第21話 嘘でもいい?
あれ以来、ユウキは部室に来ることが減った。多分、軽音部の方に行ってるんだろう。ユウキのいない部室がこんなに寂しいなんて。
無意識に、よくユウキの読んでいた百人一首を手に取る。そういえば、最初に木村君とギター弾きたいっていう話をしたときに何かの歌を……。
――難波江の葦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき――
皇嘉門院別当の歌だ。
『刈根』と『仮寝』、『澪標』と『身を尽くし』をかけてる。
難波江の、葦を刈ったあとの一節の根と、船の目印である澪標。一見関係のないようなこの二つが、身を焦がすほどの恋で一つの歌に結ばれる。
あなたにとって私は数多ある葦の一つに過ぎないのかもしれない、仮寝のたった一夜だけのために、身を尽くすほどに一生恋することになるのだろうか。
ユウキはたった一度のセッションで、木村君を忘れることのできない存在に昇華させてしまったんだろうか。
あたしだけのユウキだった。女子にモテて、いつも囲まれて、近寄るなオーラまで出して、そのくせあたしには無条件に甘えてたユウキ。二言目には「私の逃げ場はナツミしかない」って言ってくれたのに。
だけど、ユウキは木村君と一緒に居た方が幸せなのかもしれない。木村君、あんなにめちゃくちゃに殴られたのに、それでもユウキが倒れたときはちゃんとユウキを運んでくれたし、あたしが行くまでずっと付きっきりで看ててくれた。
ユウキに甘えてるだけのあたしより、いざっていうときにちゃんと頼りになる人の方がユウキだっていいに決まってる。
――あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
今のあたしの気分。
この頃、相手を待つのは女性だった筈。だけどこの歌の詠み人は柿本人麻呂、男性だ。女性の心を詠んだのは、そうあって欲しいっていう願望かな。
もしかしたら男性の心を詠んだのかもしれない。山鳥の『尾』と『雄』とかけてたりして。柿本人麻呂って本当に男だったのかな。ユウキみたいな性別不詳な人だったなんてことは無いかな。
そんなことを考えていたら、当のユウキが部室に入ってきた。
「ナツミ。文芸部に仕事が入ったよ」
「へ? 仕事?」
「原稿依頼。軽音部から」
「どうしたの?」
おそらく目をまん丸くしていたであろうあたしの横に、ユウキは当然のように座った。そしてこれもお決まりのノーズキス。
「Februaryのホームページ作るんだって。ギタローがね、文章センスまるっきりないからナツミに書いて欲しいって言ってきたんだよ。あいつ作曲センスはあるんだけどね」
「え? ギタロー? あたし、あの人と喋ったこと無いよ。ってゆーか、声聞いたことない」
だって無口なんだもん。
「ギタローの方はナツミの文章、結構読んでるみたいだよ。ホームページの枠は作ってあるから、あとはそこに活動報告とかコラムとか入れて欲しいんだって。イラスト描ければそれも頼むって」
「え、え、え、あたしなの?」
「ナツミご指名だよ。そういうわけだから、今後軽音部の方にも練習の様子とか覗きに来て欲しいみたい。木村じゃなくてギタローのご指名ってところが笑っちゃうけど」
「いつあたしの文章なんて読んだんだろう?」
「月一、図書委員が発行してるアレ。図書館報だっけ? 文芸部の書評コラム載せてるでしょ?」
あー! あれか!
「ギタロー、図書委員だから、毎月チェックしてんだよ。で、引き受けるんでしょ?」
「あ、まあ、そうだね、いいよ」
「じゃあギタローにOK出して来なきゃ」
立ち上がるユウキの手を、あたしは思わず掴んじゃった。
「待ってよ。もうちょっと……ここに居てもいいでしょ?」
ユウキがあたしの顔を覗き込んで、くすっと笑うと隣に座り直した。
「どうしたの? 甘えんぼちゃん」
「寂しかったんだから」
「寂しくて百人一首のお世話になってたの?」
さっき読んでいた本を手に取って、「ん?」って顔してる。
「柿本人麻呂? 歌聖と呼ばれる人だよね」
しおり挟んじゃってたっけ。
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む。うーん、意味、説明して?」
もう、いじわる。
「山鳥はね、尻尾の羽がとっても長いの。それくらい長くて長くてどうしようもないあなたのいない夜を、一人ぼっちで寝るのねって。相手を待ちわびながら一人夜明けを待つ女の気持ちを歌ったものなの」
「寂しい女だ」
「そう。寂しいの」
「ナツミも寂しかったの?」
「当たり前でしょ」
「夜が長くても朝が来れば寂しくないのかな」
「山鳥の夫婦ってね、昼間は一緒に居るんだよ。夜になるとバラバラに離れて眠るの」
「人間とは逆なんだね。でも、私たちは山鳥と一緒。夜は会えないけど、昼間はこうして会える。眠らなくても寝ることはできる。こうやって」
優しくソファに押し倒されて胸が高鳴る。ユウキの細長い指が、あたしの髪の毛の中をすっと通っていく。耳のそばを通過するとき、背中がぞわってして肩が上がってしまう。
「平安時代って、女の人はみんなナツミみたいに髪を長くしてたんでしょ? 髪は女の命って。どうやって洗ってたんだろう」
「毎日なんて洗わないんだよ」
「じゃあ、こんなふうに髪の中に指を通すことなんてできないね。長い髪は一日洗わないと、すぐに絡まっちゃう」
なんで知ってるんだろう。まさかシカゴにも彼女が? でもあたしのことをイレギュラーって言ってたよね。
「ユウキ、髪伸ばしてたことあるの?」
「あるよ。腰くらいまで」
「想像つかないよ。ドラムの邪魔になったの?」
「ううん、何度かレイプされかけてね。ショートにしとけば私は男に見えるからね、それで切っちゃったの」
えっ? 今とんでもないこと言ったよね、サラッと。だから、あたしが木村君にキスされたとき、あんなに本気で殴ったの?
「男にしか見えなくなったら、今度は女の子につけ回されて大変でさ。もう、めんどくさいったらありゃしない! それで日本に一時避難したの。交換留学制度をうまく使ってね。日本人は奥ゆかしいから、遠巻きに眺めたりはするけど、直接つけ回したりしないでしょ? だから『近寄るなオーラ』出しておけばいいから楽でいいの」
そしてユウキは一呼吸おいて付け足した。
「それに私にはナツミがいるしね」
ちょん。
至近距離であのオッドアイがあたしを見つめる。もっとユウキが欲しくて、あたしからも彼女の鼻に自分をくっつける。
ユウキが嬉しそうに目を細めて、何度も何度も鼻を付けて。しまいにはこすり合わせてるもんだからおかしくて、二人で笑っちゃった。
「なんか、あたしたち、変な人たちだよ?」
「いまさら何を?」
ユウキの鼻が、あたしのほっぺたや瞼にもちょんちょんってやってきて、最後に彼女の唇があたしのそれを啄んだ。
「ずっとあたしのそばにいてくれるよね?」
うんと言えないことを知っていて聞いた。ユウキが困るのを知っていて。
「なんて答えて欲しい?」
「うんって」
「嘘でもいい?」
あたしは答えられなかった。
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