第11話 槐の裁~お茶会~
紫雲城内に高くそびえる七輪槐塔の足元、槐の裁。
既に他の二人が座に着くなか、悠々と蘇利超が亭の敷居をまたいだ。
「利超、遅かったではないか」
「ふふ、主役は後からやって来るものよ……」
「阿呆なこと言ってないで早よ入ってこい」
雨が上がり、晴れた空の下。
三槐が皆、顔を揃える。
三槐が槐の裁にて顔を合わせる理由。
それは……。
「二人とも用意はできとるかの?」
「ふん、言われずとも。ほれ、茶じゃ」
「老舗・逍遙堂の饅頭もあるぞ」
三人はいそいそと亭の卓に茶道具や茶菓子を並べる。
心軒が生来の生真面目さできっちりかっちり茶葉の分量、湯、蒸らし時間を図った茶と、志恒が城下の高級菓子店で購入してきた饅頭。これはまさに完璧な布陣と言えよう。
利超は満足そうにうむうむと頷く。
「はぁー、老骨に沁みるなぁ……」
「一番最年少のお前が言うのか」
「ははは、全くな。少しは年長の儂らを敬えや?」
淹れたての茶を飲んで、ほっと息をつく。
心軒が嫌味のつもりで言えば、志恒が笑い飛ばす。
利超は茶を飲みながら、ふむ、と考える素振りをする。
「可愛い娘や美人な婆様だったら考えるんだがなぁ」
「爺で悪かったな」
すかさず心軒に突っ込まれる。
「冗談が通じないな?」
「利超はもう少し自重せいや」
自分で買ってきた饅頭をがさがさと包みを剥ぎながら志恒が言う。
利超は茶を置くと、ふぅと息をつく。
「何を自重しろと言うのか……」
「そら女癖だ。お前、どーせ例の娘の前だと『いい男』を演じてたぶらかしてるんだろう?」
「いやいや、普通の爺をしとるて」
「どうだか」
志恒にも心軒にも信用されず、やれやれと利超は肩をすくめた。たぶらかすとはなんとも人聞きの悪い。
まぁ、その昔、「紫雲の色男」の名をほしいままにしていたのは事実だが? きちんと誠実なお付き合いをしていた訳だし? なんなら女だけではなく男からでさえ……ではなく。
ちょうど彼女の話が出たので、利超はこれ幸いと話を変える。
「そう言えば伎国の娘のことだが……心軒、志恒、何か言うことはないかな?」
現役時代を彷彿とさせる鋭い眼差しが二人を貫く。
だが心軒は茶を飲み、志恒も饅頭をかじってけろりとしている。
利超がじっと二人の出方を待つと、最初に口を開いたのは心軒の方だった。
「あれは私の預かり知らぬところのことだ。孫娘とはいえ後見は息子だからな」
「ふん、よく言うわ。腰痛を理由に私の呼び出しを突っぱねておいて」
「お前はまだ若いからいいかもしらんが、この歳になると腰痛の苦しみには耐えられん。それを知らんからそんな事を言えるんだろう」
たいして歳の変わらない心軒に嫌味を言われるが、ふんっと利超は鼻で笑う。
「最近は若い者でも腰を痛めると言うからなぁ。心軒のそれもただの不健康やも?」
「あぁ、それは一理。確かに最近の若者はすぐに弱音を吐いてかなわん。心軒、お前も羽林軍に来い。鍛え直してやるぞ」
「いやいやいや」
「志恒のそれはまた違う」
志恒がうんうんと利超の言葉に頷いたが、利超と心軒に首を振られてしまい、むぅ……と黙り混んだ。ついでに饅頭をもう一つパクリ。
「それで志恒、お前にも聞くが、伎国の娘に盧淑妃がやった事の弁明は?」
「知らん。伎国の娘がうちの孫の気に障るようなことでも言ったんじゃないのか? うちは基本放任してるしなぁ」
「だからと言って怪我をさせるような教育をしている娘を後宮に入れるな」
利超がもっともらしく言う。
志恒はぐいっと茶をあおった。
「全く、一ヶ月も前のことをグチグチと……もう時効だろう時効。一応儂からも孫には一言入れてあるのだし」
「そうだぞ利超。一ヶ月も経って今さらこの話を蒸し返しても遅いわ」
「お前たち……!」
二人に水に流せと言われ、利超はひくりと青筋を立てる。
その様子を見た志恒が馬鹿みたいに大きな声を出す。
「槐之裁規則之一ぃ!」
