろ浦を心配するのである。一度スマートフォンを手にとって浦が高畑にメッセージを送れば、勉強に戻ればよいのに、アプリに手を出してしまうのだ。時間を忘れて、気がつけばまたメッセージが届いて、LINEの泥沼にハマってしまうのである。
高畑がどうして浦のLINE事情を知っているかといえば、中間テストの際にまんま同じ轍を踏んでいたからだった。
「浦こそ、ここで俺と話し込んでていいの? 英語がやばいんでしょ」
浦が既読スルーするのを確かめてから自分の勉強に戻るのだ。だが高畑が勉強を始めようとした途端にLINEの着信がやってくるのは何かの運命か何からしい。中途半端な状態になっていた数学の証明問題を取り組んでからLINEアプリの画面に戻るのだった。
着信の相手は石田だった。
「ちょっといい発見がありました」
更にはバンザイをするスタンプまでついていた。
「そうかい。別に俺に報告しなくてもいいんだけど」
「すみません、ですが、ちょっとこの発見を誰かしらに知らせたくてたまらない気持ちになってしまったものでしたから」
「試験勉強はどうした」
「二の次です」
「このやり取りさ、数分前にもしたよな」
「しました。でも僕の制作欲は止められないです」
「悪いことではないけれど、制作欲とやらなきゃいけないことのタスクコントロールは考えようか」
「分かりました。で、今回見つけたことなんですが」
まるで話を分かっていない石田だった。
「古い部誌を読み漁っていたのですが、するとですね、ずっと境界の扉について取り上げている人が何人かいたんですよ。三年間ずっと書いているんです」
誰かが聞いているわけではないのに、
「ほう」
と声を唸らせるのである。
深田から聞いた話であれば、扉を題材に何か書き物をすれば悲惨な結末が待っている。ちょっとした不幸というレベルではない。命に関わる結末。起きてほしくない『偶然』をくぐり抜けた人物ということだ。三年間書ききった、といえば大してすごさを感じないが、境界の扉を三年間書ききった、となれば話が違うのだ。
「どんなことが書いてあったんだい」
「まだちゃんとは読んでいないんです。作品を読み込んでいたら、『あれ、この人前にも境界の扉のことを取り上げていなかったっけ』と思って探したらその一年前の部誌にも境界の扉を取り上げていたんですよ」
「それまでは連続して書いている人はいなかった?」
「いなかったです。連続して境界の扉の話題が出ることはありましたが、同じ人が連続して境界の扉をネタに書いているというのは初めて見る傾向です」
「じゃあこのあとはその人の著作を読んで分析をするってところか」
「そうです、楽しみです」
「それをやる前にまず試験勉強な」
「大丈夫です、後でやりますから」
「いや今からとりかかれよ」
高畑はしばらく最後のメッセージとにらめっこをしていた。すぐさま既読マークがついていたメッセージに待てども待てども既読がつかなかった。石田はすでに聞く耳持たず、再三の忠告を無視して取材に勤む。高畑はスマートフォンを横に放った。しつこく浦に石田の動向を話そうかとも考えたが、浦が勉強に集中していることを願って、メッセージを送ることはしなかった。
部員の相手も一段落し、ようやく数学の勉強に戻れる頃合いになったが、どうも次の問題を解く気持ちがわかなかった。シャープペンシルを手にして左手にある練習問題を目で追った。にもかかわらず体は問題を読み込もうとしないし、準備させていた右手はいつしかペンを机に置いてしまうのである。
集中力が切れてしまった。
後頭部に両手をやりながらのけぞってみた。考えることを拒む頭でぼんやりと壁を眺めてみた。上半身を軽く前後に揺すって椅子がきしむのを感じ取る、なんて意味のないことを繰り返してみた。椅子の反発が幾分か凝った感じのある背中には気持ちがよかった。
ふと思い出したかのように姿勢を正して、高畑は勉強道具を隅に追いやった。センターに据えるのはキーボード。いくつかのキーを叩いてマウスをポチポチやれば、ウェブブラウザの画面にたどり着く。検索窓に打ち込むのは『境界の扉』だった。ふとネットでの情報を見てみたくなったのだった。
当然ながら、石田が探している情報はすぐには出てこなかった。出てくるのも大概がフェンスと扉に関する隣人トラブルばかりだった。そりゃそうだ、ネットで簡単に見つかるような話だったら高畑だって浦だって、図書部にいさえすれば耳にすることぐらいあるはずなのだ。
ちょっとした関心もすぐに冷めてしまい、再び関心を失った高畑に戻ってしまった。やるべきは勉強、しかし手につかなくて、自己暗示的に勉強をするよう強要しても、当の体は頑として受け入れなかった。目をつぶって、
「頼むから集中してくれないか」
と願ったところで無視するのである。
スマートフォンが震えた。着信だった。画面に表示されている名を見やれば、どうやら性懲りもなく再び連絡を寄越してきたようだった。
どうしてだ? と高畑は思った。LINEの画面が知らせるのはメッセージの到着ではなかった。無料通話の呼び出し画面だった。もっぱらテキストメッセージばかり送ってきていた石田が初めて無料通話をかけてくる、これはどういう風向きか。思いつくのは何かあった、ということぐらい。
嫌な予感を感じながら応答して、スマートフォンを耳に添えた。
「やりましたよパイセン」
「試験勉強はどうした?」
「それどころじゃないですよ。これは大発見です。こんなにうれしい気持ちになったのは久しぶりです」
言葉と言葉の間に荒い息遣いが聞こえた。耳に不快な音。マイクに息がかかっていることに気付いていないほどなのか、大きく呼吸をしなければならないほど酸素を求めているのか。
「扉への鍵です。境界の扉を開けるための鍵を見つけ出しました」
「鍵?」
「そうです、宇佐美という方が書いた著作をひも解きました。やはり毎年書いていたのは少しずつ扉にたどり着くための方法を隠しながらも記述するためだと」
「それが鍵ってわけかい」
「そうです。決まった手順を踏んで初めて境界の扉が開くんです。あとは扉を開ければ、その先には希望があるんです。パイセン待ってくださいね、これは話題作になりますよ」
「まさかお前、扉の先に行こうとしているのか」
「当たり前じゃないですか。それをしなくてどうしてルポなんですか」
「くれぐれも危ない真似をしないでくれよ」
「いいネタには危険がつきものです。僕は境界の扉を明らかにしてやるんです。そのためなら何だってしますし、明らかにできるはずです」
石田の激しい呼吸音は最後まで収まることはなかった。話すだけ話して一方的に通話を切られてしまう。どう考えているもいつもと同じ状態には思えなかった。ひどく興奮していた。鼻を鳴らして説明する姿がありありと浮かんだ。テキストではなくて無料通話を選んだことも不可解に思えた。
石田に対する疑問はじわりじわりと本を読んだあとの余韻のように残り続けた。試験勉強に手がつくわけがなく、高畑は背もたれに背中を預けて、腕を組んで考えを巡らせるのだった。
この数日後、石田拓朗は姿を消した。
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