第4話 不機嫌
体育祭の季節になった。あたしは文化委員だから、いろいろな行事がある度に準備に追われる。大抵その仕事は放課後になるものだから、部室ではユウキが一人で本を読んでいることになる。
そのせいか、最近のユウキは不機嫌だ。あたしがいないことで機嫌が悪くなるのは、あたしとしては悪くない。
そんな優越感に浸りながら、もう一人の文化委員の木村君と一緒にクラスゼッケンだのハチマキだのを準備したり、クラス対抗リレーの出走順を練ったりする。
木村君は男子では一番人気。イケメンで、ワイルドで、ちょいワルって感じだけど頼りがいがあって、女子の人気をユウキと競ってる(って言ってもユウキは女子だよ!)。彼は凄い人気なんだけど、真面目な女子からはちょっと敬遠されてる。強引に誘ってくるって噂もあって、誘われたいなんて言ってる子もいるけど、ホントのところは知らない。だってあたしはずっと一緒に仕事してるけど全く誘われないもん。
そんな木村君と、今日も教室に居残って作戦を練っている。ユウキ、一人で寂しがってるかな。早く決めて部室に行ってあげよう。
「男子アンカーは木村君でいいでしょ。陸上部ナンバーワンなんだから誰も文句言わないよね」
「だろうな。女子は誰が速い?」
「ユウキが速いよ。ブッチギリ。身長もあるし、脚も長いしね」
「お前さ……」
「ん?」
夕日の差し込む教室で、オレンジ色に染まった木村君の顔が、何故か僅かな蔑みの色を帯びてあたしを捉えた。
「あいつとデキてんの?」
「あいつって?」
「ユウキだよ」
「え……やだ、何言ってんの。ユウキは女子だよ」
「だよな」
やだ、どうしよう。ユウキのことツッコまれただけで、凄いドキドキする。図星……だったからかな?
「なあ、俺と付き合う気、無い?」
「……。は?」
「だから。俺と付き合わない?」
「え、あ、ええと、いや、それは……」
「彼氏いるの?」
「かっ、彼氏は、いない」
彼氏はいないけど、ユウキはいる! だけどこれは言えない。
「あ、あの、あたし、プログラム取ってくる」
用も無いのに、適当に理由をつけて席を立った。この場はリセットした方が良さそうだ。けど、木村君に手首を掴まれた。
「待てよ。プログラムなら俺が持ってる。なんで逃げるんだよ」
ユウキより更に背の高い木村君が、あたしを見下ろしてる。
「逃げたんじゃないよ。プログラム、木村君が持ってるならいいの」
「嘘だ。逃げようとした。プログラムが必要なら、俺に聞けばいいだろ?」
「逃げたんじゃないよ、ほんと。そんなわけないじゃん」
あたしは怖くなってきた。木村君は悪い人じゃない。みんなに好かれてるいい人だけど……本能的に何か怖いって感じたんだ。
そしてそれは運悪く当たっていた。あたしは木村君にガーッて押されて、教室の後ろのロッカーまで一気に連れて行かれた。両手首を掴まれて顔の横に押し付けられ、あたしの恐怖は一気に天辺まで上り詰めた。
「木村……君?」
彼は口元に薄笑いを浮かべた。
「だからさ、俺はお前が好きなんだって。逃げなくてもいいじゃん。一緒に仕事してるだけじゃん。付き合うのが嫌ならそう言えばいいだけだろ。どうなの? 俺と付き合うの、嫌なの?」
「あのっ。付き合うのは、その」
「彼氏、いないんだろ?」
木村君の顔が近づいてくる。どうしよう。怖いよ。怖くて声が出ない。
あたしは必死で声を絞り出した。
「いないけど……好きな人はいるから」
「ふーん、そう。じゃ、キスくらいならいいだろ?」
「え、ダメ、それはダ……」
やだ! 放して!
だけど木村君の力は凄く強くて、微動だにできない。どうしたらいいの!
不意に木村君の唇が離れた。って言うか、彼が離れた。引き剥がされたと言った方が正しい。彼の首根っこを掴んだユウキが、後ろで凄まじい殺気を放って立っていた。
「何してる」
「何って」
ユウキのオッドアイが峻烈な光を持って下から睨み上げる。木村君より小さい筈の彼女が、一回り大きく見えた。
「何をしてるか聞いてる」
「見ただろ? ただのキスだよ。お前もして欲しいの? 特別にしてやってもい……」
めんどくさそうに笑う彼を、ユウキは最後まで言わせずにぶん殴った。木村君はその辺の机や椅子を巻き込んで、派手な音を立ててひっくり返った。それでもなお、ユウキは彼を許さなかった。スカートの裾を翻し、ガチャガチャになった机の間に倒れる木村君に馬乗りになって、彼を容赦なく何度も殴りつけた。
あたしはユウキさえも怖くなって、その場にしゃがみこんで呆然と見ていた。
隣のクラスから何人かの生徒が物音を聞きつけて入ってきた。彼らに三人がかりで引き剥がされてもなお、木村君を睨みつけるユウキの眼の光は衰えることはなかった。
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