二段目

 今日の晩御飯は、お父さんの好きなマカロニグラタン。最近白髪が目立ち始めたお父さんは、切れたような目つきの悪さと熊みたいに大きな体に似つかず、小学生のような味の好みをしている。


 本人はチャームポイントなどと言っているが、わたしに言わせてもらえばただの子供舌だ。

 以前さんまの塩焼きを晩御飯に出した時、黒い腸まで食べてしまった私を見て「うげぇ」と声を漏らした。


 だけどビールは大好きで、そういうところはおじさんなのかなと思う。少しだけビールを舐めさせてもらった時、あまりの苦さに「うげぇ」と言ってしまった。あれが飲めて黒い腸が食べられないなんて、意味が分からない。


「紗英の料理、うまくなったよな」

 フォークに刺さったマカロニを見つめながら、お父さんが突然言い出した。最近出てきているお腹に多少のだらしなさは感じるものの、お父さんのことは好きだし、概ね仲良くやっているつもりだ。それでも、その言葉にわたしは少しムッとなる。


「ごめんね、はじめから上手じゃなくて。もう少し前から上手な気はするけどね」


 掃除や洗濯はお母さん手伝いもしてきたし、できないことはなかった。けれど料理なんて、お母さんが出ていくまで小学校の調理実習で作ったお味噌汁とカレーしか作ったことがなかった。


 毎日そればかり食べるわけにもいかないから、仕事が忙しいお父さんじゃなくてわたしが料理を覚える必要があった。お母さんがおいていった料理雑誌には、今でも時々助けられている。


 高校生になる頃には、なにも見なくても作れる料理のレパートリーも増えて、手際も良くなってきた方だと自分で思っている。今日のベシャメルソースだって、缶詰のものじゃなくて、玉ねぎを炒めるところから自分で作った特製ソースだし。


 こんなに料理ができる高校生は今時なかなかいないだろうと、友達にお昼のお弁当を少し食べさせて優越感に浸ったりするのは、少し性格が悪いだろうか。

 わたしのひそやかな自慢なのに、今更そんな風に言われては料理に対する意欲も下がるというものだ。


「そうじゃなくてさ、本に書いてあるまま作っていたから、それこそお手本みたいな味だったけど、最近は紗英の好みとか父さんの好みが混じってきて、いい具合になってきたなって話だよ。紗英は慎重な子だから、最初は分量きっちり計って作っていただろう」


「だって、失敗したら材料もったいないじゃない」

 確かに昔は、料理のたびに量りも計量カップも計量スプーンも引っ張り出してきていた。今はもうそんなことはほとんどないけれど。


「失敗を恐れないのも、いいことだと思うけど」

「時と場合によるでしょう」

 サクサクと言い返すわたしに、お父さんは苦笑いで降参する。


 お父さんは、あまり口が立つ方ではない。いつも一言足りなかったり、逆に多かったり。そのかわり、なんでもそつ無くこなしてしまう。

 わたしが風邪をひいた時、お父さんがはじめておかゆを作ってくれた。その時のおかゆが、わたしが作るよりも美味しかったのだ。


 おかゆの味でそこまで違いが出ることにもびっくりしたし、そもそもわたしが作り方を説明したのに、何故かわたしよりも優しい味がして食べやすかった。悔しいから、本人には言っていない。


「ほら、ピーマンもちゃんと食べなよ。ソースと絡めたら食べられるでしょ」

「紗英が父さんのお母さんみたいだ」


 ほら、また一言多い。わたしはそんなに口うるさくない。食べないお父さんが悪いのだ。

 明日の晩御飯はハンバーグをやめて、ピーマンの肉詰めにしてやろう。少し多めに作って、次の日のお弁当にも入れてやろう。


「明日は普通に学校なのか?」

「そうだよ。明後日が終業式で、その次の日から夏休み」


 顔色をうかがっているのか、お父さんがチラチラとわたしの方を見てくる。そう簡単に懐柔されてたまるものかと、見せつけるようにピーマンを二ついっぺんに口へと放り込んだ。


「こう料理が上手だと、嫁の貰い手には困らないだろうな。父さん、今から寂しくて涙が出そうだよ」

 お父さんが、「よよよ……」と言いながら顔を朴葉みたいに大きな手で覆った。


「泣きまねしてもダメだからね。ピーマン残したら許さないよ」

「だめかー。寂しいのは、本心だけどなあ」


 そう言うと、お父さんは目をつぶりながらピーマンを口に入れた。知らない人が見たら背筋の伸びそうなお父さんの顔も、目をくしゃくしゃにしながらピーマンを食べる姿は子供にしか見えない。

 しかたない、明日の晩御飯は予定通りハンバーグにしておいてあげよう。




 華の高校生活などと大人は言うけれど、そんなものは自分たちの記憶を美化した妄想だと、わたしはいつも思う。


 見た目が良い部分だけをコラージュして、豪華に装丁したアルバム。表紙には「高校時代の思い出」ってポップな書体で書いて、星やらなにやら綺麗に散りばめて。

 開いてみれば、甘酸っぱい記憶ばかりが自分に都合のいいように改変されて載っている。それだけ見れば、誰だって高校生に戻りたいはずだ。


 しかし残念なことに、現役高校生であるわたしは「早く終われ」としか思えない。学校へ行かないといけない朝は憂鬱だし、通学路を歩きながら「突然学級閉鎖になればいいのに」と思っている。大嫌いな数学の授業なんてあった日には、その気持ちは三割倍増。


 勉強が苦手では無いけれど、好きではない。というか、好きな人なんて本当にいるのかとさえ思っている。勉強が好きな人間なんて、口裂け女と似たようなものだろうというのがわたしの考え。


 大した楽しみもないのに、なんでみんな毎日楽しそうなのだろうか。そう考えてしまう日さえ、少なくはなかった。

「なんかいいことないかなぁ」


 教室の、綺麗に並べられた机。一番廊下側の列で、真ん中の席。そこに座りぽつりと口からそんなセリフを零すと、それより少し遅れてわたしの頭に小突かれたような軽い衝撃が伝わった。


「あんたがそんなこと言ってんじゃないわよ」

 声のした方へ振り返ると、同級生の杏子が、丸めたノートを持って立っていた。


 かなり小柄な杏子は、座っている私が少し目線を上げただけで目が合った。肩より少し上で短く切り揃えられた髪は、彼女の活発さを表すように少しうねっている。通学してきたところなのだろう。着替えの入った大きなリュックが余計に大きく見える。


「あ、おはよう杏子」

「おはようじゃないわよ。料理もできて、綺麗な顔に長くて細い足。おまけに彼氏持ち。そんな奴に「いいことない」なんて言われてみなさいよ、皮肉にしか聞こえない」

「さすがに褒めすぎ」


 げへへっと女子高生らしくない下品な作り笑いをしてやると、丸めたノートでもう一発叩かれた。さっきよりも強めに。


「あたしのバスケで鍛え上げた、ごつくて強靭な太ももと取り替えてやろうか!」

 などと言って、軽く制服のスカートをまくり上げる。はしたないし、恥ずかしいからやめて欲しいのだけれど、彼女はそんなこと気にも止めていない。

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