第11話 言って?

 ユウキはギターを壁の隅に立てかけると、あたしの手を引いたまま一緒にソファに沈んだ。そのまま抱きしめられて、ノーズキスの嵐。


「や……どうしたの、ユウキ」

「どうしたもこうしたもないよ。ナツミが迎えに来てくれた」

「ちょっ……うわぁ」


 鼻だけじゃなくて、ほっぺにも、おでこにも、瞼にも、いっぱいいっぱいキス。


「大好き、ナツミ!」

「ユウキ?」

「好きすぎて死んじゃいそう」

「えええ?」


 どうなってんの? ユウキがあたしみたいになってる。


「迎えに来てくれたんだよね?」

「あ、ええと、どんな練習してるのかなって、気になって」

「迎えに来てくれたんじゃないの?」

「だって、邪魔できないでしょ」

「邪魔してもいいのに」


 ユウキ、教室にいるときと別人過ぎて笑っちゃう。あんなに『近寄るなオーラ』出してたくせに。


「さっきのドラムの、わかった?」


 ユウキがあたしの長い髪に指を通しながら、楽し気に聞いてくる。


「うん。足でやってたんだね。二枚パカパカしたシンバル。右足の太鼓も『りんご飴』みたいなのでドンドンやってた」

「りんご飴! ナツミらしい」

「だって、そんな感じだったもん」

「ビーターをりんご飴って表現する人、初めて見たよ」


 笑いが止まらないユウキ。そんな変なこと言ったかな。でも楽しそうだからいいか。


「ねえ、なんでギターばっかり三人もいるの?」

「二人しかいないよ」

「だって、木村君とユウキと、あと青いギター持ってる人がいたじゃない。ギタローって呼ばれてた人」

「ああ、あいつのはベース」

「ギターと違うの?」

「全然違うさ。ネックの長さも違うし、弦の数も違う。あいつのはFenderだったかな」


 あたしには違いがわかんないんですけど。


「音楽ってさ、リズムがあって初めて音楽じゃん? だからリズムって一番大事なわけよ。その上でメロディがある。でも、そのメロディだって、どんなコードの上に乗るかで、明るい曲なのか暗い曲なのか変わる。長調と短調ってヤツ」

「長調と短調は知ってる」

「My favorite thingsって曲知ってるかな。あれ、ずっとマイナーコードなのにさ、途中でメジャーコードになるんだよね、メロディは一切変わってないのに、コードだけでガラッと雰囲気が変わる。そのコードを支える一番大事な音を決めるのがベースなの」


 ユウキ、楽しそう。いつもより饒舌になってる。


「そんで、ベースの上にコードが乗る。それを決めるのがギターだったりキーボードだったりすんの。うちのバンドはキーボードがいないから、ギターがコードを刻むの。リズムギターってヤツ。普段やってる子が体育で手首骨折しちゃって、その代わりに私が入ったわけよ。木村はソロ担当だからリードギターってヤツね」

「木村君、ソロやるほど上手なんだね」

「めちゃめちゃ上手いよ。私は基本ドラマーだしね、バッキングやってる方が性に合ってる。普通はヴォーカルがバッキングやるんだけど、木村んとこインストだから」


 う~ん、専門用語いっぱい出てきてよくわかんない。けど、木村君が上手いのはよくわかった。


「家族で言うならドラムが不動のお父さん、ベースがフォロー上手なお母さん、この二人がいなきゃ始まんない。それでもって、リズムギターが冷静なお姉ちゃんで、リードギターはやんちゃな弟」

