第12話 お妃様修行~お伽噺とおねだり~
「あーつーいー……」
「明様、はしたないですよ」
「だって暑いんだもの! なんで泰連の人はこんなに暑くても、衣装を着込んでいるの!」
明は持っている団扇でパタパタと自身を扇ぐ。
部屋の中では風が通らず、勉強に身が入らない。涼をとりに蓮の池の
泰連の夏は湿度が高い。伎国の方が南にあるが、彼の国はからりとした気候だった。こういったじっとりとした嫌な暑さではなかった。
その上、泰連と伎国の衣装の違いもある。泰連の衣装は夏でも長い裳を履く。足にまとわりつく裳が鬱陶しくて敵わない。
真っ赤な鳳仙花にも見慣れた。日に日に暑さは増していく。江春によればもう少ししたら暑さは和らいでいくらしい。もう少し、そのもう少しはいつまでか!
「江春、よくそんな衣装でいられるね」
「こんなもの、慣れればどうということありません。衣装の生地を夏用に薄くしてありますし」
「見た目で暑いです」
「そんなこと言われても……」
江春が困ったように言う。見た目で暑いと言われても、服を脱ぐわけにはいかないから。
明は足を引きずるようにてろてろと炎天下を進む。
夏の花や緑の葉を通り抜け、ようやく蓮の池の亭に着くと、明はぐったりと卓に顔を伏せる。あぁ、冷やりとした大理石が心地良い。
「ここで勉強しましょうと思いましたが、来るだけでも一苦労でしたね。明様、冷茶をどうぞ。少し温くなってしまっていますが」
「うぐぅ……」
江春が腕に下げていた籠から竹筒を取りだし、明に差し出した。
明はそれを受けとると、栓を抜いてこくこくと茶を飲む。冷えた茶はすっきりとしていてのど越しが良かった。
「生き返る~」
「ではこちら、本日の教材です」
冷茶を飲んで、汗を手巾で拭う。
一息つくと、江春がさっと書を差し出した。
明は受けとると、頁を捲ってみる。
『
泰連国より見上げし空の果て、蓬莱の彼方より天帝に仕えし
「これは?」
明は最初の一頁を読むと、顔をあげて尋ねた。
江春が自分の分の書を取り出すと、頁を捲る。
「これは泰連国に纏わる神話や説話をまとめたものになります。皆、寝物語などで聞いて育つのですよ。この書はその原本……の写本になります。教養として必要な知識です。今日はこれを勉強しましょう」
「はい」
明は返事をすると、もう一度じっくりと読む。
「この炎寿仙っていうのは?」
「天帝より天命を受けし御使いです」
「てんてい……てんめい……みつかい……」
「空に住まう王より、人々のために命令を受けた使者とお思いください。天命は諸説ありますが、一般的には寿命として訳されます」
明が首を捻るので江春が分かりやすいように噛み砕いて伝える。
ふーん、と明は頷く。
「みたまふだ、って?」
「人の天命……寿命が書かれている紙です。炎寿仙が御霊札を作り、奉ることで、人に魂が宿ります。炎寿仙が寿命の尽きた御霊札を浄化……綺麗になるようにと祈ると、魂が天に帰ってまた生まれることが可能になるのですよ」
ふむふむと明は興味深そうに聞いている。
それから、ん? とまた首を傾げた。
「その、じょうか? しないとどうなるの?」
「浄化されなかった御霊札のせいで、
「
明の顔が輝く。
「妖怪ね! 草紙にもいっぱいいたわ! そうなの、そうやって生まれるのね!」
「明様、喜ばれているところ申し訳ありませんが、お伽噺ですからね」
江春は苦笑して、頁を捲った。
そうやって問答をしながら読み進めていく。
何枚か頁を捲っては小休憩を挟む。水辺にいても汗がしっとりと浮かぶので、その都度手巾で拭った。
何度目かの小休憩で、亭に人が訪れた。
「蘇昭容様、こちらにいらっしゃいましたか」
「ん?」
訪れたのは貌佳宮の女官。
明は書から顔を上げた。
明に変わって、江春が女官に用件を伺う。
「どうしたのです、そんなに慌てて」
「は、はい。蘇昭容様宛に、蘇太師様から急ぎこの文をお渡しするよう仰せつかりまして……」
利超からとは、どんな用件だろう。
女官が文を差し出したので、江春はそれを受け取った。それを明に渡す。
「えーと……」
乾いた紙の擦れる音を立てて文を広げる。
以前は利超の文ですら江春に手伝ってもらって読んでいたのを考えると、すらすらと読める今、とても成長したなと感じる。
