第10話 ドラム

 最近、ユウキが部室に来ない。いや、来るんだけど遅い。理由はわかってる。バンドの練習だ。

 この前言ってた謎の言葉の意味が分かった。レスポールっていうのは、ギブソンとかいうメーカーのギターのことみたい。ストラトっていうのはフェンダーとかっていうメーカーの、あれれ、ストラトの方がギブソンだっけ、ストラトはメーカーだっけ、ああもう、なんでもいいや。あたしにはよくわかんない。

 木村君のギターはハニーなんとかっていう蜂蜜みたいな明るい黄色のボディで、ユウキのはボディも、そこにくっついてる変な板みたいなのも真っ黒。だから木村君のこと派手だって言ってたんだ。

 休み時間もよく木村君と話してる。あんまり教室に居なかったユウキが、最近じゃずっと教室に居て、ペグがどうの、ネックがどうのって、あたしにはわからない話をしてる。


「私のベースはMoonの5弦だよ。ジャズやりたかったし。ギターもLes Paulが一本欲しくてさー」

「5弦って女が扱えるシロモノじゃねえだろ。まあお前、男みたいなもんだしな。手、見せてみろよ」

「ん? こんなだけど?」

「でっけーなぁ、女の手じゃねえな。俺と同じくらいじゃん」

「20センチあるよ」

「マジか」


 そんな話をしながら、木村君が自分の手とユウキの手を合わせて、大きさ比べなんかしてる。話してる内容だけ聞いてるとユウキを全く女扱いしてないけど、なんかその行動がいちいちあたしの心をざわつかせる。


「お前ドラム何使ってた?」

「LUDWIG。個人的にはPEARLの方が好きだけど。木村んとこは?」

「TAMA。鳴りが好み」

「あー、なんかわかる。そんでRideはZildjianな。CrashはSABIANで、Splashが……」

「PAISTE」

「ギタリストの癖によく知ってんじゃん」 

「うちのドラマーがそのパターン」

「なんだ私と一緒か。今度MEINLにしよ」

「そんなに嫌うなよ」


 なんかすっごい楽しそう。あたしにはさっぱりわかんなくて、会話に割り込めない。あたしのユウキを返してよ。

 あたしが恨みがましく二人を見ていたら、木村君の方があたしに気づいて「あとでドラムも披露しろよ」とか言いながら離れて行った。彼はあたしの気持ちを知ってて気を遣ってるんだろうか。そうだとしたらかなり恥ずかしい。

 木村君が行っちゃったからといって、あたしがユウキと何か話すわけでもない。あたしの周りには他の女子の友達がいるし。木村君が居なくなって、ユウキはまた退屈そうにしてるだけ。そう考えると、木村君と話してる時の楽しそうなユウキの邪魔をしちゃいけないかなって思う。でもやっぱりちょっとヤキモチ。


 放課後、木村君のバンドを見に、講堂に行ってみた。体育館も会議室も多目的室も全部他のクラブに使われていて、文化祭の練習なんてする場所がないからっていうんで、講堂のステージの上で練習してるらしい。

 あんなところでやったら、バレー部とバドミントン部が気になって練習できないんじゃないかって、どうでもいいことが心配になってしまう。

 行ってみて、あたしの心配が的中していたことに笑ってしまった。バドミントン部の人たち、みんなステージ見てる。バレー部も心ここに在らずだ。まあ、それはそうだよね、あんなバカでかい音でドラム叩いてるんだから。


 ユウキはほんと目立つ。立ってるだけで目立つ。木村君とユウキ、イケメンが二人並んでステージなんか立ってると、何かのアイドルかと思ってしまう。と言っても片方は女子だけど。

 しばらくしてドラムの子が手を止める。ユウキと木村君と三人でちょっと喋って、ドラムから離れた。ユウキが代わりにドラムに入る。スティックを片手でくるくると回して遊びながら何か話していたかと思ったら、急にドドドって音がした。

 何も叩いてないよ? どこから音がしたの?

