第19話「彼女は今もタイタニックの上」
上級エンバーマーは、エンバーマーとして一年以上活動し、特に実績が高い者に与えられる資格だ。
IEAは、各エンバーマーの活動実績を常に記録しており、上級エンバーマーは評価に応じてB級、A級、S級と序列化される。
ちなみに、支部長はB級以上の資格を持っていなければならない。また、S級エンバーマーは、一国家の下で動いてはならず、IEA直属のエンバーマーとして扱われる。
可憐は、十歳の頃からエンバーマーとして活動し、一時はA級エンバーマーだったこともある。
そんな彼女が、なぜか俺の部屋へ一足先にお邪魔していた。鍵は掛けたはずだが、こういうことは初めてではないので気にしないことにする。
「ただいま、可憐。こんな深夜まで待ってくれなくても良かったのに」
可憐は虚ろなまなざしで、鞄からDVDを取り出す。
「これを、隼人くんと一緒に観たくて……」
取り出されたDVDには、巨大な船の船頭と抱き合う男女のパッケージが描かれている。俺は、可憐と何度この映画を観ただろう。実際に起こった豪華客船の沈没を基に作られた、映画「タイタニック」。不安定になると、可憐は必ず俺とこの映画を観る。
俺は了解の意思を示し、ディスクを入れる。
タイタニックは、身分を超えた恋と、豪華客船の沈没という二つの要素が入り混じるラブロマンス作品である。
物語は、生存者である101歳の老女ローズの回想によって進められていく。
当時17歳だった上流階級の令嬢ローズは、豪華客船タイタニック号で、貧しい青年ジャックと出会う。身分の違う二人は、互いに惹かれ合い、そして恋に落ちていく。
身分の高さゆえの不自由さに苦しむローズは、自らの命を絶とうとする。しかし、ジャックは船頭に立ち、ローズの背中を抱きしめ、大海原を見せる。その光景を見たローズは言う。
「私、飛んでるわ!」
しかし、そんな二人を引き裂くかのように、タイタニック号は巨大な氷山と衝突してしまう。沈みゆく船の中、ジャックはローズを庇って命を落とす。
画面を見る可憐の表情はほとんど変わらない。まるで身体を置き去りにして、心だけ映画の世界に入ってしまったかのように。可憐もきっと沈みゆく船の中にいるのだ。ただ、その船は、タイタニック号のような煌びやかな豪華客船ではない。
200体の死体を乗せた密輸船だ。
***
一年前、ある情報が、IEAにリークされた。
中東にある新興国タリズが、原石の死体200体を船で密輸しようとしており、その密輸船が一度台湾に寄港する、と。
リークを受けたIEAは、この件を危険レベル特Bと認定する。
危険レベルとは、IEAが定めた、一国家の政府だけでは対応できない重大な被害を及ぼす可能性のあるレヴェナント災害及び、テロ行為に適用される指標である。
IEAが定めた危険レベルは、C、B、特B、A、特A、Sの六段階にランク分けされる
Cだから危険度が低いというわけではなく、危険レベルが適用された時点で、その災害や事件は甚大な被害を及ぼす可能性があることを示す。
危険レベルC以上と認定された場合、IEAは上級エンバーマーを緊急招集する。この招集は命令であり、断った際にはペナルティが課せられる。S級、A級エンバーマーならば、序列を一つ落とされ、B級エンバーマーならば、上級エンバーマーの資格を剥奪される。
IEAは、タリズへの密輸船の取り締まりの為、十数名の上級エンバーマーに招集をかける。寄港先が台湾だとリークされていたため、日本からも招集された。
その中には、当時A級エンバーマーだった可憐と可憐の兄、
可憐は麗斗さんとともに命令に従い、密輸船を取り締まるため、寄港先の台湾に行ったそうだ。
しかし、密輸船は直前で進路を変更する。途方に暮れていた可憐たちに、あるエンバーマーがこう提案した。
「IEAからの指示を待っていたら、密輸船を逃してしまう。船を使って、海上で取り締まるべきだ」
その男は、ロシアから招集されていたエンバーマーで船を所持していた。可憐たちは彼の提案を受け、東シナ海の海上を進んでいた密輸船に接触する。
密輸船には、数名の乗組員しかいなかったそうだ。可憐たちは乗組員を捕らえ、密輸船の制圧に成功する。
ところが、突如として密輸船に大きな揺れが走る。船は制御を失い、次第に海面が近づいていく。
可憐たちが乗ってきた船は、既に沈みゆく密輸船から離れていたそうだ。
パニックに陥りながらも、密輸船の中の救命ボードを探す。しかし、救命ボードには既に山のような死体が乗せられていた。
