第6話 練習台

 驚いたことに、木村君の件はあっさり揉み消されてしまった。

 彼は鼻の骨折って、片方の鼓膜が破れたらしい。あのワイルドなイケメンが見るも無残に顔を青紫に腫れ上がらせてたんだから、まあ、それくらいにはなっていても不思議ではない。

 どう考えてもユウキの方が分が悪いと思っていたんだけど、木村君も噂通りいろんな女の子にちょっかい出してたらしくて(とは言っても一線超えるようなことはしてないらしいけど)、彼女たちがユウキを守ろうと団結して先生に訴えてくれたみたい。

 木村君の方も余罪を追及されるのが嫌だったのか、ユウキにボコボコにされたことに関しては何も言って来なかった。普通に考えたら、これ、傷害事件になっちゃうとこだったけど、学校側としても問題起こすより揉み消す方が良かったんだろう。ユウキはシカゴの姉妹校の交換留学生だから、問題起こしたとなるといろいろ厄介だしね。

 

 なのにさ。あたしがこんなに心配してるのに、ユウキってば全然気にも留めてない。


「あいつ学校に出てきたら、もう一発ぶん殴ってやる」

「それどころじゃないよ。木村君、死んじゃうんじゃないかと思った」

「死んでもいいよ、あんなヤツ」

「ダメだよ? 木村君が出てきても近寄っちゃダメだからね」

「それは私のセリフだよ」


 あたしとユウキは教室では殆ど喋らない。

 あたしの周りにはいつも仲のいい女子がいて、ユウキは……最初のうちは女子に囲まれたりしてたけど、最近ではそういうのをめんどくさがって『近寄るなオーラ』を発しながら一人で本を読んでたり、ふらっと教室を出て行って休み時間中姿を見せなかったりしてる。今ではみんなわかってるから、ユウキには声をかけずに遠巻きに眺めながら、その容姿に溜息をついてるんだ。

 大体、彼女の視線をまともに受けたら、女子ならほぼ確実に恋に落ちる。これは仕方ないよ、ほんとに綺麗なんだもん。

 すらりと伸びた長い手足、細くくびれたウエスト、第一ボタンを開けたままのシャツに見え隠れする綺麗な鎖骨、そこから伸びる細い首、サーモンピンクの唇、すっと通った鼻筋、柔らかな焦げ茶の髪から覗くあの瞳……オッドアイ。

 彼女のすべてがあたしの心を掴んで離さない。髪の先から爪の先まで全部好き。彼女を永遠に眺めていられるなら、そのまま死んでしまっても構わない。

 はぁ。溜息。とんでもない人を好きになってしまった。女子なのに。

 全てはあの階段の日に始まったんだ。あんな至近距離であの瞳で見つめられたら誰だってこうなっちゃうよ。即死しなかっただけマシ。しかもその人が今、あたしの隣にいる。あの瞳に吸い込まれてしまいそうで、彼女をまともに見ることができない。


「何考えてるの?」

「ユウキのこと」

「怖い?」

「なんで?」

「木村をボコったから」


 思わず吹き出しちゃた。こんな現実離れした容姿で、言うことが俗物的。それがまたあたしの心をくすぐる。


「死んじゃいそうって思ってた」

「殺す気で殴ったもん」

「違う、あたしが死んじゃいそうなの」

「は? なんで?」

「ユウキのことが大好き過ぎて」

「ヤバい、ナツミ可愛い。襲っていい?」

「何それ……ぁ」


 ユウキに引き寄せられて、その腕の中にすっぽり収納される。中途半端に途中まで捲られた袖から伸びる細い腕は、男子にしては綺麗すぎるし女子にしては長すぎる。あたしはこの袖口がたまらなく好き。ドキドキする。

 あたしを軽く拘束してるその腕をうっとりと眺めていたら、彼女はあたしの顔を自分の方に向けさせた。

 至近距離で目が合う。それだけであたしは金縛りにあってしまう。もう、何をされても抵抗できない、彼女の言いなり。

 あの瞳が近づいてくる。なのにあたしが吸い込まれていくような錯覚に陥る。


 ちょん。

 ちょんちょんちょん。


 鼻が触れる。

 ユウキがくすっと笑う。

 今度はあたしが鼻を近づける。


 コツン。


「痛て。もー、ホント下手くそなんだから」

「ごめん」

「仕方ないなぁ」

「練習しないと上手になれないよぉ」

「じゃあ、練習台になってあげる。ただし、おでこにぶつけたら1回につき1度、唇にキスするよ」

「じゃあ、わざと失敗する」

「なんだそれ」


 ユウキが楽しそうにくすくす笑った。

 ほんとにわざと失敗したら……キス、してくれるのかな。

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