会話
こんな事、誰かに話してどうなる、困らせるだけだ……そんな意識が、俺に身の上話をさせなかった。しかし、その意識が俺と他人との間に溝を作っていて、いつの間にか俺に話しかけてくる人は数える程度になっている。
今さっきだって、俺は話そうかどうか、悩んでいた。高校を中退した……という事実は、その言葉だけを聞くと、決して印象の良いものでは無い。あわよくば、黙秘を貫きたい所である。
だけど俺は、会話の流れで仕方がないとはいえ、話してしまった。そしてものすごく、恥ずかしい思いが湧き上がる。
言い訳を、したい。何故、高校を中退してしまったのか、全てを話したい。
しかしそれは、話された側が困るほどの事。決して決して、話せない。
「……注文、なんにします?」
二人の間で長い沈黙が流れ、俺は耐えきれずに、ほんの少し笑顔を曇らせながらうつむいている宮田ちゃんへと話しかけた。
宮田ちゃんはパッと顔を上げ「あっ……そうだった、えーっと」と呟き、ようやくメニューに視線を向けた。
「んー、工藤さんのオススメひとつ」
何故か嬉しそうに笑う宮田ちゃんは俺の目をジッと見つめ、そう言った。
宮田ちゃんのそんな表情を見せられると、頭がグラグラとしてくる。彼女は笑顔とわずかな言葉だけで、人を魅了してしまう。
何人もの男がこの笑顔にあてられ、熱病のような症状に陥り、撃沈してきた事だろうな……あの笑顔と、名前を呼ぶのは、反則技だ。テレビでアイドルやら女優やらが笑いかけてくるのとは訳が違う。画面を通さないで見た美少女の笑顔は、もの凄い破壊力を持っている。
「……からあげ定食、ですかね」
「あ、じゃあそれひとつ」
「はい。オヤッサン、からあげ定食ひとつ」
「あいよーぅ!」
宮田ちゃんは微笑み、テーブルに両肘をついて、手の平に顔を乗せた。仕草、笑顔、その全てに品性を感じる。
一見すれば、良い所のお嬢さんのように見えるのだが、朝から昼までコンビニで働き、夜間の定時制高校に通っているという事実を考えれば、そんな訳がない。
何か、事情があるのだろう……。
その事情に興味が湧くが、昨日の夜、後輩の大学生がしつこく宮田ちゃんに付き纏い、質問を投げかけて続けていた所を思い出すと、何も言えなくなる。
ましてやその時、宮田ちゃんは、困っていたのだ。質問なんて、出来る筈もない。
俺は氷の入ったピッチャーからコップへと水を注ぎ、カウンターの上から宮田ちゃんのほど近くに水を置く。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
宮田ちゃんはやはり、ニコリと微笑む。そしてほんの少し、頭を下げた。
いい子だな……本当にこの娘は今時の若い子だろうか。
「あー……ねぇ、工藤さん」
夜の仕込みの続きをしようと手を動かし始めると同時に、宮田ちゃんが俺へと話しかけてきた。
内心ドキッとしたけれど、俺はなんでもない風を装い、視線を少しあげて宮田ちゃんを見る。
「接客業、していると……人の嫌な所、いっぱい見えますよね」
……突然、なんだ?
宮田ちゃんは今までで一番低い声で、まるで落ち込んでいるかのようなローテンションで、話し始めた。
「……まぁ、そうかも」
「今思った事なんですけどね、態度悪いお客さんとか、いっぱい居るじゃないですか。僕が悪い訳じゃないのに、何故か謝らされて、それでも笑顔で接客させられて、文句のひとつも言えない状態じゃないですか」
「……そうだね」
「僕はただ、生きる事に一生懸命になっているだけなのに、どうして抵抗できない相手を平気で傷つける事が出来るんだろうなーって……」
生きる事に、一生懸命?
なんだ、その言葉……なんだ、その、言葉……。
なんで、宮田ちゃんのような若い娘が、生きる事に、一生懸命に、なっているんだ?
まだ十六だろ? 苦労をするべき、年じゃない。
小遣い稼ぎで、働いている訳じゃないとは思っていたが、まさか、完全な生活費のためなのか?
「だから僕、接客業の人には、ありがとうって言おうって、思いました」
「……そうだね。いい事、だね」
俺がそう言うと、宮田ちゃんは「ふははっ」と笑う。
そして何故か、自分の後頭部を二回、ペシペシと叩いた。
「同じ接客業してる工藤さんなら、わかってくれるかなーって思って、話しちゃいました」
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