貧乏クジを引き続ける人生

 オヤッサンは特大サイズのコーラのボトルを冷蔵庫から取り出し、それをコップに注いで俺が座っている座敷のテーブルに二つ置き、ドッカリと座りながら「飲め飲め」と俺に勧める。

 その様子を見ていると、どうやら話が長くなるっぽい。気軽に聞き出そうとした事を少し後悔する。オヤッサンがどうこうという訳ではなく、長い話は単純に苦手だ。眠ってしまわないかが不安になる。

「岩下はなー、俺の高校時代の後輩でなぁ。同じ料理研究会に入ってたんだよ。当時そんなに話した事があるって訳じゃねぇけど、可愛い子だなーとは、思っとったなぁ」

 再びタバコに火をつけながら、オヤッサンは話し始める。

 それにしても、今のヒゲモジャ小太りの姿を見ていると、料理研究会という響きがあまりにも似合わず、つい笑ってしまいそうになった。短い高校時代の話になるが、俺の高校の料理研究会には、男は一人も居なかった。

 女性目的だったのかなぁ……なんて失礼な事を考えてしまう。

「そんでな? この店を開いてちょうど十年後に、たまたまこの店に来たんだよ。埼玉が地元でもねぇのに、ビックリしてなぁ。昨日の嬢ちゃんみたいに浮かない顔しながら一人で来て、カウンター席に座ってな、俺ぁこんな性格だろ? つい声かけちまってよぉ」

「……なるほど」

「なんでも大学出て、そこそこの企業に就職したらしいが、転勤転勤でな、腰を落ち着ける事が出来ない上に、行く先々で人間関係が上手くいってなかったらしいんだよ。変わりもんだったからなぁ岩下は」

 確かに、岩下さんは少し変わっていた。言葉遣いが荒い上に、気に食わない事があればダンマリを決め込む。それはお客さんにたいしても変わらず、あからさまに態度を悪くしていた。そういった自由奔放な様子を目にして、経営側、つまりオヤッサンの奥さんだと、勝手に思っていた。奥さん以外があんな事をすれば、クビにされていても不思議じゃない。

 俺が想像するに……だが、容姿が美しかっただけに、学生時代はワガママばかり言っていて、それら全てが通ってしまい、それが当たり前になった結果なんじゃないかと、思う。

 勘違いして、勘違いしたまま大人になってしまい、上手く行かないのは周りのせい……とでも、思っていたのでは無いだろうか。諦める事が、出来ない人。

 諦める事が当たり前の俺とは、真逆だ。

「んでな、アイツ俺の事覚えてて、すんげぇ喜びやがってよぉ……何度か一緒に飯食いにいったり相談に乗ったりしてるうちに、突然会社辞めたって言い出して、うちに転がり込んで来たんだよ。なんでも上司と大喧嘩して、退職届け叩きつけてきたらしいんだよ。あんっときは、さすがに驚いたなぁ」

「うぁ……感情的な人だと思っていましたけど……」

「だろぉー? 今考えると、アイツぁやべぇ奴だったんだよ。だけど当時の俺は、頼られた事が嬉しくなっちまってなぁ……ついつい雇っちまって、一緒に住む事になったんだよ」

 オヤッサンは、人がいい。

 俺のような高校中退で自分の事を何も話さない、無愛想な人間のクズに対しても、目をかけてくれる。

 調理師免許を取らせてくれた事や、正社員にしてくれた事を考えると、困っている人を放っておけない性格だという事が伺える。

 ……今更な事を言うようだが、俺は、オヤッサンに救われてるんだよな。

 なんだか、自分が恥ずかしい存在のように、思えてきた。

「んでなー、俺ぁアイツと付き合ってるもんだと思ってたんだけど、アイツはどう思ってたんだか、男前な客と夜遊びしたりしてたんだよ。一人や二人じゃねぇぞ? 五年だか六年だかここで働いてたけど、その間で十人以上の男と付き合ってただろうなぁ」

 オヤッサンは「へっへっへ」と笑い、タバコの灰をコンコンと落とした。

「こういっちゃクセェけど、運命みたいなもん、感じてたんだけどなぁ。アイツは俺の店を、人生の休憩所程度にしか思ってなかったんじゃねぇかって、今になって思うんだよなぁ。元々喧嘩してたっつぅのもあるんだけど、夜中に突然荷物まとめて、でてっちまったよ。そんで、それっきりだ。ははは」

「……酷い、女ですね」

 俺はつい、ボソリと呟く。

「おぉっ? そう思うかい? でもなー、これは俺の主観の話であって、アイツの言い分も聞いてみない事には、そうも言えねぇんじゃねぇかって」

「オヤッサン、人が良すぎですよ」

 俺がそう言うと、オヤッサンはタバコを吸い、大量の煙を吐き出す。

「……経験はな、人を成長させるぞ。おめぇも色々、経験して苦労してんだろうけど、その分でっかくもなれてる筈だ。損する事も多いけど、人との付き合いは、悪いもんじゃねぇぞ。縮こまってねぇで、おめぇも人と付き合え」

 オヤッサンはそう言い、俺の背中をバシンと叩いた。

 痛くはないが、熱かった。

「オメェの経験は誰かの助けになる筈だ。いつまでも童貞でいるんじゃねーぞトモー」

 オヤッサンの「がっはっは」という笑い声を聞きながら、俺の心に湧いた、複雑な思いと向き合うのだが、頭が整理しきれていない。

 この、複雑に絡まった糸を連想させる、黒いモヤのような感情は、なんだ?

 貧乏クジばかりを引いているのに、それでも「人と付き合え」と言う、オヤッサンの真意はなんだ?

 わからない……わからない……。


 しかし、ひとつだけ分かっている事があって。

 それは、俺は、オヤッサンを裏切りたくないという、思いだった。

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