感慨深く思いながら、文に視線を滑らせる。
一文、一文、丁寧に読みほどく明の顔がだんだんとほころんでいく。
そして最後、差し出しの利超の名を読むことなく、明はその文を握りしめて胸に抱えた。
「明様、いかがいたしました?」
「どうしよう、江春。私とても嬉しい」
「どうかなされたのですか」
江春がさっぱり分からずに困った顔をすれば、明は花が咲くように笑った。
「兄様が、
「まぁ……」
一瞬驚いたような顔をしたけれど、言葉の意味を租借すると、江春も顔を綻ばせた。
◇
あれはたぶん、仲直りだったのだと思う。
あれから彼女は「月影」に接するように接してくれるようになったから。
気が向いたときに、一緒にお茶をしてくれたり、話をしてくれたり、時には「あなたにはこんな衣装が似合いそう」と進んで静月の女装に付き合ったり……一度大嫌いと言われたわりにはある程度の仲に戻ってくれた。
喧嘩した者との仲直り。
ただそれだけのことでも、静月にとっては大きな変化。
自分以外には興味が無かった。だから嫌われても気にする必要はないと思っていた。でも、彼女からは目を離してはいけない気がして、仕事の合間にふと思い立っては彼女に会いに行く。
そんな関係になった……のだけれど。
「まさか向こうから呼んでくれるとは……」
以前のように彼女が進んで芙蓉宮に来てくれなくなってしまったので、最近は彼女の散歩時間を狙い、偶然を装って会っていた。
それが、今日は珍しく彼女からのご招待だ。
「しかも夜……」
静月の政務が立て込んでいて、夜まで手が空かないと返答をしたら、まさかの「夜、貌佳宮にてお待ち申し上げます」だ。他意は無いだろうけど……さすがに戸惑った。
王とその妃ならそういうこともあるだろうけれど……とそこまで思って静月は首を振る。
「蘇太師のせいで変な思考に……」
「どうしました?」
「いや何も」
後ろを歩く宇澄から肩越しに声をかけられて咄嗟に取り繕う。
先程蘇太師とすれ違ったとき、なぜか彼は静月がこれから後宮に、しかも貌佳宮に向かうことを知っていた。そのすれ違い様に「夜にお呼ばれとは大胆ですなぁ」とか言うから……。
ああ見えて女官には好かれるというから意味が分からない。ただの助平狸ではないのか。
「あ、王様!」
「明様、はしたない!」
貌佳宮の入り口で蘇昭容が待っていた。
江春に止められるが、そのままこちらに駆け寄ってくる。
「そんなに走ると転ぶ」
「転ばないわ」
目の前にまでやって来て、蘇昭容がさあさあと静月の腕を引く。彼女がここまではしゃいでいるのを初めて見て、少し驚く。幼子のように手を引く様はなかなかに愛らしい。
蘇昭容に誘われて、静月は貌佳宮に入る。彼女の部屋に通されて、卓子に座らされる。宇澄はその後ろに控えた。
江春がお茶を淹れてくれる間も蘇昭容はそわそわとした様子。いったいどうしたのだろうか。
「蘇昭容?」
「はい」
「良いことでもあったか?」
江春がお茶を注ぐ音を聞きながら尋ねると、彼女はふふふ、と笑う。
「あったの。それでね、そのことで王様にお願いしたいことがあるのよ。利超様が、王様に許可を貰いなさいって」
蘇太師が一枚噛んでいるのか。だから彼は静月がここに来ることを知っていた。
謎は解決したけれど、蘇太師が関与していると知って途端に不穏に感じる。でも、ここまで蘇昭容が嬉々としているのに水を差すのも悪い。
とりあえず話だけでも聞いてみることにする。
「私にできることなら許可をしてあげられるけど……一体、何を許可して欲しいの?」
蘇昭容は手を合わせて頬に寄せる。
「えっと、外出許可が欲しいのです」
小さな子がおねだりするように、可愛らしい声で蘇昭容はおねだりをする。卓子越しでよかった、これで上目使いなどされたら、二つ返事で許可をしていたかもしれない程に可愛らしい。
静月は一つ、咳払いをする。
「……外出って、どこに?」
「蘇家。兄様が学舎予試に合格したから、お祝いをしたいの。もう、四ヶ月も会ってないし……」
学舎予試。
その言葉で静月は理解した。
蘇昭容───珀明の兄は、泰連国に住まうための試練を乗り越えようとしている途中なのだと。
泰連国に残った留学生は多くはない。そのうちの一人が蘇昭容の兄で、難関と言われる学舎予試を異人の身で合格したという。それだけでも十分誉められるべき事実だ。
