第20話 皇帝の目覚め

 白壁に朱塗りの柱がよく映える。金と銀が豪奢にあしらわれた欄間が天井近くのあちこちにあしらわれ、床に敷き詰められた大理石は人の姿をよく映す。

 とてつもなく広い朝殿で、何人もの人間が多くの伎人を取り囲んでいた。

 一段高い位置にある玉座に座った傀儡の皇帝の目には常にはない光が宿り、その皇帝の脇には側近を兼ねた一人の武官が静かに伎人達を見下ろしていた。

 三槐が玉座の下に守護者のように立つ。彼らの正面には、伎人が一人だけ突出し、他はその伎人を境目に五列縦隊を二つ成すようにして跪いている。

 その外周を囲むように泰連国の武官が立ち並び、その更に外周には高官達が椅子に座って事の成り行きを静観していた。

 上段にいる皇帝が、先頭にいる伎人へと声をかける。

「面を上げよ」

 静月の言葉に従い、遣伎使と名乗った丁峰維が顔を上げる。

 三槐筆頭である蘇利超がゆっくりと、使者に対して旅の息災を労う口上を述べる。

「遣伎使たる丁峰維殿、以下武官二十名に置いては、遠路遥々伎国よりの渡航の旅路、大変ご苦労でございました。また伎国におきましては、新王の御戴冠、まことにめでたく存じまする。つきましてはその祝いとして、泰連国より僅かながらの祝いの品をご用意致しましたので、どうぞお納めくださりますよう」

 利超の隣に立つ心軒が視線を動かして、控えていた者を呼び寄せた。

 文官が歩み出て、つらつらと祝い品の目録を読み上げていく。

「四面神獣八卦鏡、二十枚。銘剣、一振り。経典、百巻。以下内訳──……」

 文官が目録をさらさらと読み上げると、目録を元の状態へと巻き戻して、峰維へと進呈した。峰維は拱手して感謝の意を示すと自ら受け取り、後ろに控えていた武官へと預ける。

 祝い品の贈呈が終わると、今度は伎国側から貢ぎ物が奏上される。峰維は懐から目録を取り出すと、文官へと差し出した。文官はそれを受け取って同じように目録を読み上げる。

 朝貢品を読み上げ終わると、蘇利超が皇帝の代わりに大きく頷いた。

 一連の儀礼が終わると、いよいよ今回の謁見の本題へと入る。

 三槐が頭を垂れて膝を着くのを見計らい、静月がゆっくりと言葉をかけた。

「まずは遠路遥々、大義だった。荒波をも御した、君達の幸運を讃えよう」

 峰維が拱手して深く礼をした。静月もそうだが、峰維もまた、茶番のようなこのやり取りに笑いだしてしまいそうだ。

 だが、この茶番こそ、静月と峰維の間で交わされた約定である。約定である以上、こなさねばならない。

 静月は玉座に深く腰かけて、峰維を見下ろした。

「丁峰維。此度の旅路は我が国に滞在している留学生、三十九名を連れ帰るものと聞いたが、相違ないか?」

「是」

 峰維が頷く。ここまでは筋書き通りだ。

 峰維の後ろに並ぶ半分の伎人の内、何人かが悔しそうに歯がみした。彼らは伎国へ帰っても未来がないことを知っているから、余計に己の実力が及ばなかったことが悔しいのだろう。

 静月は伎人留学生へと視線を向ける。その最前列に凛と姿勢を正して並ぶ一人の伎人と目があった。

 己の運命に対して泰然と構えるその姿に、静月は我が身を振り替える。生きる理由のある者は、こんなにも強いのだと突きつけられているようで、少しだけ落ち着かなくなった。

 その気持ちを誤魔化すようにして嘆息すると、思考を切り替える。

「元は伎国の者達だ。好きにすれば良い……が。一部、故郷を捨て、この地に骨を埋める覚悟を決め、その身をもってその証を示した者達がいる」

 静月が軽く手を挙げると、利超が立ち上がり、その年齢に似つかわしい朗々たる声で留学生の名を呼び始めた。

しゅんせん小馨しょうきょう俊孝しゅんこう芳至ほうし立陽りつよう文麟ぶんりんそう楊凱ようがいはく怜央れいおう

 利超が名を呼び終えると、利超は静月の方へと向き合って頭を垂れる。

「以上七名、学舎予試を越え、国試の本試たる選試へ進む権利を得た者達の名でございます」

「ご苦労」

 利超が一礼して、他の三槐と同じように再び膝をつく。

 静月は峰維を見据えると、形の良い唇を三日のように歪ませるようにして微笑んだ。

「この者達は泰連国の益となる。この地に生きる覚悟を決めた以上、彼らは今この時より泰連国の臣民である。伎国に連れ行く事能わぬと知れ」

 これは交渉ではない。

 命令である。

 海を越えたところにあるといえど、所詮伎国は小国である。大陸に乗り込み、同等に剣を交えることが出来るような戦力は持ち得ない。

 峰維は本意ではないからか、眉間に皺が寄る。だが約定に折り込まれていた内容であるから、甘んじて受け入れる。大国の命令という形がとられた以上、伎王への言い訳はできるから。