「意見が割れたら」
「多数決ぅー!」
志恒の言葉を引き継いで文言の一部を心軒が言った後、再び志恒が言葉を引き継ぐ。
爺による、爺同士の、爺のための戦い。
何とも子供の屁理屈のようで、利超は脱力した。
「未だにこの脳筋が私より年上だと思えないのだが……」
「ふはは、最年長だぞ、敬え!」
「羽林軍の若輩共、強く生きよ……」
利超が嘆けば、心軒が志恒に訓練をつけてもらっているという羽林軍を哀れむ。
志恒はフン、と鼻を鳴らすとまた饅頭を一つ口に放り込んだ。
「さて、槐之裁規則之一によって利超の主張は無かったことにしたわけだが」
「くそ爺どもめ……」
「最年少とはいえ、お前もそう変わらんぞ」
ぷいっと利超はそっぽを向いた。なんとも空しいやり取りだが、これでも平均八十を越えている。歳を取りすぎたせいで言動が一周回って童子のそれになっているようにも見えるが、割りと昔からこうだった。
利超も深く言及をするつもりはなかったので、ここまでにしておく。昔からの付き合いだし、何より当の本人から大事にしたくないと言われていたから。
「はぁ……釈然とはせんが、ここで本題に入っておくか」
「賢明なことだ」
「うむ、そのために集まったのだからな」
心軒と志恒が早く本題に入れと急かすので、利超は一つ咳払いをして話題を提示する。
「私が預かっている珀明と珀怜央。この二人の事だ。……珀明は上手く機能していると思うか?」
それは、皇帝を「人間らしく」させているかと言うこと。
ふむ……と心軒が目を伏せる。
「少し前、主上が珀明にフラれたと聞いたが」
「ほほう、あの主上にもとうとう春が!」
「そういう意味ではない」
志恒の早とちりに利超はきっぱりと否定する。
「本当の春がこれば我らもやきもきする必要はないんだがなぁ」
従順な皇帝には幾つも問題がある。
言われたことは粛々とこなすが、自らは消極的な政務への態度。
即位して二年、世継ぎを作ろうとしないこと。
この二つは幾つもの問題のうち、早急にどうにかする必要のある問題だ。
皇帝に春が来てくれれば、後者の問題はあっという間に解決すると言うのに……今まで用意した六人の妃にはなびくそぶりも見せなかった。
「だが、その主上が珀明に興味を示し、一ヶ月近く彼女に会っていると言う。これは驚くべき進歩ではないと思わんか?」
利超はにやりと口角をつり上げた。
「それが本当ならば確かに頷くんだがな……」
「どういうことだ心軒?」
「だから言ったろう、そういう意味ではない、と。確かに主上は珀明に興味を示したのだろう。だがそれは色恋沙汰ではなく、私らが皇帝を動かすために考えた改革関連のことではないのか? 利超のことだ。珀明は利用できる、とでも主上に耳打ちしたのだろう」
「ふん、お前のそういうところが嫌いだ」
図星を刺され、利超は悪態をつく。
生真面目に物事の本質を見抜き逸れることのない心軒。表向きは誠実そうに見え、本性は飄々として掴み所のない利超。二人とも、相性が悪いようで実は思考が全く同じ。つまりは同族嫌悪なのだ。
「珀明の方は後宮にいる限り時間はいくらでもある。最悪、適する娘が他にいれば替えがきく。問題は珀怜央か」
心軒は饅頭を一つ手に取ると、包みを剥ぐ。
「
「無論。実力はある」
心軒の問いに、利超は堂々と答える。
「留学生に選ばれるだけのことはある。算は完璧じゃ。暗記も言わずもがな。絶対記憶力とでもいうのかあれは? 経典と故事だけではなく、泰連の詩すらも完璧だ」
「なんだその化け物」
「伎国にみすみす奪われるにはもったいない。当然合格圏内だ」
ふっふっふと肩を揺らして笑う利超に、心軒はそうかとだけ呟いて、饅頭を一口かじる。
「無事受けられると良いな」
「あれほどの人材は稀であるから、是非とも取り込んでおきたいなぁ」
「そうだなぁ。王弟とやらが天下を取った今、伎国に戻って殺されるくらいなら、うちで貰ってしまえい」