「なんか、ユウキと木村君そのままだね」

「ケムリンとギタローも夫婦みたいなもんだ」


 不意にユウキがしんみりと遠くを見るような目で、ぼそっと言った。


「木村、ほんとに上手いよ。ずっとあいつと組んでバンドやりたいくらい」


 何故かユウキが遠くに行くような気がした。手が届かないところに行ってしまうような。


「ユウキ」

「ん? どうしたの、そんな顔して」

「どこにも行かないよね?」


 ユウキはくすっと笑ってあたしを抱き寄せた。どうして返事してくれないんだろう。どうして「当たり前じゃん」って言ってくれないんだろう。


「ナツミは私のものだよ」

「ユウキは誰のもの?」

「さあ。誰が私を持って行くんだろう。ナツミは持ってってくれないの?」

「わかんない。誰かに取られちゃいそう」

「誰に?」


 ユウキの瞳にあたしが映る。焦げ茶のあたしと深い緑のあたし。


「木村君……とか」


 何も言ってくれない。何か言ってよ。否定してよ。


「難波江の葦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき」

「え……」


 ユウキが顔を寄せてくる。鼻が触れるか触れないかの距離まで来てそこで止まった。あたしには蛇の生殺し。


「ナツミは女の子が好きなの? それともどっちもいけるの?」

「え、何、ごめん、意味がわかんない」

「恋愛対象。もう一度言っておくけど、私は女子だから」


 そんなことわかってる。何度も言わなくたってわかってるよ。でも、女子が好きなんじゃない、ユウキが好きなんだ。ユウキが男子でも女子でも好き。

 あたしが返答に困ってまごまごしてたら、ユウキが先に口を開いた。それも、あたしのとても恐れていた言葉とともに。


「私は基本、ノーマルなんだよね」


 深い奈落の底に突き落とされたような気がした。

 『ノーマル』……それは拒絶を意味する言葉だよね? 普通に男子と恋愛をしますって言う……。


「でもさ」


 彼女はあたしから手を放して、頭の後ろで手を組んだ。


「基本ノーマルってだけで、イレギュラーもある。って言うか、発生しちゃった」

「?」

「ナツミっていうイレギュラー。女子にも恋しちゃったんだよね。困ったことに」

「……もう、ユウキのバカ!」

「何よ突然」


 ユウキが楽しそうに笑ってる。こっちは泣きそうだったのに!

 あたしはソファに座るユウキの上に跨った。頭の後ろで手を組んだままきょとんとしてる彼女を、グッと背もたれに押し付けてやった。


「誰にもあげないから!」


 確かに女子のものであるその細い肩に手をかけて、何かを言おうとするユウキの唇を塞ぐと、彼女がちょっとビクンとするのがわかる。

 ……可愛い。いつもあたしを振り回すユウキが、あたしに翻弄されてる。

 ユウキが可愛くて、何度も何度もそのマシュマロのような唇を啄んでいると、ユウキが不意にあたしの背中に手をまわしてきた。彼女が強く抱きしめてくる。レモンのようなシトラス系の香り。ああ、もうこのまま彼女と一体化してしまいたい。

 そう思った瞬間、彼女は反撃に出た。いきなり体を反転させて、あたしをソファに押し付ける。あたしは肘掛けを枕にするようにソファに押し倒されてしまった。

 あたしの真上でユウキが艶然と微笑む。ゾクゾクするほど色っぽい。その細長い指をあたしの髪の中にすっと通して、頬から首筋へと指を這わせる。


「ノーズキスじゃ、物足りなくなったの?」


 彼女の瞳が近づいてくる。あたしはまた、この底なしの湖に吸い込まれてしまうんだろうか。


「物足りないならそう言いなよ」

「ぁ……」


 ユウキの唇があたしのそれを塞ぐ。


「ねぇ。物足りないの?」


 唇を触れたまま話すユウキ。彼女の低く掠れた声が、耳から口から、あたしの中に侵入してくる。


「どうなの? 言って?」


 彼女の瞳に射抜かれただけで、体が火照る。その視線に囚われて、身動きすらままならない。


「欲しい」

「何を?」

「……言わせないで」

「ダメ。言わないとあげない」


 あたしがユウキに逆らえるわけがない。圧倒的に狡い存在。

 ユウキがその細長い指をあたしの指に絡める。あたしは囚われた獲物。あなたの言いなり。


「ユウキが欲しい」

「ふふ……可愛い子」


 ユウキはもう一度あたしを強く抱きしめると、優しく口づけしてくれた。

 ユウキの舌があたしの唇のラインをなぞるのがわかる。あたしもその舌に自分を絡ませる。ああ、相手は女の子なのに。男子が相手でもしたことないようなことを、今ユウキとしてる。あたし、やっぱりおかしいのかも。キスだけなのに、ユウキにこんなに感じてる。


「ここから先は進入禁止。ナツミの彼氏になる人にとっておく」


 そう言って、唇より先には侵入してこない。ディープなようでライトなキス。存在しない彼氏なんかに取っておかなくたっていいのに。……ってやだ、あたし、何を期待してるんだろう。


「桃。食べたくなっちゃう」

「もー。ユウキのバカ」


 この幸せはいつまで続くんだろう。あたしは幸せな中でも漠然とした不安を抱えてた。

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