第13話「一つを除いて煩悩を捨てる簡単な方法」

 葉月さんが喫茶店を出て行った後、冷めたコーヒーを飲みながら考える。

 22:00に新宿へ行くべきかどうか。IEAや他のエンバーマーに報告した方がいいのか。公にせずとも、可憐には事情を話して、付いてきてもらった方が良いのではないか。そもそも、葉月さんの虚言ではないのか。


 冷めたコーヒーは、苦味が強く感じるので、砂糖を混ぜて味を誤魔化す。

 雑多な考えや疑問が、次々と浮かんでは脳内で混ざりあっていく。コーヒーに継ぎ足されていく砂糖と同じで、結局は黒のままだ。色々混ぜても、色は変わらないのだ。


 あれこれと考えていたが、俺の中での結論は最初から最後まで変わらなかった。

 22:00、新宿で葉月さんを買う。

 大人数で行くなんて、無粋な真似はしない。ワイワイ楽しむショッピングなどではなく、マンツーマンの商談だ。


 社寮の自室に戻り、制服を脱いでエンバーマーとしての装備を整えていく。高校生はもう終わりだ。まあ、今日、色んな意味で終わってしまったけど。


 ***


 22:00、俺は新宿の駅前にいた。相変わらず駅前は、人で溢れている。そして、溢れる表情には疲れ切ったものも多い。この時間帯、おそらく仕事帰りのサラリーマン達が大勢いるのだろう。

 葉月さんからは駅前としか言われていなかったので、適当にぶらついてみる。路上では、弾き語りをしている人も目につく。この時間帯にえそうなのは、応援ソングだと思う。しかし、彼らが歌っているのは、甘酸っぱい出会いが題材の、恋愛ソングだ。


「あたし、恋愛ソング好きじゃないんだよね。近くて、でも、一番遠いから」


 急に声をかけられて振り向くと、葉月さんがいた。葉月さん、えらいポエってるな。まあ、歌とか聞くと、ポエりたくなる気持ちは分かる。二次災害みたいなものだ。


「葉月さん、こんばんは」


 夜の挨拶をすると、葉月さんは言い慣れた口調で俺を誘う。


「ねえ、お兄さん、からだ買わない?」


 恋愛ソングではまず使われないだろう。ほろ苦いどころかブラックな出会い方。


「はい、買わせてください」


 連れられた場所は、地下のクラブのようなところだった。葉月さんに少し待つよう言われたので、店内を物色してみるものの、人も物も見当たらない。何のお店なんだろうか?


「お待たせ。久遠くんは、どのからだが好み?」


 葉月さんがドアを開けて、奥の部屋から姿を見せる。三段重ねのストレッチャーのようなものを押していた。乗っているのは、3人の人間。臭いからして死体だろう。


「うーん、チェンジで」


 葉月さんはクロだった。ほとんど分かっていたことだったが、微かな希望は持っていたのだ。そんな希望も混ざり合った色は、黒。


「葉月さん、なんでこんなことをしてるんだい?まだ身体を売っている方が健全だと――」


 バチン 彼女が死体を叩いた。


「この人たちね。全員、性犯罪者なの……」


「身体を売る方が健全……?久遠くんもそういう人種なんだね。なんかガッカリだな」


 彼女はポケットからナイフを取り出し、死体に突き刺す。


「あたしのお父さんも同じ。中学教師だった癖に。生徒に淫行してたんだ。それがバレてお母さんとは離婚。でも、世間体と経済力だけはあったから、親権はお父さんが持つことになったの。――お母さんが申立しなかっただけなんだけどね」


 ナイフは死体をえぐっていく。


「性懲りもなく、お父さんは生徒への淫行を続けた。その結果、バレて懲戒免職。自暴自棄になったお父さんの矛先は、あたしに向いた」


 まるで彼女の心もえぐるように。


「辛かったけど、一線は超えられなかった。だけどある日、お父さんの欲望はピークに達したみたい。犯されそうになったあたしは、台所のナイフでお父さんを刺した」


 彼女の持つナイフが光った。おそらくあのナイフなのだろう。


「そしたらね。お父さん、レヴェナントで蘇ったんだ。今まであたしに性欲しか向けてこなかったお父さんが、ただあたしを殺そうとしてきた。そこにあったのはね、殺害欲求だけなんだ……!」


「レヴェナントになったらね。殺害欲求以外、全ての欲望が消えるの。あたしが大嫌いな性欲もね!あたし、初めてお父さんから、性欲以外の欲望をぶつけられたの!」


「そこからは、まあ色々あって今に至るの。この死体も、懺悔するために、送ってもらってるんだ」


 葉月さんの辛い過去は分かった。一番知りたかった部分は、端折られてしまったけど。

 だが、聞き捨てならない単語が耳に入った。「懺悔」だと?


「ちょっと待って、その死体を送ってもらってるってのは?」


 彼女は答えない。その代わりにナイフをこちらに向ける。


「これは救いなんだよ。久遠くんもね、要らない煩悩は消してあげるよ!」


 彼女が一気に距離を詰めてくる。そして、ナイフを振りかぶる。


 俺は、彼女のナイフを右によける。そのまま左手でナイフを持った手を掴み、こちらに引っ張る。彼女は俺に触れられたことで、激しい拒絶反応を起こし、身を引こうとする。その力を利用して彼女を押し倒した。

 筋は良かったが、所詮は素人。こっちは血の滲むような訓練をさせられてきたのだ。


「や! やめてください……! お父さん……!」


 彼女はフラッシュバックを起こしていた。忌々しい性的虐待の過去を。

 俺は、彼女の持つナイフを取って、後ろに投げ捨てる。


「なんでもします……、だから、お願い……!」


 彼女を落ち着かせるために拘束を解く。なんとかパニックを抑えないと。


 ガタン! 不意に、何かが頭をぶつけた音が響き渡る。音の出所に目を向ける。


 ストレッチャーの3人の死体のうち、2人が起き上がっていた。


 生前、その身体を支配していた、性欲という煩悩を捨てた二人。ある一つの欲求を除いて、煩悩を捨てることに成功した存在。彼らは、ただ一つの欲求を満たすためだけに活動を始めた。

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