 静月が峰維と交わした約定。それは、こちらが捕らえた伎人兵の解放と引き換えに、学舎予試に合格した留学生の残留と、帰国する伎人の生命保険の為に泰連国から護衛兵の派遣をするというものだ。

 前半は善き人材を確保したいがため、後半は泰連国側の罪悪感を軽減するためのもの。帰国せざるを得ない伎人には申し訳ないが、帰国した後には是非とも新王体制のもと孤軍奮闘して貰いたいとは思う。

 峰維が渋々ではあるものの、拱手して恭順の礼をとった。静月がそれを肯定と見なした事で、半年にも渡った泰連国の伎人留学生問題に決着がついた。

 当初はすわ戦争かと身構えていた高官達にも安堵の吐息が広がっていく。

 武装を解いてはいるものの、二十人もいる異国の兵士の突然の入国には誰もが緊張を強いられていた。国力で言えば余裕でねじ伏せられる程度の戦力ではあるが、長く戦乱の世を避けてきた泰連国の高官にとって、国を乱しかねない招かれざる客でしかなかった。

 いつ言いがかりをつけて伎国が無謀にも攻めいってくるか分からない。目の上のたんこぶであった留学生達の件が片付いたと胸を撫で下ろす高官が多すぎた。

 この現状に壇上の静月や宇澄だけではなく、三槐や正しく状況を把握している数名の高官、そして名を呼ばれた七人の伎人留学生が各々苦笑し、自嘲の笑みを浮かべた。

 居心地の悪さを感じている伎人達を早く退出させるべく、利超が動いた。

「後程、正式な文書としてしたためたものを丁峰維殿に進呈する。これにて、此度の謁見は……」

「焦るな、蘇太師」

 利超の声が遮られた。朝堂の中に静かな驚愕が広がる。利超すらも驚きに目を丸くして、静月を振り仰いだ。

 本来の進行は、ここで伎人を全員退出させる予定で間違いなかった。もったいぶって進行を弛めてはいたが、あっさりと次へと進めて伎人を退出させようとしたのは、これを時機と見たからである。それなのに、静月自らがその進行を邪魔するとは三槐の誰もが想像できていなかった。

 だから、一歩出遅れた。

「丁峰維。もう一つ、伎王に告げる言葉を忘れないように」

 三槐の間に戦慄が走る。利超が一足早く気がついて、静月の暴挙を止めようと声をかけようとするが、それより早く静月が言葉を紡いでしまう。

「───珀明を遣わしてくれて感謝すると。私は彼女が気に入った。伎人である彼女を丁重にもてなした上で、我が后として迎えると」

 高官達の間に、先程とは非にならないくらいの勢いでざわつきが広がっていく。

 傀儡だったはずの皇帝が、三槐の意思とは反する言葉を告げたこの状況に、心軒は一瞬だけ眉をはね上げ、志恒が面白そうに目を細めた。利超だけが、やられたとでも言うように額に手を当てて大きく溜め息をつく。

 峰維もまた、命じられていた伎王の意思と反する言葉であるが故に、峰維は取り繕った顔を崩して険しい表情になる。

 中でも一番愕然とした表情をしたのは、話題の渦中に上がった珀明の兄である怜央だった。静月の言葉に対して理解が追いついていないようで、完全に動きを止めて静月を凝視している。

 静月はざわつく者達をぐるりと一瞥して、口角を吊り上げた。普段の朝議とは違う、凄絶な気を纏った静月に、誰もが皆次第に口を閉ざしていく。

 水を打ったかのように静まった朝堂で、静月がゆっくりと言葉を紡いだ。

「知らない者が多いと思うから告げておく。珀明は貢ぎ物の一貫として伎王がよこしてくれた娘だが、我が国では異国の娘を妃として娶ることはない。だが私は偶然、蘇邸を訪れた時に珀明を見かけ、見初めてしまった。聞けば珀家は先祖に泰連国の血を持つという。そうだな、珀怜央」

