第2話 黒髪
「それって何をする部なんだ?」
翌日ユウキに聞かれたあたしは、彼女に文芸部に入って欲しくて必死だった。
正直その実態は酷いもので、何かクラブ活動に参加しているっていう肩書が欲しい人たちが名前だけ参加してる、殆ど幽霊部員だけで構成されてる部なんだ。だから実際に活動してる部員なんてあたししかいない。
図書室と書庫に挟まれた小さな部屋を部室にしてるけど、理科室の壊れた机が一つと、その昔応接室で使われていただろうソファが一つあるだけ。
そのソファで本を読んだり、蛇口の取れた大きな机で短いお話を書いて何かに応募したりしてる。
あたし一人の秘密基地みたいなところだった。
だからこそ、彼女をそこに招待したかった。あたしたち二人の秘密基地にするために。
彼女は何を思ったのか、すんなりと文芸部に入部した。
それから毎日、図書室から適当に本を持って来ては、ソファにひっくり返って本を読むようになった。とは言っても、彼女は身長が175センチあるらしい。足がソファから大いにはみ出してる。いつもそこで本を読んでいたあたしは必然的に机の方に移動することになった。
でも、そこからの眺めも悪くなかった。彼女の全身を見ることができたから。
均整の取れた美しいプロポーション、長い手足、細い首、柔らかそうな前髪の間からチラリと覗くオッドアイ。なんて綺麗なんだろう。
あたしがじっと見ていたらユウキがふと目を上げた。
その柔らかな焦げ茶と深い緑の視線に射抜かれて、あたしは金縛りにあったように動けなくなる。
「こっち、おいでよ」
あたしが逆らえるはずがあろうか。言われるまま隣に座ると、彼女はその長い腕をあたしの後ろに回して背もたれに手を乗せた。
一瞬、肩を抱かれるのかと思ってドキドキした自分がいた。期待した自分が恥ずかしくて、顔が上げられない。
「日本語は難しいね」
彼女は不思議なことを言い出した。だけどよく考えたら、彼女はシカゴから留学してきたんだ。流暢な日本語だから忘れてしまいそうになるけど、彼女のお父さんはアメリカ人だ。身長が2メートル近くあるらしい。
「このさ、待賢門院堀河って人の歌がね。『長からむ心も知らず 黒髪の乱れて今朝は ものをこそ思へ』意味が分からない。教えてくれる?」
微笑を湛えたその透き通るような肌の中で、二色の視線があたしに絡みつく。覗き込むような上目遣いに長い睫毛が影を落とし、瞳の色合いが揺れて見える。
「『長からむ心も知らず 』は、ずっとずっと末永く愛してくれるって誓ってくれたけど、その本当の気持ちがわからないってこと。『黒髪の』から先は、その……」
「何?」
本当にわからなくて聞いてるんだよね?
「あなたと一夜を過ごして別れた後の私の心は、この黒髪のように乱れています、っていう意味」
「なぜ黒髪が乱れているの?」
「え、それは……」
彼女が背もたれに乗せていた手を、あたしの長い黒髪の中に通した。あたしは無意識にビクッと肩を上げてしまった。
「こんなふうに乱されたということ?」
「そ、そう、かも」
「長い髪なら簡単に乱れてしまうんだから、髪を触りたいなら男は少し気を付けてやるべきだね」
すーっと指を通して、あたしの髪を直してくれる。そのまままたソファの背もたれに手を乗せてしまった。
もっと触って欲しかったのに。
「そうじゃなくて……髪を触ったんじゃなくて。寝乱れたの、髪」
「寝相が悪い人だったのかな」
「そうじゃなくて。その、愛されて、乱されたんでしょ」
「ナツミは乱されたことがあるの?」
「えっ?」
ユウキの瞳があたしを貫いた。どうしよう。きっと顔に出てる。
「そ、そんなわけ」
「私はナツミが乱れるところ、見てみたい」
どきん! って自分の心臓の音が聞こえた。
「……冗談でしょ?」
「もちろん冗談」
くすっと笑ったユウキはすっと立って本を片付けた。
「私は帰る。ナツミも一緒に帰るか?」
その日、あたしは一人で帰った。
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