ふむ……と静月は思案する。
「数日後、利超様が伎人の方々のための祝賀会を開くことになったの。それに招待されたの。ねぇ、行ってもいいかしら?」
「蘇昭容様、主上の前ですから敬語を」
言葉遣いを忘れるほどに、蘇昭容は楽しみらしい。
静月は微笑みながら、江春の言葉を遮った。
「言葉遣いはいいよ。私的な場で取り繕う必要はない。蘇昭容はそっちのほうが君らしいから。それより……外出許可か」
静月はどうしようか、と眉をひそめ困り顔になる。
「難しい?」
「公にはできないからね。妃が外出するなんて大事だ。まぁ……でも良いか。君もたまの息抜きをしたいだろうし、何しろ肉親のお祝い事だ。精一杯お祝いして来れば良いと思う」
ぱぁっと蘇昭容の表情が輝いた。
「ありがとう、王様」
「どういたしまして。それにしても伎人登用か……思ったより現実的だったか」
静月はこれから忙しくなるな、とぼやく。
「どうして?」
「異人の登用は初めてだったから、学舎予試の件でもかなりもめていたんだ。泰連でも最難関と言われていたから、官吏達はどうせ諦めるだろうとたかをくくっていた部分もある。それに今回合格できなかった伎人は強制送還の約束だし……一騒動起こるやも……あぁ、なんだか憂鬱になってきた……」
静月が顔を覆うと、蘇昭容は今までの明るい顔を一転させて申し訳なさそうな顔になる。
「ごめんなさい……本当は伎国だけでどうにかしないとならないのに……」
「君が謝ることはない。条件付きでも保護を受け入れることを決めたのは私だからね。それに国の発展に有用な人材は欠かせない……」
と、そこまで言って、静月は信じられないといったように自分で自分の口を抑えた。
「どうしたの?」
「……いや」
自分が口にした言葉に少し驚いただけ。
まさか、自分の口から「国の発展」なんて言葉が飛び出すとは。
あれだけ滅ぼしたいとか散々言っておいて、今さら国の発展とか……矛盾にもほどがある。
「君にほだされてしまったのか……」
「え?」
「なんでもない」
そっけなく言えば、蘇昭容は不思議な顔をした。その後ろで江春が意味に気づいて微笑んでいるし、自分の後ろからは笑うのを堪えているのか武具を小刻みに鳴らしている音も聞こえる。
「宇澄、何か言いたいことがあるようだから聞いてあげるよ」
「いえ、主上にも春が来たんだなと」
「そうか、減給」
「えええ!?」
そんな理不尽な! と宇澄が叫ぶけれど、静月は黙殺した。
例え春が来ようと、周囲が期待する結果を静月は拒む。それは、自分自身にけじめがつかない限り、きっと変わらない。
静月は立ち上がった。
「蘇昭容、お忍びだから護衛とかは最低限しかつけられないし、城から直接馬車は出さない。悪いけど、蘇太師に近くまで迎えに来てもらうように伝えてほしい」
「分かったわ」
蘇昭容が頷いたのを見て、静月は踵を返す。
「もう行くの? ゆっくりしていけばいいのに」
「あはは……一応夜だからな。面倒な噂が立っても良くない」
「面倒な噂?」
「そうだ。一緒に寝たとか思われても、蘇昭容が困るだろう?」
蘇昭容が首を捻る。
彼女はそれからたっぷり三拍数えて。
「ふなゃっ!?」
変な声と共に顔を真っ赤にした。
二人きりと言うわけでもないから大丈夫だろうけれど、世の中にはお喋りな者や妄想癖を抱えた者がいるから用心に越したことはない。助平爺とか、助平爺とか、助平爺とか。
静月は部屋を出る前に一度蘇昭容を振り替える。林檎のように熟れた赤い頬の彼女が微笑ましい。
「それじゃ、蘇昭容。またね」
「お、おおおおやすみない!」
おやすみなさい、と言いたかったのだろうか。
慌てすぎて、おかしな泰連語になっている。
静月は喉を震わせるように笑って、彼女の部屋を後にした。
さて……これから前倒しで仕事をしていかないといけないなと、静月は内心で決意する。
蘇昭容の兄……彼女と同じように肉親を失っている人。彼がどんな人なのか気になる。
静月は惰性で生きている。
蘇昭容は無自覚に自分を責めながら生きている。
彼は……どう受け止めているんだろう。
祝賀会にひょっこり顔を出せば、会えるかもしれない。
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