十五段目
給水塔に触れて少し錆の色を通わせた風が顔の辺りで踊るのを横目に見ながら、わたしは秋介の方へ顔を向けた。
「どうやって気がついたの」
「雰囲気っていうのが、一番近い回答なんだけれど、それだとイメージしづらいよね」
こちらをむいて、またしても変わった苦笑いを見せた。
「ごめんなさい。あまりピンと来ないかな」
「じゃあ、眼かな。眼って言うよりも瞳。違うんだやっぱり。視界に入ってくるけど、何も見たくないってしてる」
わたしは、先ほどガラスに写って見た自分の姿を思い出した。
いつもと、特別変わらない。姿勢も、服装もいつもと同じ。なのに、自分じゃないように見えた自分の姿。
そのイメージを少しだけ残しておいて、今朝三面鏡を割ったわたしを思い浮かべる。同じ制服姿、同じような悲しい感情。でも、二人は違う人のよう。
何が違うのかわからなかったけれど、秋介に言われてよくわかった。
一人のわたしの瞳は、後悔。もう一人のわたしの瞳は、拒絶。二人の違いはそこだけなのに、途方もなく大きな違いだった。
自分のことなのに、指摘されてから気づくのがむず痒い。
「今から死ぬなら、何かを受け止める必要はないもんね」
ぽつりと、わたしの口から言葉が落ちる。
感傷的になる自分の青臭さが嫌になった。
一度嫌になった感傷は帰ってきてくれない。開き直りきれない自分がいる。
ろくに自分の変化に気づけやしないのに、変なところは客観視してしまっているのだ。
見えるところは取り繕えていないのに、見えないところに一生懸命色を塗って飾り付けして、見栄え良くあろうと必死になっている。
上からごちゃごちゃと塗りたくって、自分が結局見えていないなんて、滑稽でしかない。
絵の具臭い。今の自分を表現するなら、きっとそうだろう。
家族用の色。友達用の色。あまり仲の良くない人用の色。彼氏だった人用の色。一人の時でさえ、専用の色。
自分本来の色は消え去り、わたしの内側は、人に見られてもまあ当り障りのない色へと変わっていったのだろう。
「そんなことないよ。死ぬことを受け止めないと」
秋介は言った。
そうだ、わたしは今から死ぬのだ。後悔したって、後の祭りだ。
「でも、どうして死ぬ人の瞳だってわかったの。変だとは思っても、死ぬからだとは思わないんじゃない」
私の質問に、秋介は大きな目をさらに大きくした。眉と目の間は広がって、口元は力が入らないかのように、だらしなく開いていた。
ここまでわかりやすい驚きの表情を、わたしは見たことがない。秋介の、笑顔意外の表情を始めてみた。こんな顔もできるのか。
「え、わからないの」
「分からないから聞いているのだけれど」
ええー。と小さく声を出すと。短いため息とともに空を見上げた。私も同じように見上げる。
今日の仕事は終わったのか、太陽の姿はもうない。その代わりに月が働き始めていて、月を補佐するように、星の輝が強くなっていた。
空が広い。
大きな天井なのかと思うほどにどこまでも空で、あれが落ちてきたらどうなるのだろうと、少しワクワクした。
隣をちらりと見ると、秋介も同じように空を見ていて、わたしたちはしばらく、黙って上を向いていた。
「隕石がここに降ってくるといいのに。それならどんなに楽だろうね」
呟いた秋介を見ると、やっぱり変わった苦笑いをしていた。
「僕も同じなんだ。君と同じ。ここへ死ぬために来た」
秋介は、笑ってそう答えた。その笑顔は、苦笑いと同じ様に不思議な形をしていた。
声音から、笑っているという事はわかる。けれど、笑っているのは眼だけで、口は少しへの字に曲がっている。
この顔だけを見れば、なにを思っているのかわからない。
隕石を願った秋介は、変わった笑顔のまま空を見ていた。
彼もわたしも同じなのだ。ここへ背負ってきたものは違うけれど、同じ様に死にたがっている。
最初の苛立ちはどこへ行ったのか、今では、秋介に親近感すら感じているわたしがいた。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
秋介のほうを向き、ぐっと足に力を込めて立ち上がる。
無理矢理にでも明るい声を出したのは、たとえ自らを殺そうという時でも、最後くらいは辛気臭さを拭いたいからだ。
一生懸命の作り笑いと、濁った瞳の色で、わたしの人生最後の表情は完成だ。たとえ、好きになれない自分自身の最後でも、笑顔くらいは作っておきたい。
これから人を、自分を殺すとしても、それくらいの贅沢は許して欲しい。
「どうしたの。早く行こうよ」
差し出した手を、秋介は握ってくれずに、わたしの右手の指先をじっと見つめている。
「僕は、今死ねない」
今度は、綺麗な笑顔を作って答えた。
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