2 図書部捜索チーム

2-1 学期末の図書部

 期末試験が終わって次は夏休みという楽しみを前にしてテンションが上がりながらも、それを水面下に抑えている、いつ弾けてもおかしくない様子だった。


 そんな生徒たちをたしなめるように待ち構えるのが期末テストのフィードバック。テストの結果が返されて、平均点だとか誰が一番得点したとか、どこの問題が間違えがちだったのか。点数の大小で一喜一憂する、夏休み前の最後のイベントである。


 しかし朝のショートホームルームの場で、図書部はそれよりも優先して図書室に集まれ、とクラス担任に告げられたのだった。


 招集のかかった部員を待っていたのは深田だった。いつも部活を行っているスペースで高畑たちを待っていた。すでに石田孝之はいつもの場所に座っていて、ずっと机の上の木目を見下ろしていた。高畑たちが来たことにも気付いていないのか、顔を上げる素振りもなかった。


 遅れて前澤が到着して少しあってからチャイムが鳴った。チャイムが鳴り止んで図書室が静寂を取り戻したのを確かめて深田が言った。とはいえ、短く、


「石田の弟が四日前から行方不明になった。警察が捜索しているが、今のところ手がかりらしい手がかりはない。図書部以外の生徒はこの話をまだ知らないから、今のうちは内密にすること」


とだけ。


 深田の言葉を聞いた高畑はごく自然なことのように思えた。LINEの連絡があれっきり一切なくてなんとなく察していた。石田は境界の扉を開ける鍵を見つけたのだ。警察沙汰になることも厭わない石田兄の血を受け継いでいるのであれば、目の前に鍵を渡されて開けないという選択肢はない。


 石田孝之は深田よりも先に知っているからだろう、話を聞いても無反応だった。ただ、


「もう数日返ってきていない」


とだけ。


 浦もまた、まるで知っていることであるかのように無反応だった。幾度となく高畑と交わしたやり取りが浦にも石田の末路を想像させていたのだろう。


 ただ一人、最も自然な態度を示すのは前澤だった。話を聞いた途端に口を抑えて不在の椅子に視線を向けて、それから深田の方を見て、そうしてから再び石田が座っていた席に視線を戻した。口を抑える手の指の隙間から、


「え、そんな」


とかすかな声が漏れるのを高畑は聞き逃さなかった。


 深田は二年生ズのテーブルに両手をついて、前かがみがちになりながらもその口を開いた。


「一応確認したいのだけど、みんなの中で何か知っている人はいる? 石田はいいとして、ほかは」


 高畑は心臓を射貫かれた感覚に体をこわばらせた。わざわざ二年生のテーブルに近づいて知っていることを白状してみないかと誘ってきた。高畑は深田からの視線が注がれているように思えた。深田が石田と高畑のやり取りをすでに知っているかのように思えてしまう。誰かの発言を待ってはいるが、結局はその狙いは高畑の告白なのではないか、と。


「俺は何も聞いてない。でかけたことは分かっていたが、それっきり帰ってこなかった」


 石田孝之の言葉が図書室に消えた。告白のあとは部屋中の圧が高まったように感じられる。さあ次はお前の番だ、お前の知っていることを、知ってしまったことを告白するのだ、姿のない誰かから迫られているような気さえした。


 浦と目があった。浦は高畑と石田のやり取りをおおむね知っている。揺らぐことなくまっすぐ見てきて、彼女ははっきりと高畑にメッセージを伝えているのである。口を閉ざしつつも、告白を迫ってきた。


「石田は『境界の扉の鍵』を見つけたと言っていました。ひどく興奮した様子で俺に連絡してきました。それで今日の失踪なので、もしかしたら」


 高畑の声もまた図書室の空気に消えた。図書部員は告白以外の言葉を発さずに口をつぐんだままだった。


 深田はなおも告白を待ち構える。図書部員を見渡してさらなる言葉を暗に求めた。無言の要求。まだ部員の白状には満足していないらしかった。


 石田が高畑の名を口にした。肩に重くのしかかる空気がより重みを増したように感じられた。


「いつからだ? いつから拓朗が境界の扉を調べていることを知っていた」


「五月頃です。ネタの相談は受けていました」


「俺は最初に諦めるよう部活の場で言ったはずだが、それでも拓朗はそれに取り組み続けたと」


「編集長として止める理由はありませんでしたから」


「どうして止めなかったんだ」


 圧のある声。兄の声は明らかに高畑を口撃した。投げつけられる言葉の裏に、お前のせいだ、と言わんばかりの気持ちがひしひしと伝わってくる。浦の向こう側にいる石田を高畑が見やれば、視線は変わらずテーブルを見下ろしているように見えた。


