ロストマンとロストウーマン
家族
失ったものは数え切れず。そして、計り知れず。
大切なものほど失った時の衝撃は大きい。そして失った方法が不条理なほど、精神に与える影響は大きい。
あれから俺は、何も求めなくなった。感謝も謝罪も、物も心も、何一つ、欲しがらなかった。
何も求めない代わりに、俺には何も、求めて欲しくなかった。俺はただ生き、金を生み、そして死んでいく。それだけの存在で、在りたかった。
失うくらいなら、最初から何も持たなければいい。家族も友人も恋人も、欲しがらなければ、手に入らない辛さも、失った時の悲しみも、感じる事は無い。それが俺が導き出した、人生の答え。
その筈、だった。
その筈だったのに、突如として俺に訪れた、感情の起伏。それは人から与えられた、喜びというものだった。
喜びのチカラは、凄まじかった。死んだように凝り固まり、溶けず動く事の無かった俺の心がゆっくりと、ゆっくりと、息を吹き替えしていくのを、感じている。
俺の心が、もっと、もっと、喜びたいと言っている。人の心に触れたいと、言っている。それは俺に、生まれたての雛を連想させた。感情を食って、成長する鳥。いつか羽ばたく時を、待っているかのよう。
そうか。なるほど。俺の心は、生まれ変わりつつ、あるのかも知れない。
十代の中頃に死んだ俺の心は、二十代前半にして、第二の人生を、迎えようとしている。
の、かも知れない。
目が覚めたのは、朝の七時半。いつもなら「なんだよ」という思いを抱きながら二度寝する所ではあるのだが、今日の俺は身体を起こした。
頭が非常にスッキリしていた。そして身体からは疲れと眠気の全てが抜けきっている。四時間ほどしか眠っていないのに、これほど清々しい寝起きは、かつて無い。
一体、どうした事か……なんて思いながらも俺は便所へと向かうためにリビングへと顔を出す。するとそこには夏休み期間ではあるが部活に向かうため、制服に着替えて朝食をとっている妹と、座布団を枕にして寝転がりながら朝の情報番組を見ている母親が居た。
「あれ? 兄貴今日も早いんだね」
妹が珍しいものを見たかのような表情で声をかけてきた。
いつもならここで、半分無視をするように「まぁ」という意味のわからない返事をする所だが、俺の口から出てきた言葉は「なんかスッと目が覚めた。すげぇ目覚め良かった」という、文章と呼べるものだった。俺の場合、気分がいいと、出てくる単語や言葉が自然と柔らかく、そして長くなるらしい。
俺はそのままノソノソとリビングを抜けた先にある風呂場の隣のトイレへと向かおうとするのだが、妹は「そうなんだ、早く帰ってきていっぱい寝た?」と、更に会話を続けようとする。
ほんの少し、本当にほんの少しだけ、面倒臭いという感情が沸いてきたのだが、俺は仕方なくその場に立ち止まる。
「いや、いつも通りの時間に帰ってきて、そんなに寝てない」
「へぇー……」
妹はそう言い、特に表情を変える事なく、俺の顔を見つめてくる。俺は視線を外す事が出来ずに、良くわからない時間が数秒過ぎた。
「あー……お前、宮田エイコって人、知ってるか?」
俺は話題に困り、つい宮田ちゃんの事について聞いてしまった。
妹と宮田ちゃんは同じ十六歳で、もしかしたら学区が一緒で中学生の時同級生だったりしないだろうか……なんていう事を思っての質問。
しかし、こんな方法で宮田ちゃんの情報を仕入れるのは、あまり本望では無い。なんだか卑怯というか、気持ちが悪いと、自分でも思う。
「宮田エイコ? えー、知らないなぁ」
妹のその言葉を聞いて、何故だか安心する。卑怯者にならなくて済んだからだろうか。
心というのは、複雑だな……宮田ちゃんの事を知りたいと思っていたのに、知れずに済んで、安心している……俺は何がしたいんだ。
「そうか」
「その人がどうかしたの?」
「いや、別に」
俺はそう言い残し、リビングから立ち去ろうとトイレへと向かう。
「えー何ー? もしかして兄貴」
「なんでも無い」
「えー? バイト先の子ー? ねー、可愛いのー?」
妹は水を得た魚のように活き活きとし、声を弾ませて質問攻めにしてくる。
しつこい……察するな。女の勘なのかなんなのか、ほんの一言の女性の名前と、恋愛感情を結びつける速度が、早すぎだ。
血縁関係のある人間に、愛だ恋だという話は、なんだか恥ずかしすぎる。他人に話すよりも圧倒的に、話しにくい。
俺に彼女が出来たとして、それを妹に報告する時は、おそらく来ない。しかしそれは妹だって同じだろう。俺に彼氏を紹介する時は、結婚報告の時ではないかと、思っている。
「私とどっちが可愛いー? ねー?」
俺は妹の言葉を無視して、トイレへと入った。しかし妹は俺の後をつけてきたようで、トイレの扉をコンコンと叩きながら「ねーねー」と、嬉々として声をかけてくる。
しつけぇ……コイツは何を調子に乗っているんだ。何故こんな事で元気になる? 訳がわからん。
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