第5話 上書き

 翌日、木村君は学校を休み、ユウキは自宅謹慎になった。だけどユウキが学校を休むわけがなく、知らん顔で登校し、そのまま部室に籠っていた。


 放課後、部室に行くとユウキがつまらなそうに欠伸をしながら、ソファにひっくり返って百人一首を読んでいた。


「待ちくたびれた」


 昨日のことなんか何も無かったかのように普通に話しかけてくるユウキ。言い方が駄々っ子みたい。でも、あたしはどんな顔をしていたらいいのかわからない。


「嘆きつつひとり寝る夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る……右大将道綱母。って感じ」

「来ないと思った?」

「まさか」


 肩を竦めた後でボソッと追加した。


「ナツミは来るさ、必ず」


 悔しいけど正解。寧ろ放課後になるまでの時間が長かった。『いかに久しきものとかは知る』だよ。ユウキだけじゃないんだから。


「こっち来て」


 あたしが断れるはずもない。いつものように彼女の左側に座ると、彼女も左手を背もたれの上に乗せる。

 ふと見ると、右手に包帯を巻いてる。どれだけの力で木村君を殴ったんだろう。全く容赦した形跡がない。


「痛い?」


 あたしが聞くのも変な話だけど、つい、口を突いて出てしまった。


「別に」

「ごめんね」

「許さない」

「え」

「あんな野郎にキスを許すなんて」


 そんなこと言ったって。


「まだあいつの感触残ってる?」


 ユウキのオッドアイがあたしを捉える。なんて答えたらいいのかわからない。


「消してやるよ」


 いきなりユウキがあたしの視界を塞いだ。唇に柔らかな感触。木村君と違って、きめの細かいマシュマロのような唇。何度も軽く押しつけられて、最後に下唇だけを彼女の唇で挟んで引っ張られた。

 プルンって唇が離れて、なんだかおかしくて、クスって笑っちゃった。ユウキも一緒にクスクス笑った。


「私で上書きされた?」

「うん」

「じゃ、あいつのことは忘れて」

「うん、ユウキのことだけ見てる」


 ユウキが背もたれに乗せた腕を下ろしてきて、その手であたしは肩を抱き寄せられた。彼女の肩にもたれかかると、その胸があたしのすぐ目の前にくる。

 ちゃんと女の子の胸だ。女の子だってわかってるのに、どうしても彼女に惹かれていく自分がいる。

 無意識に彼女の胸に手を伸ばした。柔らかい。本物だ。


「どうした?」

「あ、ごめん。ユウキの性別が偶にわかんなくなる」

「酷いな。私だって生理あるんだから」


 ユウキに生理って言葉が似合わない。


「だって普通、女同士でキスしないよ?」

「さっきのはあいつの感触が残ってるのが許せないから上書きしただけ。本物のキスじゃない」

「本物のキスは?」


 やだ、あたし何言ってるんだろう。


「したいの?」


 低く掠れた声とともに、ユウキが深い湖のような色の瞳であたしを覗き込んだ。

 反則だよ、そんな目で見られたら脳が麻痺しちゃうよ。


「可愛いね、ナツミは」


 そう言ってユウキはまた、あたしの鼻に自分のそれをチョンってつけた。

 やっぱりこっちの方が安心する。あたしとユウキだけの挨拶。nose kiss。


「たまにはナツミにもこうして欲しいな」

「こうって?」

「ノーズキスだよ」

「下手だよ?」

「最初から上手い人なんていない。それにナツミが上手だったら、嫉妬する」

「誰に?」

「ナツミのキスを上手にした人に」

「ばか」


 あたしはユウキの鼻に自分の鼻を近づけた。

 コツン。

 

「痛てっ」

「ごめん」

「下手くそ」


 なんかそうなるような気はしたんだけど、やっぱりおでこが先にぶつかった。


「ナツミが下手くそで安心した」

「何それ」

「もう一回チャレンジ」

「えー。するの?」

「嫌なの?」

「頑張る」


 くすくす笑ってリトライ。そーっと近づいて行って、ユウキの鼻にあたしの鼻が上手いことくっついた。「やったね!」って思った瞬間、ユウキがあたしの唇をペロッと舐めた。あたしはびっくりして身を引いてしまった。


「何?」

「ナツミの唇が美味しそうだったから。桃の味がしそう」

「何それー」

「残念ながらしなかった」

「するわけないでしょ」


 あたしはユウキの肩にもたれた。

 目の前には『女子の胸』があった。

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