 刹那石田が顔を上げたその時の目は、編集長を刺し殺そうかと言わんばかりに殺気立っていた。怒りなのか恨みなのか、ひどい感情に染まったその顔は石田孝之のそれではなかった。三年生のテーブルに座っている存在は、悪霊の類のようにも思えた。


「編集長として境界の扉をネタにすることを拒否さえしていればこんなことにはならなかった。違うか?」


「違うも何も、俺は境界の扉が何なのか知りません。先輩はいかにも危ないものであるかのような物言いですが、俺には判断がつきません。それを『先輩がやめろというからダメ』というのは言えないですよ。むしろ、『何物か分からないのなら追求する』ことを推し進めるのが編集長として正しい姿だと思います」


 高畑は努めて冷静に、言葉を一つ一つ置いていった。相手を刺激しないために慎重な言葉選びをしているわけではない、一つ一つの言葉を打ち込み、相手を打ち負かすための言葉の投げ方。


 高畑は石田をやり包める方法だけを考えていた。高畑は石田を否定しなければならなかった。石田の言葉は単に弟が言うことを聞かなかったがための八つ当たりにしか思えなかった。


「何を言っているのか分かっているのか。お前が止めなかったから取り返しのつかないことになってしまったんだぞ」


「取り返しのつかないことというのは、今の話ですか」


「ああそうだとも。お前が止めなかったから拓朗は消えてしまった。あいつは自分の尻拭いができないやつだ。自分が何に首を突っ込んでいるか分かってないんだ」


「ならばどうして先輩が止めなかったんですか」


「止めた。毎日止めた。殴って止めた。でもあいつは止めなかった。だからこの結果になった」


 石田がなりふり構わず立ち上がってけたたましい音が響いた。椅子が吹き飛ばされて壁にぶつかったのだった。


 激しいやり取り、けたたましい椅子の衝突。立ち上がった石田に視線が集中するのは必然だった。


 視線を一つに集めた石田の顔、それは高畑がはじめ見た鋭い眼光とは全く異なる性質の顔だった。


 彼の目はどこを向いているのだろうか。激高して顔を真っ赤にするのは分かるが、焦点のあっていない目は何なのか。痙攣しているかのように黒目が泳いで安定しない。視線を落ち着ける先を見失っていた。


「俺が止められなかった、止められなかった」


 急に石田が口を抑えてその場を駆け出した。深田を半ば突き飛ばすような格好で走り抜けて、どうやら図書室の外に出て行ってしまったらしかった。


 気持ちの悪い沈黙が尾を引いた。図書部員とその顧問たちは石田の向かった先を呆然と眺めた。


 何となく分かっていた石田拓朗の神隠しには心の準備ができた。だが石田孝之の態度の急変には誰も追いつくことはできなかった。言葉を失う生徒、特に一番事情を知らない前澤は今にも泣いてしまいそうな表情だった。


 手を二回打つ音。


 深田が手を叩いて部員の目を集めれば口を開いた。


「石田拓朗の件については終業式の場で全校に通達される。その前に部員には予め知っておいて欲しかったからこの場を設けた。むやみに不安がらせるつもりはなかったものの、辛い気持ちになっているのであればごめんなさい」


 生徒に頭を下げる教諭。


「とにかく、今は授業中の扱いだから図書室を出ないように。私は石田兄の様子を見てくるから、編集長と次期部長、この場は任せたよ」


 そう言い残すと深田もまた図書室を出て行ってしまった。


 泣きかけの一年生、絶句して固まったままの二年生。


 任せたと言われても、その場で黙る他に何もできなかった。

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