なんとかする

 結局、かける言葉が見つからず、数分が経過した。二人分の定食を作ってくれたオヤッサンも、気を使ってか無言で俺と宮田ちゃんの分のトレーを俺へと差し出す。

 その時のオヤッサンの表情は、初めて見るものだった。とてもとても、難しい表情。かなり、渋らせている。

 あのお喋り大好きでいつも元気なオヤッサンを、ここまで黙らせるなんて……この話が、安易な言葉で片付けられないという事を示しているよう。

 そうだな……言葉には、気をつけなければならない。下手な事を言って、宮田ちゃんを傷つけてしまっては、いけない。

「……宮田ちゃん、定食来たよ」

 俺は俯き臥せっている宮田ちゃんへと、そっと声をかけた。すると宮田ちゃんはゆっくりと身体を起こし、目元をゴシゴシと指先でこする。

 ほんの少し赤らんでいる頬と、充血している瞳が、とても痛々しい。

 痛々しい……。

 何故、この娘は外からやってくる「好意を持つ人間」に、これほど悩み、苦しまなくてはならないのか……とても、不条理に思う。

 心が固まっていた俺ですらも湧いて出てきた「好意」とは、一体なんなのだろう。人を、不幸にするもの、なのだろうか。

「ふはは。来ましたかーっ。オヤッサン、頂きます」

 宮田ちゃんはニコリと笑い、背中を向けているオヤッサンに、元気良く声をかけた。それを受けてオヤッサンも「おーぅ」と、普段よりは小さな声ではあったが、元気よく返事をし、夜の分の仕込みへと作業を移す。

「酒粕焼き、美味しそうですねぇ。食べましょー。お腹ぺこぺこです」

 宮田ちゃんは俺の前にあった自身の分のトレーを引き寄せ、箸を四本取り出し、そのうちの二本を「はい」と言いながら俺へと手渡す。

 いつもの、ニコリとした、表情で。

 何故、笑える……? 何故、笑っている……?

 心に嘘を、ついているのでは無いか? 強がって見せているのでは無いか?

「あっ! 凄く美味しいっ! なんですかこれぇっ! お味噌かなぁ」

「……うん、味噌と、酒粕を混ぜて、漬け込んで、焼いてるんだよ」

「へぇーっ……すっごく美味しいですね、今度お父さんに作ってあげよっと」

「えらいね、家事、してるんだ」

「ふははー。偉くないですよー。お母さん居ないですからねーうち。僕がやらなきゃ誰もやりませんから」

 俺は俺を襲う衝撃に耐えきれず、箸を、落とした。

 ……なんなんだ。

 なんなんだ。なんなんだ。

 なんなんだこの娘はっ……。

 俺の頬に、涙が伝う。

 どんどんと、どんどんと、溢れてきて、止まらない。

 止まらない。

「えぐぅっ……! ううぁああっ……」

「……ごめんなさい。言い過ぎちゃいました」

 宮田ちゃんが、呟いた。

 声を発せられない俺は、首を左右に振る。


 どういった事情があって、母親が居ないのかは、分からない。

 わからないけれど、北海道から出てきて、父親と二人で住み、定時制高校に通い、昼間はコンビニでアルバイトをしている。そして、頑張って働いているだけだというのに、変な奴からつきまとわられ、過去にあったストーカー被害の事を思い出させられ、まさに今、精神的に追い詰められている。

 昨日の宮田ちゃんの「生きる事に一生懸命」という言葉を、思い出す。

 それは本当の意味での、一生懸命、なのだろう。

 笑っていないと、おかしくなってしまうのでは無いだろうか? だから、明るく笑っているのでは、無いだろうか。

「……アイツはっ……俺が絶対に、なんとかするっ……なんとかするからっ……」

 俺の言う「アイツ」とは、無論、後輩の大学生の事。せめて、宮田ちゃんを苦しめている「アイツ」の事を、どうにかしたいと、本気で思う。

 後輩の大学生が宮田ちゃんにつきまとっている事は変えようのない事実ではあるが、襲うだとか、刺すだとか、それは突飛な発想かも知れない。普通の世界で、普通に生きていれば、そういった発想を持たない人が、大半だろう。そうじゃなきゃ、気軽に外を出歩けない。

 しかし、宮田ちゃんは、普通には、生きてこれなかった。だから、宮田ちゃんにとっては、突飛な発想なんかでは無い。自分に襲い掛かってくる現実、なのだ。

 これだけの現実が集まると、たしかに運命が死ねと、言っているよう……。

 そんな風に、思って欲しくない……なんで、一生懸命に生きているのに、死ななくちゃいけないのだ。

「……トモー、やっさしぃっ……でも、本当に」

「なんとかするってっ!」

 俺は、産声よりも大きな声で、叫んだ。

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