第12話 ピック

 文化祭の日はあっという間にやって来た。みんなで下準備して、たこ焼き器だとかホットプレートだとか、そんなものをたくさん並べて。

 裏方として、調理室で野菜を細かく切ってくる係、たこ焼きとお好み焼きの生地を作る係、教室でひたすら焼く係、盛り付けやパック詰めをする係、最初のうちはきちんと決めてたんだけど、手が足りないもんだから、手の空いてる係が他の係を手伝ってたりする。

 その中でもお金を扱う人は別格。衛生上の問題もあるから、会計さんは専属で動いてる。


 うちのクラスは家がお好み焼き屋やってるなんて子もいて、おいしく作るコツなんか伝授されちゃって、結構な評判になった。「こんな寒い日に誰も食べないでしょ」って一時却下になったかき氷も、案外売れ行きがいい。講堂でやってるステージが思いの外盛り上がってるらしいんだ。ユウキ達の出番はまだこれからだけど、その頃には最高に盛り上がってるような気がする。

 ユウキは宣伝係として、校内を回りながらメニューをその辺の人に配り歩いてる。こんなイケメン(女子だけど)にメニュー渡されたらまず100%受け取るし、このメニューの豊富さを見たら絶対お客さんは集まるはずだ。ってことで、ユウキと木村君のイケメン二人には、校内をウロウロして貰ってる。


 なのに。

 二人バラバラに行って貰ったのに、なぜか一緒に戻ってきた。二人ともチラシが無くなって教室に戻る途中に偶然会ったらしくて、一緒に歩いていたら知らない人にサインをせがまれたとか。なんだそりゃって感じ。

 そこからガーッと囲まれて大騒ぎになって、木村君の機転で「あとで二人でギターバトルするので講堂に来てください」って宣伝して逃げてきたらしい。もう、絶対ギターバトルはえらいことになると思う。


 やっとあたしの休憩時間になった。勿論ユウキも。そりゃそうだ、あたしが同じタイミングでシフト入れたんだから。

 早速ユウキを誘ってウロウロすることにする。ユウキと一緒に歩いてるってだけで、目立つことこの上ない。カップルにしか見えないだろうし。いや、あたしの中ではカップルだもん。ユウキを独り占めできるのはあたしだけなんだから。


 あたしがそんなこと考えてたら、正面からこの前のドラムの子……ええと、ケムリン(?)が歩いてきた。


「よー、ユウキ。木村と二人でなんか宣伝しただろ。講堂がえらいことになってるけど」

「えらいことって?」

「外まで人が溢れてる。女子ばっか」

「マジ?」

「サイン練習しとけよ~」

「うっそ、ケムリン代わりにしてやってよ」

「俺、お呼びでないの。じゃ、先行ってるからねー」


 ケムリン、スティック回しながら行っちゃった。


「見に行く?」

「囲まれたらシャレになんない。部室でウォームアップする」


 部室。それはあたしと二人きりということを意味する。あたしはそれだけでいろいろ期待してしまう。ウォームアップって言ってるんだから、あたしなんか構ってる暇ないのにね。



 部室に到着するなり、真っ直ぐギターに向かうユウキ。あたしのことなんてまるで放置。ちょっとくらい抱きしめてくれてもいいのに。

 つまんないから一人ソファに体を預けて、ユウキの動きを眺める。長い睫毛、細い指先、軽く腕まくりしたシャツから覗く細い腕。

 ソフトケースからユウキの黒いギターが顔を出す。つやつや光って綺麗。ギターって近くで見ると案外大きい。


「ねえ、この板って、ついてるギターとついてないギターがあるよね」

「ああ、ピックガード? これ、ピックで引っ掻いちゃって本体に傷がつくから、保護用につけとくんだよ」

「ピックって何?」

「これ」


 ポイッて投げ渡されたコインケースの中から、おにぎりみたいな形の薄い小さな板が出てきた。ザクザクといっぱい。


「コレクションしてるの?」

「まさか。使い分けるんだよ。厚み、違うでしょ?」

「ほんとだ」

「私はまだ初心者だから、使い分けないと音が揺れちゃって」


 フェルナンデスって読むのかな? こっちはギブソン……聞いたことあるな。あ、そうだ木村君のギター。ギター屋さんがピックも作ってるんだ。こっちはフェンダー。ヤマハなんてのもある。カメさんの絵のとかいろいろ。


