第23話 提案
翌日、あたしは木村君に言われたことがずっと頭に残っていて、ろくに授業も聞いていなかった。こんなんじゃダメだってわかっているけど、でも、高校2年のこの時期にまだ将来のビジョンがないなんて、確かにあたしはのんびりしすぎてる。
将来の希望なんて何もない。寧ろあたしに何ができるというんだろう? 理数系はさっぱりわからない。得意なのは国語と英語だけ。暇さえあれば本を読んで、何か書いて。音楽のことも全然わからない。
よく考えたら、あと一年で高校は追い出されるわけだし、就職しないなら大学に行くんだろうけど、将来の希望も無いのに大学で何を勉強するのかわからない。
放課後の教室でぼんやりとそんな事を考えていたら、後ろから人懐っこい声が聞こえた。
「なんだ、ナッツン、こんなとこにいたの? 文芸部の方にいなかったから探しちゃった」
ああ、ケムリン、迎えに来てくれたんだ。
「ごめん。ちょっとボケっとしてた」
「行こ」
あたしがカバンを持つと、ケムリンがそれを横からひょいと持ってくれる。ケムリンって可愛くて人懐っこくてそれでいて優しいから、みんなに好かれてる。いつもニコニコして、一緒に居るだけでなんだか安心できちゃう。不思議な人だな。
「何ぼんやりしてたの?」
「あー、うーんと、いろいろ」
あれ? ケムリンが多目的室の方へ向かわない。
「どこ行くの?」
「いいから来て」
「待ってよ、そっち屋上しかないよ」
「屋上行くの」
「え? ちょっと、あたし行かないよ」
「ナッツンのカバン、俺が持ってるけど」
ケムリンがにっこり笑ってどんどん階段を上っていく。仕方ないからついて行くけど、どういうつもり?
屋上は思ったほど風もなく、この季節にしては寒く感じなかった。フェンスのそばまで歩いて行くケムリンに渋々ついて行くと、校庭で走り込みをしている運動部の姿が見える。
「ナッツン、やっと二人っきりになれたね」
「えっ?」
「あは、冗談冗談!」
もう、心臓に悪い冗談言わないでよー! ケムリンの弟キャラだから何となく許せちゃうけど、そんなの木村君が言ったらめっちゃ警戒するよー!
「あのさ、ぶっちゃけちゃうけどさ、木村に頼まれたの。ナッツンのフォローしてやってって」
「え? 木村君が?」
「うん」
ニコって、そんなに素敵な笑顔を見せる場面じゃないよ、ケムリン。
「昨日あいつに何か言われたでしょ? あいつさー、ほんと口悪くてさ、てか女に手を出すのも早いけど。だけどいいとこあるんだよね。だからあいつ好きなの。そうでなきゃ、一緒にバンドなんかやってらんね」
やれやれって感じで笑ってるけど、本当に好きなんだろうな。心底好きなのが伝わってくる。見た目は弟キャラ全開だけど、ケムリンって面倒見がいいんだよね。中身はお兄ちゃんキャラかもしれない。
「で、その様子だと一人で解決できなかったって感じだよね」
「うん。将来のビジョン、見えてないだろって言われて。その通りだったからいろいろ考えたんだけど。考えてもなんにもなくて。っていうかね、何かあるにはあるの、それが具体化されてないっていうか」
「ふうん」
カシャン。
ケムリンがフェンスに寄り掛かる。ああ、こうしてみると、ケムリンってあたしとあんまり身長変わらないかも。小っちゃいけど、筋肉質な感じ。ドラマーだからかな。
「自分でやりたいっていう明確になってることがなんにもないの。だから大学に行く意味も分からない」
でも、大学行っておいた方がいいのかな。惰性で勉強してもな……。
「ナッツン、何が得意なの?」
「国語と英語」
「あは、めっちゃ文系」
「そ、他に何もないの」
「何してる時が幸せ?」
はい? 何故そんなことを?
「ほ、本読んでるとき、かな?」
「英語の本を読むのは好き?」
「ああ、うん。割と好き」
「翻訳してある本と、自分で翻訳しなきゃならない本、どっちが好き?」
「そりゃ自分で翻訳だよ。なんでそんな風に訳すの、あたしならこう訳すのに、ってこと、よくあるもん」
ケムリンが突然詰め寄って来て、あたしの両肩を掴んだ。
何? 何? どうしたの?
「洋画、字幕なしで見るの?」
「え、うん。役者さんの声、聴きたいし。字幕、邪魔だし」
ニヤリ、と音が聞こえたような気がするほど、嬉しそうにケムリンが笑った。
「大学行こう」
「へ?」
「翻訳家、目指すのはどう?」
一週間後、あたしは必要な書類を全て揃えて、学校に提出した。選ばれるかどうかはわからない。だけど、定員二名のところ、まだあたしが二人目の応募者だ。このまま誰かが応募しなければ、二学期末と三学期中間のテストの結果でほぼ確定する。
英語には絶対の自信がある。現国も超得意分野だ、負ける気がしない。
あの日、ケムリンにとどめを刺されたんだ。
「何のためにこの高校入ったの? この高校のウリはシカゴの姉妹校との交換留学制度だろ? それを利用しないで、一体何のためにこの学校に入ったんだよ? 俺はこの制度を使ってアメリカに短期留学して、英語と向こうの文化とドラムの勉強をする、そのためにこの学校に入った。二年の春季で、って入学する前から決めてた。ギタローだってそうだよ、あいつなんか気が早くてさ、一年の秋季でもう行ってたもんな。意味、分かるだろ? 翻訳家に必要なのは言語の理解だけじゃないよね。現地の文化、生活感、そういうもん、必要じゃない?」
翻訳家になりたい。英語の翻訳して、日本語の本にしたい。
選んだ単語一つの違いで、まったくニュアンスの違うものになってしまう。そんな、深い深い世界が好きだ。
小さいころから本が好きだった。本ばかり読んで育ってきた。本に携わる仕事がしたかった。でも、具体的に何をどうしたいのか、さっぱりわかんなかった。
まさか、ケムリンのたった一つの提案で将来の希望が決まってしまうなんて、自分でも正直驚いた。だけどあたしはこれをずっと望んでいた。明確な形になっていなかっただけなんだ。
それからあたしは両親を説得し、必要書類にサインをさせ、自分で全部手続きをして、留学生に応募した。運が良ければ、三年生の春に木村君と一緒にシカゴに渡れる。
「留学生、応募したんだってな」
あ、木村君。
「うん。ありがとう。木村君のお陰」
「俺は別に」
「ケムリンにもフォロー頼んでくれたじゃない」
「ええっ、もうあいつ喋ったのかよ」
「最初から暴露してたよ」
「迂闊なこと頼めねーな」
「絶対にユウキを木村君だけのものになんかさせてやらないんだから」
「いいよ。お前とユウキのエロ絡み、次回はちゃんと録画するから。何なら俺とユウキの本番、見学させてやろうか」
ほ、ほんば……!
「もう、この変態!」
「ライブの本番だよライブ!」
もうすぐユウキがシカゴへ帰る。だけど泣いてなんかいられない。春に向けて勉強しなくちゃ! 絶対行くからね、ユウキ。
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