第9話 桃の味

 体育祭が終わって、学校は一気に文化祭一色になる。

 文化祭ではそれぞれのクラス毎に案を練って、模擬店やら自主製作映画やらお化け屋敷やらが企画されているみたい。

 うちのクラスはカフェというにはイマイチおしゃれではなく、かといって食堂って感じでもない、「とりあえずちょっと茶でも飲む?」みたいなお店。メニューもお茶やコーヒー、ハンバーガーにフライドポテト、たこ焼き、焼きそば、ポップコーンなんていう簡単にできちゃうようなものばかり。クラスのみんなで時間を区切って、交代で店番をする。

 体育館のステージに参加する子もいるから、その辺はうまく調整しながらやるんだけど、その調整はやっぱり文化委員のあたしと木村君の役目。

 その木村君、バンドでステージに参加するらしい。彼はカッコいいし、女子の注目を集めるんだろうな。噂では他の女子高から彼を目当てに文化祭に来る人もいるらしいもん。でも、こう言っちゃなんだけど、ユウキの方が断然カッコいいんだから!

 そのユウキ、相変わらず休み時間はどっか行っちゃってるし、教室に居てもあんまり話に参加してこない。「特に用事無いから、テキトーなところにシフト組んどいてよ」なんて言ってる。あたしはユウキと一緒に店番して、一緒にあちこち回りたいから、文化委員権限をここで最大限に行使するんだ。

 なんて企んでいたところに、とんでもない話が舞い込んだ。


「ナツミ、私、ステージの方出ることになったから」


 は? ステージ? ユウキが? 人前に出るのが嫌いなユウキが?


「どうしたの? 吹奏楽部の助っ人じゃないよね? バンド?」

「バンド。どうしても断り切れなかった」


 珍しい。このユウキが断り切れないなんて。どんな頼まれ方したんだか。


「ユウキなんの楽器できるの?」

「ああ、まあ、ベースとドラムとギターはできる」

「全部じゃん!」

「ヴォーカルだけは頼まれてもやらない」


 そう言いそうな気はしたけど。


「シカゴでバンドやってた。ドラム」


 なんか変に似合いそうでドキドキする。ユウキなら何やってても似合いそうだけど。


「誰に頼まれたの?」

「木村」


 えっ? 木村君?


「無理ならいいって言われたんだけど、この前鼻折っちゃったし鼓膜も破いちゃったし、まあ、ごめんなさいってことで参加」

「それ、あたしのせいだよね」

「ナツミのせいじゃないよ。体育祭でも随分世話になったし。それに……」


 ユウキがちょっと目を逸らした。


「木村、結構上手いんだ、ギター。あいつとなら組みたいなって思ったから」


 どきん。

 木村君にユウキを取られちゃう!


「聴いたの?」

「うん。偶々講堂のステージで木村のバンドが練習してるところに通りがかってさ。あいつ、マジ上手かったからぼんやり見てたら声かけられて。それでベース借りて軽くセッションしたら息が合ったっていうか」


 ――息が合った。

 ただのバンドでしょ。それなのに、どうしようもなく心がざわざわする。ユウキを木村君に持って行かれるような、そんな嫌な予感。


「少なくとも私が今まで一緒に演った中では一番のギタリストだったかな」

「そう……」


 ユウキがあたしの顔を覗き込む。


「ナツミ?」

「何?」

「私が木村とセッションするの、嫌?」


 嫌に決まってる! だけど、ユウキはきっと楽しみにしてる。『今まで一緒に演った中では一番のギタリスト』なんだから。だから嫌って言えない。だけど嫌。


「特別に……木村君に貸してあげてもいいよ。でもちゃんとあたしのところに戻ってくるよね?」

「貸出許可?」


 まるでユウキをあたしの所有物みたいに言ったこと、ユウキは怒ってるんだろうか。

 だけど、嫌って言ったらきっとユウキは木村君を断る。いいよって言ったら「その程度か」って思われる。どっちもダメ。


「ねえ、ナツミ。こっちに来て」


 ソファでユウキが手招きする。こんな風にユウキに言って貰えるのはあたしだけなのに。木村君とバンド組んだらどうなるんだろう。


「ナツミは私だけのもの」

「でもユウキはあたしだけのものにはならないんでしょ?」

「木村のものにはならないよ」


 うまくはぐらかされた。木村君のものにならなくても、他の誰かのものにはなるの?


「ナツミに聴きに来て欲しいな。木村とトレーディングでギターバトルするんだ」

「何それ」

「ま、簡単に言えば腕の競い合い」


 他の学校から木村君を応援に来る女子もいるんだよー! もう、知らないから。


「目立つの嫌いなんじゃなかったの?」

「目立つのは嫌い。でも挑戦は受けて立つ」


 はぁ。そういう人だよね、ユウキは。


「しかもさ、あいつLes Paulのハニーバースト持ってんだよ。まったく」

「?」

「私はStratoだけどボディもピックガードもブラックだってのに。ま、ちょうどいいかな、派手な木村がいれば私は地味で目立たない。あー、バトルやってりゃどっちにしても目立つか」


 ユウキは自嘲するように一人で笑ってるけど、あたしは全然話見えない。ギターの話なら木村君とユウキの間に割り込めないんだ……なんか、それ、やだな。


「ね、ちゃんとここに戻ってくるよね?」

「当たり前だよ。私の逃げ場はナツミしかいない」

「ねえ、鼻にチュッてして?」


 自分で言ってて顔が赤くなってるのがわかる。凄い顔熱いもん。

 ユウキは笑ってあたしの鼻に自分の鼻をくっつける。


「違うの。チュッてして欲しいの。鼻じゃなくて、唇で」

「いいよ。いくらでも」


 あたしはユウキに抱き寄せられて、鼻を差し出す。変なの、鼻を出すなんて。

 だけどユウキはちゃんとチュッてしてくれて。何度も何度も。


「ふふ……ユウキってばいつまでやってるの?」

「いくらでもって言ったよ」


 不意にユウキの唇があたしの唇に触れた。


「桃の味しそう」

「しないってば」

「でも、桃の香りがする。甘い香り」

「シャンプーとボディソープが桃の香りだから」

「美味しそう」


 ユウキの唇があたしの唇を何度も啄む。


「ここじゃないな、桃は……こっちだ」

「ぁ……」


 背筋に電気が走った。

 急にユウキがあたしの耳たぶを咥えたから。


「ナツミ、可愛い声。もっと聞きたいな」


 耳たぶを咥えたままユウキが喋る。耳に直接吐息がかかって、自然と背中が反り返ってしまう。全身がゾクゾクして思考が停止する。


「ユウ……キ」

「桃の味、するよ」

「あ、や……」

「嫌なの?」

「ちが……だめ」

「可愛いナツミ」


 ふっと彼女があたしから離れた。あたしの心臓はもう、胸を突き破って出てきそうなほど激しく脈打っていた。

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