2-7 浮かぶスマートフォン

 流山おおたかの森駅。


 前澤の連絡は途絶えてしまった。東武線で揺られる間の連絡は一切なかった。既読扱いになっているから目を通しているのは分かっているが、それだけだった。


 浦とは駅で合流した。どうやら学校で補習があったらしく、スマートフォンを見る余裕がなかったらしい、浦から連絡を受けた時には二人共おおたかの森にいたのだ。


「いやね、気がついたのが駅で電車に乗った時で、ただ事じゃないのは分かったんだけど、ちょうど隣駅だから、まずは行ってしまおうと思って」


 これが浦の弁だった。


 コンコースからおおたかの森ショッピングセンター二階へ通じる通路を歩きながら高畑が事情を説明すれば、事の重大さを理解したらしい浦は、


「どうしてお前が通報しないんだよ」


と本気の剣幕だった。


「高畑が通報してあげていれば今頃明ちゃんは保護されているでしょ」


「だってその、心細かろうと思って、だったら急いで俺はここに来なきゃ、って」


「その心意気はいいけどさ、まずは明ちゃんの安全でしょ? 高畑が通報してからこっちに来てからだって遅くないじゃん。すぐそこの交番で保護してもらえるでしょ」


「んん、そうか、助けたい気持ちが急いてしまった。とにかく助けたくて」


「まあ、もうここまで来ちゃってるから話したところで意味ないけどさ」


 店内に入る手前、階段を前に浦が足を止めた。白く塗装された、横幅は十人分はあるだろう大きさの階段だった。


「とりあえず通報は私のほうがやるとして、トイレを探せばいいね。とりあえず下から探すよ」


「手分けしよう」


「高畑だけでどうやって女子トイレを探そうっていうの」


「前澤の電話を鳴らして確かめる。マナーモードを解除してあるはずだから」


「それなら、まあ、探す分にはいいっか。じゃあ私は一階から見ていくよ。高畑は三階から。そうしていけばいずれ合流できるでしょ」


 浦は高畑の肩に軽いパンチを繰り出して、そうしてから下階に消えていった。取り残された高畑は一方、店内に飲み込まれてゆく人々を一瞥した。ショッピングセンターの中に前澤がいる、前澤につきまとう者がいる。


 助け出さなければ。


 目の前にある自動ドアから店内に入らずに、高畑は直接三階に上がるルートで店内に入った。三階はゲームセンターと映画館とレストランのフロアである。昼の時間にしては遅くて、夕食の時間としては早すぎるわけで、飲食店に並ぶ人は見当たらなかった。店内に入って左手に見ることができる映画館は薄暗くて、しかし人は一番集まっている様子だった。


 おおたかの森ショッピングセンターではフロアあたり三か所のトイレがある。二つある駐車場出入り口に寄り添うように、それぞれ一つずつ。フロアの中央部に一つ。


 早足に高畑が目指すのはフロア中央のトイレだった。人の流れ、映画館へと向かう流れとは反対側に脚を向けて、飲食店を両手に進んでいった。両脇の店には目もくれず、意識を向ける先は中華料理店、パスタとピザの店の間、細い通路だった。


 通路に一度入ってしまえば飲食店の賑やかさとは一転、白塗りの壁の圧迫感に飲み食いを忘れてしまう。スピーカーの音も遠く、辛うじて届くそれには窮屈さがにじみ出た。照明もフロアに比べれば暗かった。


 薄暗い通路の中程が十字路のようになっていた。左手には下のフロアへ至る階段があって、右手には喫煙スペース、そして目的の手洗いがあった。高畑の最初の目的地。


 手洗いの入り口が開いている壁に背をもたれかかりながら意識を集中した。片手では前澤へ電話をかける準備を進めた。あとボタン一つを押せば繋がるまでの状態になったのを確かめて、前澤の電話が鳴るのを願う。


 スマートフォンを耳に近づけるが、密着させはしない。その格好でボタンを押した。かすかに聞こえる発信音。期待するのはトイレの中から聞こえる着信音。


 いくら耳を研ぎ澄ましても、高畑と連動するような音はなかった。それどころか、数コールしたら切れてしまうのだ。いつまで経っても出てこないからLINEが勝手に通話を切っている、というのとはわけが違う。人の操作で切られているように感じられた。