 突然話を振られた怜央は声が裏返りそうになるのを堪えて、何とか「是」と答える。静月はその様子に満足そうに頷くと、玉座の背にゆったりともたれかかった。

「異国生まれの娘であるが、まさしく泰連国の血を引く者。後宮へと入る資格を持つ。丁峰維、私は彼女を後宮へ入れることを約束しよう。伎王には改めて感謝の言葉を述べる。善き娘を貢いでくれて感謝する」

「……もったいなき、お言葉で、ございます」

 切れ切れではあるが峰維が答える事によって高官達の間に再び混乱の波紋が響いていく。

 その彼らに一瞥をくれて、静月はもう少しだけ言葉を付け足した。

「私が見初めた妃を安心して後宮に入れるためにも、長き時間の内に腐敗し、停滞したままであった古き後宮の法を改める必要があるね。丁峰維、ここに泰連国王静月の名をもって誓約する。私は珀明を我が后として娶ると。その為に悪環境を成しかねない現在の後宮を改革すると。天帝へ捧げるこの誓約を、ゆめ忘れるな」

 峰維に向けられた言葉は、ただ峰維に釘を差しただけではない。

 静月が傀儡であることをやめ、急進的な改革を実行することの宣言でもある。

 腐敗していく後宮を憂いた先代皇帝の心残りがいよいよ払拭される時が来たのだ。

 これから目まぐるしく環境が変わっていくだろう。

 静月だけではなく、その后となるであろう明も、その兄である怜央も、先代の遺志を継ぐ三槐も。

 本来、交わることのなかったはずの海の向こうの国の血が、泰連国と混ざり、更にはその皇帝の血と交わる。

 間違いなく、泰連国の千年の歴史に新たな風が吹く一石となるはずだ。

 静月は丁峰維から自然を外すと、怜央を見つめた。

「待っているよ、珀怜央。国試に受かったら、君を私の代の国史編纂事業に加えてあげよう。その目で私が、君の妹のために泰連国をより善き国として作り替える瞬間を、一番近くで見ることのできる機会を与えてあげよう」

 その場の誰もが怜央に注目した。

 それは憐れみであり、嘲笑であり、羨望の視線。

 国史編纂事業とは、その事業の重要さとは裏腹に、実務の多さと、終身職のような扱いから、昇進とは縁の無い閑職のようなものというのが泰連国の官吏間における認識だ。つまり、この事業に携わるということは、出世からかけ離れるということを意味する。

 せっかく国試に受かっても、出世ができない国史編纂事業へ配属される事が決まっているのなら、国試の受験を考え直す者がどれくらいいるのだろう。出世ができないのに国試を受けるくらいなら、無駄な勉強をやめて商人になる者の方が圧倒的に多い。

 それでも尚、泰連王に名指しされたことを名誉に思い、甘んじて受けるのか。顔を覚えられる事の無い下級官吏よりは、遥かに名誉があり、それは珀怜央という個人に付随するものとなる。

 全員が息を飲んで怜央の様子を伺う。

 馬鹿にするなと吠えるのか。

 それとも是と答えて出世競争から早くも外れる道を選ぶのか。

 誰もが怜央の一挙一足に注目する。

 見つめられている怜央は、一度強く目蓋を閉じた。

 そして顔をあげると、留学生達の列から一歩進み出て、静月に恭順の礼をした。

「もったいなきお言葉でございます。皇帝陛下のお覚悟、しかとお受けいたしました。元よりこの地に生きると決めた身であります。陛下の素晴らしき治世に御身のお側で拝見することができるのは、この身に余る栄誉でございます。選試を突破し、見事国試に合格いたしました暁には、謹んで国史編纂事業の任を受けさせて頂きたく存じます。その為にも、より一層の精進をいたします所存」

 閑職への指名を栄誉として、堂々と静月の言葉へ返答した怜央。

 その両肩には、国試に合格しなければならないという重圧と、皇帝に覚えられていることに対する嫌味の混じる嫉妬の念が振りかかる。

 静月は表情を緩めると、閉会するように利超を促す。

 利超はこめかみを震わせながら、予定通りに閉会し、伎国との謁見を終了した。




 滞りなく……とはいかないが、これが泰連国皇帝・静月の治世の本当の始まりである。

 傀儡の時から目覚め、真の皇帝たるために、静月はゆっくりとではあるが、着実に朝廷を、後宮を、変えていく。

 それは一重に、いつか再び招く娘のため。

 静月はその名にかけて、これからの世を治めていく。

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