第25話「ニンファエアとサーシス(中)」
私の母――
そんな重要なポストに就いている母が忙しくないわけもなく、父親を早くから亡くしたこともあり、幼い頃の私の思い出といえば、我が家より預けられた親戚の家のことばかりだったように思える。
勿論寂しくもあったが、中学生ぐらいになれば、母の仕事の重要性もなんとなく理解し始め、気づけば私も、母と同じ道を歩みたいと思うようになっていた。
母が特に力を入れて研究していたのが、レヴェナント現象の際、人体にどのような化学反応が引き起こされているのか。
直接の解決策にはならずとも、この不可解な現象のメカニズムが紐解かれれば、必ずそこに光明は差し込むはず。
真っ暗な社会で光を求め、戦い続ける母の姿は、私の憧れになっていた。
しかし、そんな研究一筋の母にちょっとした変化が訪れる。
出掛ける時、いつもより化粧に時間をかける――そんな些細な変化。
それが何を意味するのか、同性の私が気付くのにそれ程時間はかからなかった。早くから夫を亡くした母の寂しさが紛れるのであれば、歓迎すべきことだ。
だから、母が再婚すると言ったときも、特別驚くこともなく素直に受け入れることができた。
――実際にその男と出会うまでは。
母に紹介され家にやって来た男は、整った顔立ちに人当たりも良さそうな、
私が少し話した限りでも、細かい気遣いやふとした仕草にその優良物件ぶりが
職業はレヴェナント退治を生業とするエンバーマー。母が抱く志に深く感銘を受けたと語っており、半分面接官の立場で観察していた私も、ついには太鼓判を押していた。
男の様子が変わったのは、亡くなった奥さんについて語り始めてからだったと思う。
奥さんも同じエンバーマーだったらしく、最後はこの国の未来の為に命を落としたのだそうだ。
恋は盲目。母が男の僅かな変化に気づくことはなかった。もしかすると、目を逸らしていただけなのかもしれない。
私は確信する。
この男の眼に母の姿は映っていない、と。
彼が取り憑かれるように見ていたのは、何も語らぬ亡霊だった。
私は母に結婚を考え直すよう訴えかけたが、果たして母の気持ちが変わることはなかった。
それからトントン拍子に話は進んだ。
そして、私は出会うことになる。
その男の連れ子であり、私の義弟になる少年――久遠隼人に。
***
ファミレスで初めて
隼人の父、
かくして新生久遠家の生活が始まったのだが、私から見ればそれは酷く歪で、風が吹けばあっという間に瓦解してしまいそうな張りぼての関係性に思えた。
義父となった久遠透は、どうやら優秀なエンバーマーらしく、常に前線に駆り出されていたし、母も一時は冷めかけていた研究熱が再び高まり、それに没頭。
となれば必然的に、家に居るのは私と義弟の隼人だけになる。
初めて隼人と顔を合わせた時、私はどうにもこの子のことが好きになれなかった。
母を弄ぶあの男。隼人の容姿はその父親に余りにも瓜二つだったから。
勿論隼人に罪はないことは百も承知だ。それでも結局、感情なんてものは百なんて簡単に飛び越えてしまう。
あの時は、隼人の無垢な笑顔に
……そのはずだった。
***
授業が終わり、仲の良い女友達と喋りながら帰り支度をしていると、突然一学年上のサッカー部の先輩から呼び出しを受ける。
キャーキャーと囃し立てる友達。
特に面識もなかったし、まだ告白だと決まった訳でもない。
「でも、あの感じは絶対告白だよー!」
「万が一告白だとしても、特に接点もないよ」
「えー、凛花、それまじで言ってるの? あの先輩、格好良いし、優しいしで大人気なんだよ! とりあえず付き合ってみたら、意外に気があうかもしれないよ!」
友人の一人――
生まれてこの方、恋愛などしたこともなかったが、それは母と自分を重ねて、足踏みし続けたからなのかもしれない。
このままでは、一生あの家に縛られる。
ならばこの機会に彼氏でも作って、一刻も早くあそこから出て行きたい。
周りの熱にも浮かされる形で、私は待ち合わせ場所の屋上へと向かった。
放課後の屋上。
初夏の熱をはらんだ生暖かい風が肌を撫でる。
その
こちらに気づき、少し表情を崩すも、一つ息を吐いて言葉を紡ぎ始める。
私もその異様な空気に当てられ、呼応するように胸の鼓動が早くなっていく。
「久遠凛花さん、一目見た時からずっと君が欲しかった。俺と付き合ってくれないか?」
「ごめんなさい、私が居なくなっちゃうと弟が1人になっちゃうので、あなたとはお付き合いできません」
その言葉は余りにも自然に、そして素早く発せられ、まるで別人の言葉を自分の耳で聞いているような
それは、先輩にとっても予想外の反応だったらしく、一瞬無言の
「「は?」」
先輩が実際に発した驚愕の声と、私の心の声が重なってハウリングを起こす。
風は既に吹き止み、部活動に励む生徒たちの掛け声だけが聞こえている。
「ごめん、冗談だよね? 弟?」
「……はい、まだ小学生の弟がいまして」
先輩はゆっくりと私の言葉を
そして、明らかに怒気の篭った声で私に問いかける。
「いや俺だって部活がある中、時間作って告白してる訳じゃん? それを
それを聞き、私の意識と言葉が同化していく。
脳の前頭前野と言語野にしっかり電気信号が流れ、はっきりと言葉を出し切る。
「お互い忙しいなら尚更ですね。ごめんなさい、あなたとは付き合えません」
そして踵を返して屋上を後にする。
後ろで先輩が何か叫んでいたが、あいにく私の聴覚野は仕事をしていなかった。
家に帰ると、ドアの前で隼人が座り込んでいた。
私を見て一瞬嬉しそうな表情をしたが、すぐにそれを引っ込め怯えた顔つきに変わる。
「ごめん、おねえちゃん。鍵を無くしてしまいました」
私はそれに返事はせず、黙ってドアノブに鍵を差し込み、ドアを開ける。
返事がないことで、家の中に入って良いのか分からずオロオロしてる隼人に向けて、酷く冷たい声で吐き捨てるように言う。
「ずっと外に居たいの? いいよ別に、私は困らないし」
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