第17話 冬眠

 講堂を飛び出したあたしは、気持ちのやり場が無くて、とにかく部室に逃げ込んだ。ソファに沈んで、いつも置きっぱなしにしている膝掛けを頭からかぶる。


 ユウキを見る木村君の目が優しかった。木村君を見るユウキの目が艶めいてた。

 あたしにしか見せない目を木村君に見せてた。


「私は基本、ノーマルなんだよね」


 急にユウキの言葉がリフレインする。殺す気で殴ったっていう相手と、今ではあんなに楽しそうに……。

 ユウキも木村君も単独で十分素敵だけど、二人が一緒に居るのがとても自然で、どうやっても割り込めないようなオーラを放ってた。

 今、ユウキを失ったら、あたしはどうなってしまうんだろう。考えられない、考えたくない。そんなの学校に来る意味ない。生きる意味も見失ってしまいそう。

 もうやだ。ユウキに会いたくない。会いたいけど会いたくない。


 悶々と考えていたら、部室のドアが静かに開いた。ユウキだ。あたしはどんな顔をしていいのかわからなくて、野ネズミのようにソファの上に小さくまるまって、頭からしっかりと膝掛けをかぶり直した。


「ナツミ」


 ゾクゾクするような掠れた低音。ああもう、たった今会いたくないと思ったばかりなのに、もう、どうしようもなくユウキを欲してる。


「何してんの? 冬眠にはまだ早いよ」

「終わったの?」

「終わんないうちに来るわけないじゃん。なんで途中でいなくなっちゃったの?」


 あたしが膝掛けをかぶったままなのに、ユウキは知らん顔で話し続ける。


「ユウキは木村君のことが好きになったの?」

「は?」

「さっき、凄く楽しそうだったから」

「ああ、あれ?」


 ユウキがくすくすと笑って隣に座る。ソファが少し沈んで、心なしかユウキの方に傾く。


「そーねぇ、まあ、ぶん殴った時よりはずっと印象良くなったね」

「そうじゃなくて。好きになったの?」

「うん」


 え……。思わず目だけ膝掛けから出してしまった。


「っていったら、ナツミはどうするの?」

「どうって……」

「何か変わるの? 私のこと、嫌いになる?」


 あたしを試すように、悪戯っぽく笑うユウキ。憎たらしい。


「ならない。多分」

「じゃあ、どうしてそんなこと聞くの?」


 わかんない。独占欲? ユウキを独り占めしたい?


「ねぇ、ナツミ。私は誰のものなの?」


 誰の……?


「誰のものでもないよ。ユウキはユウキ」

「じゃあ、関係ないじゃん」

「関係ないよ。でも、聞きたかっただけ」

「好きだよ」

「え?」

「木村」


 木村君のこと、好きなんだ……。


「それは、恋愛対象として?」

「それはどうかなぁ、これからの付き合い次第だね。無くはない」

「あたしは?」


 やだ。あたし何聞いてんの?


「ナツミは特別。女の子に恋しちゃったって言ったじゃん。イレギュラー」

「ノーマルなんだよね」

「もちろん」

「ズルいね」

「ふふ……私はズルいの」


 ユウキに膝掛けを取られちゃった。


「顔、見せてよ」

「やだ。今ヤキモチで膨れてるから」

「それ見たい」

「意地悪だね、ユウキは」

「今知ったの?」


 無理やり顔をユウキの方に向けられちゃった。きっと恨みがましい顔してる。でもユウキはそんなあたしの顔を見ても、いつも通りに微笑んでる。


「手、貸して」


 きょとんとしているあたしの手を、下から掬い上げるようにとるユウキ。こんなふうにすると、王子様に手を取られたお姫様みたいだよ。手袋してないけど。

 そんな風に思ったのがユウキに伝わったのか、彼女はあたしの手をその口元に持って行って、軽く口づけた。ふふ、変なの。こんなことされたら、ヤキモチ妬いてた気持ちもどこかへ飛んで行ってしまう。ズルい。ほんとズルい。


 あたしがくすくす笑っていたら、ユウキが上目遣いにあたしを見ながら、もう一度手の甲にキスをした。


 ゾクリと来た。


 さっきと同じことしかしていないのに、何故?

 ユウキがじっとあたしを見つめている。あの深い湖の色をした瞳で。

 そうだ、あたしはこの瞳に堕とされている。この瞳に魅入られたら、もう逃げられない。

 金縛りにあったあたしを見て、ユウキは手首にキスを落とす。目を逸らさないまま、唇は腕を啄むように少しずつあたしに近づいてくる。手首から腕に、肘の内側に。まくり上げていた袖を唇で押し上げるように上腕まで行くと、ふと手を放してあたしの顔を両手で包み込んできた。


「美味しそうだね」


 彼女があたしの唇を貪る。

 どうしよう、あたし、おかしくなりそう。体中がうずうずする。何かにつかまらずにはいられなくて、彼女の肩にしがみつくと、彼女もあたしの体に腕をまわして抱きしめてくれる。

 何故だろう、とてもいけないことをしている気分。相手が女子だから? 男子だったらそんなことないのかな? でも男子じゃダメなの、ユウキでないと。この背徳感が、あたしを余計に敏感にしてる。ユウキの一挙一動にいちいち感じてしまう。


「ぁ……ユウキ」

「なぁに?」

「大好き」

「可愛い子。私も」


 あたしたちは夢中だった。夢中になりすぎて気づかなかったんだ。この秘め事をじっと見ている一対の目があることに。

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