そこで、例のロシア人エンバーマーが言ったそうだ。
「救命ボードは、死体が優先だ」
可憐たちは、嵌められたことに気づく。沈みゆく船の中、可憐はせめて裏切り者だけでも殺そうとする。
しかし、可憐は兄の麗斗さんに殺される。麗斗さんは、可憐を気絶させ、体格の小さい彼女をバレないように死体の中に紛れこませたらしい。
可憐が目覚めた場所はIEAの救難艇の船内だった。
可憐は、自分はどこで助けられたのかを尋ねたが、返ってくる答えは曖昧なものばかり。
そこで、可憐は悟ったそうだ。これは、IEAも一枚噛んでいると。それが、組織全体か個人なのかは分からないが。
密輸船に乗り込んだエンバーマーは、可憐以外行方が分からなくなったそうだ。もちろん、麗斗さんも帰ってくることはなかった。
その後、死体を密輸しようとしていたタリズは国連から脱退させられ、現在はIEAの管轄外の国となっている。つまり、エンバーマーのいない黄泉の国だ。
送り出したエンバーマーを失った各支部は、IEA本部に密輸船沈没の事実解明を求めた。
中東のタリズに密輸するために使ったルートが、台湾を経由するものだったので、ロシアや中国から密輸船が出港したのではないのか。そういった疑惑もあがったが、国連の常任理事国であるロシア、中国はその疑惑を否定した。また、この二カ国からも数名エンバーマーが招集されていたため、深く追及されることはなかった。
可憐は、この沈没事件について一度ざっくりと語ってくれただけなので、船上で実際に何が起こっていたのか、詳しいことは俺には分からない。
ただ、可憐は確信している。裏切ったロシア人のエンバーマーだけは、まだ生きていることを。
さっきも言ったが、可憐は俺なんかよりずっと強い。彼女は、その宿敵を殺すためだけに生きている。何かに縋らなくても生きていけるのだ――その男を殺すまでは。
***
画面では、「タイタニック」のラストシーンが映し出されている。
沈みゆく船の中、ジャックはローズを庇い、命を落とす。しかし、ジャックは最後に言うのだ。
「何があっても、生き続けると約束してくれ」
ローズの回想が終わり、現在に戻る。101歳になったローズの姿。それが意味するのは、愛するジャックのいない世界をずっと生き続けたということ。そして、死ぬ間際に、ジャックとの思い出の品である「
可憐はこのシーンの時だけ、少し表情が変わる。彼女は、一体どんなエンドロールを描いているのだろうか。
愛するジャックを失ったローズは、どのような思いで残りの人生を過ごしたのだろう。
老女のローズは言った。
「彼は今、私の記憶の中だけで生きているのよ」
きっとローズの心は、常に沈んだ船の上にあったのだ。ジャックと愛を深めたあの時の船の上。最後まで生きることをやめなかったローズは、宝石とともにその船に還っていく。
可憐はどうだろう。可憐は、今も死体を乗せた密輸船の上にいる。だが、その船にはローズのような楽しかった思い出など存在しない。それでも、彼女はその船の上にいる。
可憐は宿敵を殺したあと、ローズのように、その船に還るのだろうか。
画面の「タイタニック」は、エンディングを迎えていた。セリーヌ・ディオンの「My Heart Will Go On」がエンドロールで流れている。
この曲のタイトルは、私は今も生き続ける、という意味だ。ジャックを失ったあとも、記憶の中のジャックと生き続けたローズの人生を歌った曲だと、俺は思っている。
可憐が描くエンドロールに「My Heart Will Go On」は流れないだろう。無音の中で、死体を乗せた密輸船に還っていく可憐。そんなエンディングは見たくない。それはきっと、麗斗さんも望んでいないはずだ。
貧しい身分のジャックは、豪華客船タイタニック号のチケットを、ギャンブルで勝つことで手に入れた。身分の差を埋め、ローズと同じ船に乗ったのだ。
俺が可憐と同じ船に乗るためには?
決まっている、強くなるしかないのだ。まだエンバーマーになって半年の俺は、上級エンバーマーにはなれない。だから、あと半年で実績を積み上げる。
IEAからの緊急招集もかからないようでは、あの密輸船に乗ることだってできないのだから。
可憐は必ず宿敵の男を殺す。その時、俺はどこにいる?少なくとも、ここでは駄目だ。
ジャックのように船頭に立ち、彼女を空へ飛ばしてやる。
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