渡華記~祭りの国の姫と怠惰な大陸王~

采火

序「歴史はこうして作られる」

 泰連国たいれんこくの都・雲架うんか

 一寸の狂いもなく条坊に整備された雲架城下を見下ろすのは皇帝のおわす紫雲城。

 その紫雲城の一画、女の園とも言われる後宮にて一人の后の声が上がった。




「何それ聞いてない!」

 紅玉のような光沢のある絹の衣装をその身に纏う妙齢の后は、目の前にいる男───泰連国皇帝に向かってきっと睨んだ。

 腰まである長い髪を女官の暇潰しにかなり凝った飾り結いにされながらのため、きちんと皇帝へ顔を向けられていないところが彼女の可愛いところ。

 皇帝は緻密に編まれた后の髪を興味深そうに弄ぶ。

「私もさっき知ったばかりだしねぇ。長官が国史編纂事部に入り浸っているから気になって覗いたんだけど、そうしたら既に遅かった」

「だからってどうして貴方の歴史書を作る傍らで私のまで作る流れになるのよ! 私なんてオマケでしょう!」

「長官がいた時点で明白だと思うけど」

「兄様……!」

 くっ……と后は顔を覆った。髪を弄っていた若い女官が「お化粧が取れちゃいます!」と后の手を払いつつ叱る。

 国史編纂事部ではその名の通り、国史の編纂が行われていた。

 主な記録内容は今后の目の前にいる男について。

 以下、皇帝の言い訳……もとい説明。

 皇帝と国史編纂事部長官は当代国史の下書きがある程度出来上がったと二人で報告を受けた。報告を聞いた長官は「不完全だ」と言って、国史編纂事部に押し掛けに行ったという。

 それが数日前の話。

 そしてつい先程、后の宮に来る直前にそちらへ立ち寄ってみたところ、国史とは別に彼女の伝記まで別に編纂する事業部が立ち上がっていた。国史編纂事部の同好会有志の手によって行われるものらしい。

 もちろん予算は出ない非公式な事業部だ。タダ働きの上に、経費は長官持ち。そのあたりの事は立ち寄ったときに明確にしておいた。そうじゃないと後腐れが残るから。

 それを聞いた后は「そう言うことじゃない!」と一蹴する。

「そもそもなんで私のを別で作る流れになるのよ!」

 ただの一后の伝記なんて残すような代物ではない。それこそ、后は皇帝の付属物でしかないのだから。

 そう言いながら后は皇帝の方へと顔を向けようとするが、女官が「動いちゃ駄目です!」と叱りつける。

 女官は注意しつつも手は動かして、編み込んだ髪を細い飾り紐で結い、それを簪でさらに飾り立てる。金や珊瑚、紅玉をふんだんにあしらって大輪の花の形を模した簪は、国宝級の一品だ。

 皇帝は后の髪に刺された簪からゆらゆらと垂れている玉をつついた。

「長官が君のところだけ修正した結果、そこの項だけやたらと精細なものができたらしい。他の項目と比べて浮いてしまうし、もはや私がオマケになっていたらしいから、いっそのこと別記しようという流れになったんだとさ」

「兄様はいい加減妹離れするべきよ……そんなんだからお嫁さんに愛想を尽かされちゃうのよ」

 顔を覆ってため息をつく。

 ちょうど同じ時、后の髪で遊んでいた女官が満足そうに腰に手を当てた。

 皇帝はその髪を覗く。

「できたのかい?」

「はい! これでどうです?」

「ふぅん……これまたけったいな髪だなぁ」

「え? 何? 私の髪どうなってるの?」

 髪に触れようとすれば、女官がピシャリとその手を弾いた。

「くずれちゃうので触らないでください」

「えー……」

 後ろなんて鏡で見ても分からないのに……。

 后ももう若くはないのだが、子犬のように項垂れているのが妙に可愛らしく見える。誰も口には出さないが。

 重くなった頭が気になるようで、ゆらゆらと頭を揺らす。そんな后に、皇帝は一冊の書を差し出した。

「まだ下書きのものらしいけど、報告用のをもらってきた。読んでみるかい?」

「あら、ちょっと気になる。ふふん、貴方がどれほど誇張表現されてるか見てあげるわ」

「これが噂の、そなたの伝記だ」

「そっちなの!?」

 でもせっかく差し出されたので、とりあえず書は受けとる。

 受け取るだけなのも意味はないので書を開いてみようとするが、后はとても微妙な顔をした。

「どうした?」

「いや……だってこれ私の伝記なんでしょ? 今思えば恥ずかしいあれそれがあるのを考えるとちょっと……」

「大丈夫じゃないかな。書の名前からして恥ずかしいから」

 皇帝が書の表題を指差した。

 そこには『渡華記とかき』と流暢な筆で書かれている。

「……その心は」

「海を越えて来た花と言ったところかな」

 くくっと肩を震わせて笑う皇帝。

 思わず后は遠い目になる。現実逃避のために向けた視線の先には、海の向こうに見える陸を描いた画があった。深い緑の混ざった青い海と、故郷を彷彿とさせる陸、そこに咲く極彩色の花々。それから伝説と言われる陽の鳥・鳳凰。

 視線を向けた先が悪かった。画を見て、嫌が応にも現実に引き戻される。

 わざわざ隠喩まで使って凝った表題をつけるなんて嫌がらせのつもりだろうか。いや、あの兄の事だから本気で妹の所業を褒め称えているに違いない。

 だからといって自分の事を花だと直球に喩えられるのは如何なものかと思う。

 思わず「やめてぇ!」と后は叫ぶと、立ち上がってバンバンッと派手な音を立てながら、力一杯に書を卓子に叩きつける。

 女官が慌てて后を止めに入り、皇帝はするりとその書を奪い返す。

 それから面白そうな顔をして、卓子を挟んだ后の向かいに座った。

「ではまず第一章第一節から」

「読むの!? 音読しちゃうの!?」

「わぁー! 私も聞きたいですー!」

 抵抗する后の腰に女官が抱きついて皇帝を急かす。

 皇帝は后の抗議の声を無視して、書を開いた。




『渡華記』第一章。

 それは後に、海を挟む二つの国を繋いだ彼女が後宮入りを果たす前の期間───一般に種の時と言われる期間の物語。

 彼女が正式な後宮入りする前に、いつかどこかで皇帝と出会ったという奇跡───ではなく。

 今は亡き三槐さんえんじゅによって仕組まれた前日譚からの始まりだ。

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