会話に混じってきた志恒に、利超は目を瞬く。
「王弟が? それは確実か? というかそもそもなぜお前が知っている」
「何故って、伎国に行っていたうちの奴が戻ってきてな」
「そんな大事なことを黙っておったのか!?」
「怒るな怒るな。儂も出掛けに知ったばかりだ」
利超は納得のいかず、じろりと心軒にも視線をやる。
「もしやお前も……」
「うちの商人達は早々に伎国から引いてきておるだろうが。そこの出遅れ脳筋どもとは違う」
「儂のところは腕に覚えのあるもんばかりだからな。船の調達が間に合わなんだから他の奴を先に行かせて、四ヶ月遅れで出立したらしい」
「その四ヶ月の間に決着が着いたと言うのか……」
どういった手段を用いたのかは知らないが、王弟の手腕は見事なものだったようだ。通常、王位争いと謂えば無駄に時間がかかり、民が疲弊していくだけだが……それをたった四ヶ月で決着をつけたと言う。
これは思っていた以上にやり手な人物らしい。
利超は思案する。
伎国の中が片付いたら、外にも目を向けるようになるだろう。
そうなったとき、あちらはどうでるか。
「これは思った以上に早く、主上には皇帝の自覚を持ってもらわねばなぁ……」
「そうだな……泰連は大国だがその末端まで目の届く政治はなかなかできん。先の皇帝でさえ在位中何度も他国からの侵略や地方での内乱が起こっておった」
次の伎王がどう動くか、その動向には注意しておかねばならない。
「学舎予試まであと一ヶ月……それまでは保つだろうが、本試は無理だろうな」
「留学生を受け入れている以上、難癖つけて来るやもしれん。それは分かっていたことだ。先伸ばしにできる問題でもない」
「その当たりのことを上手くやれる力量があれば良いが……」
やる気のない王にどれほど期待できるのか。
利超と心軒は互いにこの国の事を思ってため息をつく。
「全く先代め、一番厄介な者を残して逝きよって……」
「過ぎたことを言うな。アイツの一途さは男として天晴れなもんだろうが」
「不能でも?」
「主上が生まれたから不能ではないだろう?」
「お前たち、先王が不能だったかどうかは問題ではない。今は国を堅固なものにし、先代の偉業を守るときなのだからな」
「そうだなぁ……。主上には早く、この老いぼれ達の席をなくしてもらいたいわい……」
三槐は、本来は不要な役職。こんな老人をこき使うなんてこと、さっさとやめて独り立ちをして欲しい。
そのための布石を今打っているのだ。これが功をなせば良いのだが……。
利超は饅頭の箱に手を伸ばす。難しい話をしていたから頭が疲れた。甘いものを補給せねば。
「む?」
利超は箱を覗く。
箱には饅頭の包み紙が入っているだけで、饅頭そのものが入っていない。
顔をあげてみると、志恒が最後の饅頭を口にする所で。
「むぐむぐむぐ」
「志恒ー! お前私の饅頭はどうしたー!」
「むぐむぐむぐ」
「一人で全部食ったのか!? 食ったのかこの爺!?」
「いや、一つは私が食べたから全部ではないな」
「心軒、何故私の分も確保してくれなかったのだ!? 逍遙堂の饅頭なぞ予約待ちで滅多に食えぬのに!」
大人げなくも利超が叫ぶと、志恒が茶で口の中の饅頭を流し込む。
ぷはー、と茶器を卓に置くと、親指を立てて笑った。
「はは、お前たちが話している間、饅頭を食うしかなくてな。政治的なことは儂にはどうもできんし」
良い笑顔を向けてきた志恒に利超は脱力した。あぁ、饅頭……この恨み忘れまじ……。知っていて確保してくれていなかった心軒も同罪だ。
槐の裁はこうして今日も幕を下ろして、ただのお茶会と化す。
こんな爺達でも、きちんと仕事はしているのだ。
主上のため、先の皇帝の遺志のため、引いては国のため。
三槐は今日も仕事に励むのだ。
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