第20話「100万1回目」

 けたたましいアラームの音が鳴り響く。微睡まどろみの中、無意識に目覚ましを止めようと、腕を動かす。

 ムニュッとした柔らかさが掌に伝わる。何度も死線を潜り抜けてきた俺の危機管理能力が、ワーニンワーニン言っている。だが、眠気には勝てず、再び意識は溶けていく。


 結局、目覚めたのは10時過ぎになってしまった。だが、疲労がピークに達していたので、仕方がない。

 折角の休日だったのに関わらず、俺は高校に行った。そこから葉月さんと喫茶店に行って、その後刺されかけて、レヴェナントにリンチされて、骸骨男に腹部と頸部を刺されて、危ない薬を使って、義姉あねに殴られて、最後に可憐と映画を見た。


 なんだこの休日は……。我ながら休みの才能がなさすぎる。

 まあ、可愛い女の子と喫茶店と、可愛い女の子と映画鑑賞とで、真っ黒なバイオレンスを挟んでいるから、オセロなら真っ白になるはずだ。

 色が変わらないぞ?なんでだろうな……。


 寝ぼけた頭でオセロの奥深さを感じながら、スマホに目を通す。LINEの通知が999+。また育てすぎてしまった。

 とりあえず、+だけでも消そうとLINEを開く。レベル上げに熱心な可憐さんを見なかったことにして、見慣れぬアイコンのトーク画面をタッチする。


 葉月さんから届いたメッセージを読む。昨日は無事に家に帰れたこと、今のところIEAも警察も葉月さんにコンタクトを取ってきていないこと、それから俺への感謝の言葉が綴られていた。

 真司さんが上手くごまかしてくれたのだろう。だから、死体の件はまだ大丈夫のはずだ。

 ただ、援交しようとしたおじさんに手をかけてしまったことをどう隠すべきか。葉月さんには、どこに死体を隠したのか、聞かないといけない。

 とりあえず、今は俺の頭が回っていないので、その場凌ぎのくまさんスタンプを押した。くまさんが、鮭の死体をタンスにしまっているスタンプだ。


 そして、999+の担い手である可憐のトーク画面を開く。それを見た瞬間、声が漏れそうになってしまった。

 俺が可憐の胸を揉んでいる写真が、縦一列にずらっと並んでいる。下へスクロールしていくが、どこまでいっても俺が揉んでいる。揉んでいる、揉んでいる、揉んでいる……。揉み続けているのだ。

 そして、揉みの最下層に辿り着く。


 そこには、一言。100万回揉まれた私。


 俺は100万回揉まれた可憐をブロックした。これで可憐が100万1回目の被害に遭うことはないはずだ。


 ***


 支度を整えた俺は、IEA東京第1支部に向かう。ここから徒歩5分なので、ほとんど距離は離れていない。


「久遠くん、もう10時半です! 仮にも公務員なんですから、時間はしっかり守らなきゃだめですよ!」


 支部に着くと、受付にいたオペレーターの朝霞あさかさんにお叱りを受ける。全面的に自分に非があるので、しっかりと反省する。


「すみません……。昨日ちょっと色々あったもので……」


 そんな反応を見て、朝霞さんは、俺が高校で上手く馴染めなくて元気がないのか、と勘違いをする。

いや、勘違いではないな。


「……まあ、久しぶりに高校に行って、馴染めないのも無理はありません。久遠くんが、あまり高校に行けていないのは、私たちの責任でもありますから……」


 朝霞さんは、飴と鞭タイプなのだが、元々が優しい性格のため、その使い分けが上手くない。鞭で一発叩いたあとに、飴を何個もくれるのだ。


「いえ、まあ馴染めてないのは事実なんですけど、昨日一人友達ができまして」


 それを聞いた朝霞さんは、ひどく驚いた顔をする。


「……久遠くん、お金にものを言わせたんですか?」


 朝霞さんが、鋭い腕の振りで飴を投げつけてきた。痛い。何が痛いって、概ねその通りだからだ。

 黙ってしまった俺に、朝霞さんが必死のフォローをする。

 

「ま、まあ、資本主義ですからね……!」


 朝霞さんは、一体どの角度からフォローを入れているんだ。


「――それで、久遠くんはいくら払ったんですか?」


 今度はチュッパチャップスの棒で目を刺してくる朝霞さん。朝霞さんは、飴と鞭の使い分けが上手くないのだ。

 まさか、チーズケーキとロイヤルミルクティー代のたかだか830円だとは言えず、黙りこくってしまう。

 その沈黙をどう捉えたのか分からないが、朝霞さんは顔を真っ青にしていた。


「まさか、身体も……?」


 全てが的外れのように見えて、なぜか核心を突いてくる。探偵の助手に向いてるのではないだろうか。

 そんなお母さん気質でありながら、ワトソン気質でもある朝霞さんと話していると、地下から上がってきたエレベーターがこの階で止まる。そして、可憐が現れる。

 支部の地下には、訓練施設があり、射撃訓練や模擬戦ができるようになっている。


「可憐ちゃん、お疲れ様です。訓練終わりですか?」


「はい、銃だけは毎日撃っておきたいので」


 昨日の状態からはどうやら立ち直ったようだな。可憐は心が不安定になった時、タイタニックを観る。そうすることで、自分の目的意識を取り戻すのだ。


「おはよう、可憐。昨日は落ち込んでたみたいだけど、どうやら元気になったみたいだな」


 可憐は、呆れ混じりの冷たい視線をこちらに向ける。


「良かったです。昨日の可憐ちゃんは沈み切っていましたから、私も心配でした。何があったんです?」


 確かに可憐は、なぜあんなに沈んでいたのだろうか。

 そんな疑問を頭に浮かべていると、可憐は俺のことなど視界に入れず、朝霞さんに答える。


「そうですね。隼人くんが同級生の女の子の身体をお金で買ったのを知って、ちょっとショックで――」


 な……?なぜ、可憐がそのことを知っている?

 俺と葉月さんが一緒に帰ったことしか、可憐は知らないはずだ。

 止まらぬ冷や汗。言い訳しようにも、事実なので返す言葉が見つからない。


 朝霞さんは、まるでホームズの推理を聞いて全てが繋がったワトソンのような顔をしていた。


「――でも昨日の夜。隼人くんは一緒に『タイタニック』を見てくれましたから、私はもう気にしていません」


 そう言って、可憐は手に持っていたスマホをカウンターに置く。

 ホーム画面には、俺が可憐の胸を揉んでいる写真が映し出されていた。


 100万1回目だ……。


 絶句する朝霞さんを前に、俺の危機管理能力は、だからワーニン言ったのに、と少し拗ねていた。

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