オヤッサンの女性関係
職場である大衆食堂へと到着し、俺は座敷で寝転がりながら漫画の本を読んでいたオヤッサンに「おはようございます」と声をかけた。するとオヤッサンは「おーぅ。なんだすんげー早いな」と、とても元気な声で挨拶をかえす。
オヤッサンは漫画の本が大好きで、客間には大きな本棚があり、そこには大量の漫画の本が敷き詰められている。仕込みを開始するまでの間、オヤッサンはいつもそこの本を読んでいて、たまにセリフを音読したりして驚く。
俺はというと、漫画をあまり読まない。超有名所のものを何度か読んだ事がある程度のもの。興味が無い訳ではないが、熱中する事はなく、俺の部屋に漫画の本は一冊も置いていない。
「オヤッサン、漫画好きですね」
俺は座敷へと腰をおろし、オヤッサンへと声をかけた。
「おー、漫画はいいぞ。オラ、ワクワクすっぞ」
今まさにオヤッサンが読んでいる漫画の主人公のような口調に、俺は思わず「はは」と笑ってしまった。
「漫画ばっか読んでないで、オヤッサンこそ、そろそろ嫁探ししたほうがいいんじゃないですか?」
「お? なんだなんだ、今日は饒舌だな」
饒舌だな。自分でも思う。なんだろう、気分が良くて、話しかけたくなった。妹から逃げるようにして無駄に早く出勤してしまったが、妹と愛だ恋だの話をするよりも、オヤッサンと世間話をしていたほうが遥かにマシだと思う。
オヤッサンは漫画の本を置き「まぁーなぁー」と言いながら身体を起こし俺の顔を見て、自分の髭をジョリジョリと撫でる。
「嫁さん欲しいけど、こんな親父を貰ってくれる嬢ちゃんなんておらんだろ?」
「そうですかね、経営者だし気さくだし、本気で探せば見つかりそうですけど」
「おぉーっ? なんじゃお前急に。そんな褒めても給料は上がらんぞ?」
オヤッサンは「がははは」と笑い、テーブルに置いてあったタバコを手に取り、一本取り出して火をつけた。
しかし、たしかに俺は急に、よく喋るようになった。学生の頃よりも喋っているような気がする。指摘されると恥ずかしい。なんだか俺らしくないような、そんな感覚。
「まぁ経営者っつっても、まだ店の借金は残ってるがなー。あと五年は借金地獄だわ」
「そうなんですか」
「俺と結婚しても楽させる事が出来ないっつうのが、二の足踏ませてるんかねぇ。この店開いてから三人の嬢ちゃんと付き合ったけど、結婚には至らんかったな。結婚したら、嫁にも働いてもらわにゃならんくなるからなぁ」
オヤッサンは煙を吐き、目を細める。その瞳はどこか、遠くを見つめているよう。
思い出した。そういえば俺がここの店にアルバイトで入ったばかりの頃、三十代の女性が先輩としてこの店で働いていた。たしか名前は、岩下さん。綺麗な容姿をした、大人の女性といった印象を、俺は持っていた。
最初はオヤッサンの奥さんだと思っていたのだが、それはどうやら違ったらしく、俺が働きはじめて二年が経った頃、前触れもなく辞めていったのだった。
何も聞かなかったので事情は全く知らないのだが、あれは恐らく、オヤッサンと付き合っていたように、思える。
今まで無関心を貫いてきたのだが、今更になって、何があったのかが気になって来た。
「前に、岩下さんっていう人がいたじゃないですか」
「おぉー……お前そいつの名前を今出すかー? 勘弁してくれよぉ」
オヤッサンはタバコの灰を落とし、俺の目を苦笑いの表情で見つめた。
どうやらオヤッサンにとって、嫌な思い出らしい。明るく振る舞っているが、何かトラブルがあった事はこの反応を見ると、明らかだ。
興味を掻き立てられ、思わず俺は「何があったんですか?」と問いかけそうになるも、すぐに今朝の妹を思い出す。今朝の妹の行動は、かなりうざかった。
そもそも、今まで聞かなかったではないか。今更になって、何をしているのだ、俺は。これじゃあ今朝の妹と、変わらない。
「すいません」
「あー? なんだ、聞かんのかい。後学のために聞けや若者ー」
オヤッサンは昨日のように呆れたような表情を作り、不満そうな声を上げた。
……勘弁してくれと言っといて、どっちだよ。
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