トモー

 午後二時半をまわり、昼間の最後の客が店から出ていった頃、まだ少し早いがそろそろ店を閉めようかと思い出入り口へと向かったその時、ゆっくりとこの店の扉が開いた。

「うぉっ……」

「わっ!」

 引かれた扉から小さな身体の女性がこの店に入ろうとしてきて、扉の前に居た俺とぶつかりそうになるも、お互いに踏みとどまり、なんとか衝突を避ける事が出来た。

「あ……」

「あっ。はは。今日も来ちゃいました」

 明るい声でそう言った女性は、宮田ちゃんだった。

 今日の宮田ちゃんはネイビーのパーカーとスキニージーンズを着用して、長い後ろ髪をラフな感じに括っており、化粧なんかもしていない。近所を出歩く女の子といった容姿だ。

 思えば昨日やその前は、良い所のお嬢さんを連想させるくらいに着飾っている感があったように思える。年頃の女の子なのだからそれが当然と言えば当然なのだが、そのせいで今日の格好が不自然に感じた。

 まぁ、知り合って間もないのだから、どちらの格好がどうだこうだと、論じる事は出来ない。それに宮田ちゃんは、どちらの格好も似合っている。少しスポーティーに見える今の姿も、文句なく可愛い。

「でも、もしかしてお昼はもう終わりですかねー?」

 宮田ちゃんはそう言い、店の中をグルリと見渡した。

「いや、そんな」

「いらしゃーい! おっ? 嬢ちゃん今日も来てくれたのかいっ? 入んな入んなっ!」

 俺が言葉を発するよりも早く、オヤッサンが宮田ちゃんへと声をかける。その声を聞いて宮田ちゃんは「あ、いいですかー?」という元気な声を出しながら、奥に居るオヤッサンへと視線を向けて、ゆっくりと店の中へと歩を進め、昨日と同じカウンター席へと腰をおろした。

「トモー、のれんは下げとけよー? んで、おめぇもまかない食っとけ」

 ……何?

 聞き間違いだろうか。

「え? なんですか?」

「だぁーからー、のれんを下げろっつってんだよ。んで、おめぇも飯食っちまえ」

 どうやら、聞き間違いじゃあ無かったようだ。

 お客が入っているというのに、のれんをさげて、まかないを食えと、言っているらしい。

 ……もしかしてオヤッサンは今、トンデモなく俺に気を使っているのでは無いだろうか。宮田ちゃんと一緒に、ご飯を食べさせようと、しているのでは無いだろうか。

 あぁ……余計なお世話を……オヤッサンは人が良いだけに、余計な事も、してくれる……。

「ほら、早くしろー」

「……あーい」

 俺はのれんを掴み、店の中へと入れ、ほど近いテーブルの上に置く。その際に、チラリと宮田ちゃんの姿を確認すると、ニッコリと微笑みながら、俺のほうへと、視線を向けていた。

 目が合い、心臓がドキンと跳ね上がる。俺は咄嗟に、視線を外す。

 何を、緊張しているんだ、俺は……飯、食うだけじゃないか。

「トモーって、なんですか?」

「あぁー。コイツ、工藤トモノリっつーんだよ」

「あ、なるほどぉ。トモノリのトモなんですね」

「嬢ちゃんも遠慮なくトモーって呼んでやってくれ」

「ふはははっ。トモー」

 ……うぁあ。あああぁぁ……。

 なんだ、この感じ。なんだ、これは。

 胸の中身がグルグルと回り、それがギューっと締め付けられ、背筋がゾワゾワし、チカラが入っているのか抜けているのか、分からない。そんな感じ。

 宮田ちゃんはただ、笑顔で、俺の顔を横目で見ながら、俺の愛称を呼んだだけだ。

 ただ、それだけなのに、どうしてこんなに、ドキドキしているのだろう。

「……あっ、う……」

 俺は思わず、ちりじりになった声を漏らす。それは嗚咽にも似た、大変気持の悪い、意味不明の声。

 これが高揚、なのだろうか。今までこんな感覚を感じた事が無いので、わからない。

「おらートモー、早く嬢ちゃんに水ださんかい」

 何故かちょっとクチが悪くなっているオヤッサンは俺を急かす。その声を受けて俺は急いで厨房へと入り、宮田ちゃんの水を汲み「どうぞ」と言いながらカウンターの上から水を差し出した。

「ご注文は?」

「トモーの、オススメで」

 宮田ちゃんは水を両手で受け取り、ニッコリと微笑み、俺の目を見ながらそう言った。

 あぁ……心臓の動きが加速する。息が、吸いたい。呼吸が、浅い。

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