 聞こえない以上はとどまる理由はなくて、次の目的地に向かって、同じように電話をかけてみる。


 呼び出しボタンを押す。


 耳を澄ませて。


 着信音は聞こえない。


 前澤に切られる。


 三階にあるトイレへのトライは全て同じ結果だった。三階に前澤がいないのであれば残る理由はなかった。道すがらにあったエスカレータを下りながら次のトイレへの道筋を想像した。駐車場入口のトイレをまず確認して、そのまま駐車場を横切ってもうひとつの駐車場入口のところへ。トイレを改めた後にフロアの真ん中へ行って。確認を終えたらほの暗い階段で一階に至る。


 思い描いた動線でトイレを目指していた高畑だったが、浦が小走りで現れて道を塞いだ。息を弾ませているところ、一階から走ってきた様子だった。


「どこまで見た? 私は一階の全部と二階は立体駐車場のところの二つを見てきた」


「上のフロアは見終わって、これから二階を調べようとしていたところ」


「なら後は二階だけってことね。それじゃあ」


 浦が次なる提案をしようとしたところで言いよどんだ。かと思えばどこかからフロアマップを取り出して二階のフロアを眺めはじめた。


「急にどうしたんだ、フロアマップなんて」


「ねえ、アネックスにもトイレがある。そっちって見てないよね」


 浦が指差すのは二階フロアの隅っこから伸びている連絡通路だった。連絡通路を渡った先はアネックスと記載があった。ショッピングセンターの別館である。


「確かに考えてなかったね。そっちにもトイレはあるな」


「ならこうしよう。私はこのままこっちのトイレを確かめる。高畑はアネックスに向かって。私もこっちのトイレを確認し終わったらそっちに行くから」


 浦の提案に異論はなかった。高畑はきびすを返して紀伊国屋書店の方面に向かった。書店の脇、カフェの横を通り抜けて中空の連絡通路を急いだ。連絡通路を抜ければアネックス三階のスポーツ用具店だ。


 アネックス側のトイレはフロアの奥に隠れるようにして設置されている。登山用具のコーナーを片目に見やりながら通路を進んだ。


 どうしてだろう、買い物客がなんだか落ち着いていない様子だった。目の前の商品を選んでいるはずの人々が、いったい何事か、高畑の向かう先を気にしていた。中には買い物を放って高畑の先を行こうとする人も見受けられた。


 トイレの入り口を塞ぐような人混みを見つけた。男も女も揃って女子トイレの入り口に群れているのだ。彼らの関心を集めるようなこととは一体何なのか。


 高畑も一団の一員になろうかとしていたところに大柄の男が現れた。背中に大きくPOLICEと書かれた紺のベストは野次馬をかき分けながら女子トイレに入っていった。


 警察官がここに到着することに高畑は心当たりがあった。前澤がしたであろう通報で出動したかもしれなかった。あるいは、浦がしただろう通報でやってきたのかもしれなかった。


 警官が呼びかける声が聞こえてきた。


「大丈夫ですか、大丈夫ですか」


 高畑の目的は何だったのか。前澤を見つけることだ。女子トイレの中で何が起きているのかはうかがい知ることはできなかった。唯一確かめることのできる手段は電話だけだった。


 三階でやったように電話をかけた。スマートフォンから呼び出し音が聞こえて、ややあってから、女子トイレから着信音が響いてきた。すぐに着信拒否されていたというのに、人垣の向こうで鳴っている携帯電話を、前澤は止めなかった。


 延々と呼び出し音と着信音とが鳴り続ける。意味することを理解しているのはトイレに集まっている人の中ではただ一人しかいないのである。


 前澤を見つけた。


 いてもたってもいられなくなって、高畑は人垣に体をねじ込みトイレに侵入した。


 トイレの中にいたのは四人。


 見ず知らずの女性は壁際に立ち尽くしていた。スポーツショップの社員証をぶら下げる店員らしき女性、警察官は床に倒れる前澤を取り囲んでいた。


 警察官と辛うじて対応ができている前澤。


 前澤が押さえて、その上から店員が圧迫している腹部は真っ赤に染まっていた。体がからあふれた液体は床をも赤くして、その海の中にスマートフォンが浮かんでいた。着信音を鳴らすそれには高畑の名前が表示されていた。

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