楽しい会話

「……接客業を、続けるコツは」

 俺は自然と、声を漏らす。

 視線は下処理をしている、からあげ用の鶏肉へと向けた。

「自分の意思を、無くす事かな……」

 俺の言葉を受け、宮田ちゃんは「えー」という声を漏らす。

「そうじゃないと、ノイローゼになって、病気になる。そういう人も居る」

 偉そうに、何を言っているんだ、俺は。それは、接客業を始めたばかりの、俺の事だろう。

 宮田ちゃんはきっと、こういうアドバイス染みた事を聞きたいんじゃない。さっき宮田ちゃんが言った通り、苦労をわかって欲しかっただけ。

 妹がそうだ。時々、グチグチと、学校であった嫌な事を話題にする。女子にはそういう傾向があるのだろう。

「……人生経験が短い、子供の言う事と思って受け取って欲しいんですけど」

 鶏肉を切り分けていた俺に、宮田ちゃんは更に声をかけてくる。それも、本当に今時の若い子とは思えない、とても丁寧な前置きを、おいて。

「一見、いい事とは思えない愚痴や悪口って、実は人の心を晴らす効果があると、僕は思うのですね」

「……うん」

「それが出来る相手がいれば、必ずしも、意思を無くす必要は無いんじゃないかと、僕は思っています」

 俺はもはや、言葉が出てこなかった。

 相槌さえも、うつ事が出来ない。

 なんだ、この子は。十六歳で、何故そこまで考えられる? 何故、会話というものの本質を、理解している? 俺が十六の時はそんな事、考えもしなかった。意識すらしていなかった。

 十七の時に事件が起こり、友人が離れていって、ようやく「寂しさ」を理解出来るようになり、絶望を知り……そこで俺の思考は、ストップしている。

 宮田ちゃんはその先を、考えていた。知っていた。

「だから、自分の本心を話せる相手を見つける事が、大事なんじゃないかなーと、若輩者ながらに、思っていますよ」

 包丁を持つ手が震えてしまい、俺はまな板の上に、ゴトッと落とす。

 何一つ反論する事が出来ない。言葉を差し込む隙間さえ無い。正論中の正論。ド正論である。友人の役割のひとつに、それが含まれていて然るべき。

 友人を持たなくなって数年間、思考停止して生きていた俺は、そんな当たり前の事すら、分からなかったんだ。恥ずかしい……情けない……。

 しかし、だからと言って、俺の抱えている本心は、誰にも話せない……なんだ、このモヤモヤとした気持ちは。

 気が、狂いそう。

「昨日の送別会で退職した人、居るじゃないですか。よく僕の話を聞いてくれてたんですよ。なんか日課としてたお喋りが出来なくて、今日ちょっと、ブルーでした」

 ……そうか。俺は。

 俺は先程、宮田ちゃんに、試されたんだ……。

 宮田ちゃんは自分の思った事を話して、俺が信用出来るかどうかを、試した……。

 同じ職場で本心を話せる人……というより、愚痴を言えたり、世間話が出来る人を今、探しているのだろう。同じ苦しみを持つ人同士でしか出来ない会話も、あるのだから。

 宮田ちゃんにとっては、昨日退職したオバサンがその対象だったのだろう。気軽に愚痴を、吐けなくなってしまったのだろう。

 そして俺は恐らく、見事に、落選しただろう。親しい訳でも無いくせに、偉そうに糞みたいなアドバイスをしてしまったのだ。愚痴を吐けば、説教されると、思われても仕方がない。

「あーそうそう、昨日の夜、やたらと僕に絡んできた人、居るじゃないですか。その人が今日働いてる最中に来て、馴れ馴れしく話しかけてきたんですよ。昼間はお弁当とかドリンク類とかいっぱい入ってきて、すっごく大変なのに。ほんっと、空気を読めない人なんだなって、嫌な気分でした」

 宮田ちゃんが声色を明るくして、少し弾む声で、話を続けた。

 もしかして、世間話を、してくれている……?

「あぁ……あいつ、彼女居るよ。相手にしないほうが、いいと思う」

「ええっ! 不誠実そうに見えてたけど、見た目そのまんまなんですね! うわぁー引きますねー。ああいう人は、一切信用出来ませんね。空気も読まないし浮気性だし不誠実だし、んっとに、質問されても何も話せませんよ」

「あいつ、深夜に弁当の搬入された時、よく便所に逃げるんだよ」

「うぇー、サイテーですねー……って、今の僕も空気読めてないですね。すみません、仕事中に話しかけて」

 宮田ちゃんは後頭部を二度ポンポンと叩き「ふはは」と笑い、頭を下げた。

「……いや、仕込みなんて慣れたもんだし、大丈夫」

「そうなんですか? ここで働くようになってどれくらいなんです?」

「四年、くらいになるのかな」

「えっ! 長いですね! 調理師免許持ってます?」

「持ってる」

「すごいですね! えーそうなんだー。確か二年以上の実務経験があれば受験出来るんですよね? もしかして一発合格とか?」

「うん。オヤッサンが色々教えてくれて、受験料も払ってくれて、合格したら正社員として雇ってくれたよ」

「うわぁー! なんかいいですね、師弟関係って感じですね」

「まぁ……そうだね。でもここだけの話、給料はすごく低いよ。だから深夜のバイトもやらなきゃ、家族を養っていけない」

「え? ご結婚なさっているんですか?」

「あー、違うよ。母親と高校生の妹が居てさ」

「へぇー、大変、なんですね?」

「まぁ……」

 宮田ちゃんは生き生きとした表情で、俺との会話を積み重ねていく。

 ……どう思えば、いいんだろう。そして俺は、どういうつもりなんだろう。

 こんなに沢山、他人と会話をしたのは、じつに久しぶりの事。家族とでさえ、こんなに話したりはしない。

 それがすごく、すごく、楽しいと、感じている。気分が晴れていく。

 宮田ちゃんの言っていた事がそのまま、体現されている。

 楽しい……楽しい……。

 会話って、楽しかったんだ……。

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