「Thinって書いてあるのあるでしょ。バッキングの時はほぼそれ使ってる。Heavyだと安定しないんだよね。今回はバトルだからHeavyも使うけど。フェンダーのヤツ使うかな。木村のピックはどれも派手だったよ」


 ユウキが愉快そうに笑う。確かにユウキのピックはどれも地味。白とか黒とか。鼈甲みたいなのもある。

 あの黄色いギターの木村君なら、赤や緑の華やかなピックを持ってるんだろうなって、容易に想像できちゃう。またそれが凄く似合いそうだ。


 ユウキが音叉を出してきた。初めて見る本物の音叉。存在は知ってたけど、こんな手のひらサイズなんだ。

 彼女は壊れた理科室の机の上に座ると、それを軽く膝に打ち付けて……なんと、歯で噛んだ! 咥えたままでギターを抱き、先っちょのネジを巻いてる。何してんだろう?


「ね、それ、何かの儀式? おまじない?」

「ん?」


 きょとんとしてあたしをまじまじと見たユウキが突然笑いだした。あたし変なこと言った?


「これ、知ってる? 音叉っていうの。一定の音が出るんだ。これに合わせてチューニングするんだよ。弦、最初緩んでるから」

「チューニング?」

「そう。弦をね、決まった音に調整するの。このペグをさ、締めて。ほら、音が変わるでしょ?」

「ペグ? そのネジのこと?」

「うん。音叉ってね、こうやって咥えてると骨伝導で良く聴こえんのよ」


 そう言ってまた音叉を膝に打ち付けて、歯で咥えながらペグを締めてる。


「1本決まれば後はこいつに合わせて残り5本チューニングすればいいからね」


 慣れた手つきでどんどんチューニングしていく。なんか職人みたい。めちゃめちゃカッコいい。ずっと見ていたい。

 6本終わったところでジャラーンって鳴らしてバランス見てる。聴いてるって言うのかな。


「OK」


 ウォームアップが始まった。ここに来るまでも、廊下を歩きながら手を開いたり握ったり、指を一本ずつ反らしたり、指と指の間を広げたりしてたけど、それは物理的に手首から先をストレッチしてたって感じ。

 今は楽器を持って、速いパッセージで半音階上がったり下がったり、コードを次々に弾いてったり、基礎練習みたいなことしてる。こういうのって大事なんだろうな。


 しばらくいろいろやってたユウキが、楽器を下ろしてあたしの隣に座った。


「今日は絶好調。凄くいい感じ。ナツミがいるからかも」


 当たり前のようにあたしの肩を抱き寄せて、鼻をくっつけてくるユウキ。ふふ、可愛い。


「ユウキって犬っぽい。猫っぽいけど」

「何それ」

「奔放なところは猫っぽい。でも犬みたいに甘えられると可愛い」

「じゃ、もっと甘える」

「ちょっとぉ」


 ユウキがほっぺたをあたしに擦り付けてくる。両手でぎゅーって、横から絡んで。あんまり可愛くて、頭を撫でてあげたら、そのままあたしの胸に顔を押し付けてきた。


「柔らかい」


 やだユウキ、変な気分になっちゃう。思わずその頭を抱きしめると、彼女がくすっと小さく笑う。


「甘い、桃の匂いがする。ナツミの匂い」


 ユウキが顔を上げる。下から上目遣いにあたしを見る。艶のある視線。そのまま少しずつ近づいてきて、あたしの首筋に顔を埋めた。


「いい匂い。美味しそう」


 背中がゾクゾクするようなハスキーヴォイス。首筋を伝う唇の感触。

 ユウキの手が、あたしのネクタイを緩める。長い指先が第一ボタンをそっと外す。


「ちょ……」

「鎖骨、見せて?」


 彼女の手が襟元に侵入してくる。スルスルと襟元を広げ、その骨を中指でそっと撫でる。

 思わずビクッと肩が上がってしまったあたしに、ユウキが顔を寄せてくる。あの瞳があたしを堕としに来る。


「どうしたの? 鎖骨、触っただけだよ?」

「あ……」

「感じちゃったの?」

「ユウキ……」

「可愛い子」


 ちょん。

 鼻をくっつけたユウキは、開いた第一ボタンを閉じた。


「私以外にその鎖骨、見せちゃダメだよ」


 艶然と微笑んだユウキは、知らん顔でギターをケースに収納した。

 ……当り前じゃない。あたしの声は音声にならなかった。


「さて、そろそろ講堂に行こうか」

「うん」


 あたしは緩んだネクタイをきちんと締め直して、ユウキの後について行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る