 相変わらずユウキはスティックをくるくる回しながらお喋りしてるけど、どこからかリズムを刻む音が聞こえてきてる。どう考えてもドラムの音なのに。くるくるしながら地味に叩いてるの? え、うそ、あれぇ? ユウキ、腕組んじゃったよ? だけどドラムの音は続いてる。録音したやつなの? なんかチッチッって金属音も聞こえるし、ドンドンって低い音もするし。


 あたしは無意識にステージに近づいて行ってしまった。不思議で不思議で仕方なくて、もう周りなんか見てなかった。


「あれ? ユウキに用か?」


 不意に頭上から降った木村君の声にハッと我に返ったあたしは、自分の状況に気づいて顔から火が出るかと思った。


「あ、ちっ、違うの、その、どこかからドラムの音が聞こえてきたから。でも誰も叩いてないし、おかしいなって思って」


 あたしが慌てて説明すると、シンバルの陰からユウキがひょこっと顔を出した。


「叩いてたよ。私が」

「だって腕組んでるし」

「こっちおいで」


 ユウキが人差し指をクイクイってして呼んでる。いいのかな、練習中なのに。


「今の曲、私のドラムで一回通してみない?」

「いいよ。ケムリンのドラムとまた違ってユウキのも面白そうだし」

「うん、俺、休憩ね。ユウキの演奏、勉強しとく」

「ナツミ、私の後ろに来てごらん。見たらわかるから」


 あたしは素直にユウキの後ろに回ってみた。


「いいよ、テキトーに始めて」


 木村君が頷いて、ギターを弾き始める。

 何これ。どうなってるの、指が20本くらいあるような演奏。メロウなバラードなのに、その音は一人の人間が発しているとは思えない。ギター1本で伴奏からメロディまで表現してる。正直、こんなに弾ける人だとは思わなかった。これは確かにユウキが『今までで一番』って言うわけだ。

 あ、ユウキの左足が金属の板を踏み始めた。チッチッって音がする。さっきの金属音の正体はこれか。左足を辿っていくと、小さなシンバルが2枚、パカパカと上下してる。

 ドッ……って低音が入った。不規則なリズムだ。ドンドンドンって感じじゃなくて、速くなったり遅くなったり、だけど大きな単位で規則がある。

 よく見るとユウキの右足が動くたびにその音がする。金属板の先にはりんご飴みたいなのがついてて、それが足元の寝てる太鼓を叩いてる。

 そうか。ユウキはさっき足だけでドラムの音をさせてたんだ。

 納得する間もなく、ユウキの両手がいきなり動き出した。うわぁ……両手両足、完全にバラバラに動いてる。なんで絡まったりしないの? 聖徳太子なの?


「すげえ、めっちゃ上手い。なんだあいつ、めちゃめちゃセンスいい」


 ケムリンって呼ばれてた子があたしの横で溜息をついてる。ドラマーの子から見てもユウキは上手いんだ……。


「ねえ、ユウキってどういう風に上手なの?」

「ん?」

「ごめん、あたし素人だから」

「ああ、いや、フツーだったらさ、譜面通りっていうか、もう最初から16なら16で刻んじゃうわけ。でもあいつってば、最初何も入れないで木村のギターをガッツリ聴かせておいて、『これは16ですよー』ってわかるようにベードラでわざとウラウラとか入れてくるんだよ。ウラだと8エイトってこともあるけどさ、ウラウラだから聴いてる人が16だって感覚でわかんの。んで、そこにフツーにハットをウラでぶっ込んでテンポキープしておいて、一気にスティックプレイに持ち込む。それも普通シンバルとかスネアでスタートだろ? いきなりフロアから入る奴があるかー。マジ、ありえない」


 全部宇宙語だった。量子論や般若心経を聴いてるのと変わらない。

 だけどそんなこと考える間もなく、急にリズムパターンが変わった。


「うっそ、マジ? あいつこれをラテンジャズにする気か。木村まで……あの二人、どーなってんだ。ギタローまで巻き込まれちゃってるわ」


 ああ、もう一人の青いギターの人、ギタロー君ていうのか。

 ぼんやりと木村君のめちゃくちゃ上手いギターに聴き惚れている間に演奏は終わってしまった。


「ユウキ、このまま俺の代わりにドラムやんない?」

「私の代わりにギターやってくれるならドラムやってもいいよ」

「無理」


 交渉は一瞬で決裂したっぽい。


「私は今日はこれで抜けるから、あと3人で頑張って」


 ユウキはさっさと黒いギターをケースに片付けると、それをひょいと背負ってあたしの手を取った。


「部室、行こ」


 あたしが断るわけがなかった。

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