第5話 モグラ野郎の怒り

王城に入った僕はジェネットを玉座の間まで連れて行き、つつがなく彼女を王様に紹介した。


「下がってよいぞ」


 王様のその言葉に僕は背筋を伸ばして敬礼すると、ジェネットに一礼して部屋を後にした。

 ふぅ。

 緊張した。

 僕が王様と直接顔を合わせるのはダンジョンをクリアーしたプレイヤーをこうして玉座の前まで連れて来る時だけだから、さすがに平常心じゃいられないよ。

 それでも一仕事終えた安堵感から僕の足取りは軽かった。


 これから僕はまた自分の職場である闇の洞窟へと戻る。

 ジェネットとはここでお別れだ。

 彼女はこれから国王様からの報奨金を授与されたり各種の歓待かんたいを受けるだろう。

 少し名残惜しいけど、短くも楽しい時間だったな。

 またどこかで会えたらなんてつい考えてしまうけど、僕は基本的に闇の洞窟に常駐して外には出ないし、もう彼女とも出会うことはないだろう。


「元気でね。ジェネット」


 僕は彼女の今後の活躍を祈りつつ、気持ちを切り替えて帰路についた。

 玉座の間を出ると、そこからロビーまで続く長い廊下には壁一面にさまざまなプレイヤーの写真が掲載されていた。

 これって各種のイベントで好戦績を上げたプレイヤー達なんだよね。

 中には僕のいるダンジョンを攻略してあの魔女ミランダを倒した猛者もさたちの姿もあった。

 間もなくするとそこにジェネットの姿が並ぶことになるんだろうね。

 僕がそれを見ることになるのは、次に誰かがミランダを倒して、その誰かを僕がここに連れて来る時だ。

 その時には僕の頭の中から基本設定と主要な記録以外の記憶は消去されてるだろうから、ジェネットと交わした会話の内容も覚えていないだろうし、彼女の写真を見ても何の感慨も湧かないんだろうけど。


「それはそれでさびしいな」


 僕は一人廊下を歩きながらそんなことをポツリとつぶやいた。

 そしてふと足を止めた……あれ? 

 何だこのこの感じ。

 さっきも似たような感覚に襲われたんだけど、前にもこんな感覚を味わったことがあるような気がする。

 少し寂しくて、胸が痛むような感じ。

 でも、その正体が何であるのか僕にはまったく見えてこない。

 何か落し物をしてきてしまったような気がして後ろを振り返ったその時、僕の視界によく見知った人物の姿が飛び込んできた。


「何だ。地下から出てきやがったのか。モグラ野郎」


 トゲのある声でそう言って僕の前に立ったのは、僕とは種類の異なるNPCであるリードという男だった。

 その年齢設定は僕と同じ18歳だけど、リードは僕よりも頭一つ背が高く、スラリとした細身の身体は運動神経に優れている。

 そして憎らしいことに僕と違ってイケメンだった。


 彼はもともと僕と同じNPCで同じ王国の兵士すなわち同僚だった。

 けれども幾度かのアップデートを経て、今ではリードはプレイヤーとともに冒険をして彼らを補助するサポートNPCとなっていた。

 リードは武芸にも秀でているため、プレイヤーに請われて彼らの冒険の手助けをすることも少なくない。

 まあ要するに同じNPCでも僕みたいな脇役中の脇役とは違って売れっ子なんだ。


「リード。僕に何か用?」


 僕の言葉にリードはまるでエサに食らいつく魚のように反応した。


「おまえみたいな端役のNPCに用事のある奴なんているもんか。久々にその辛気くさい顔を見たから、ついうっかり声をかけちまったんだよ」


 そう言うとリードは口の端を吊り上げて性根の悪さを表すようにいびつな笑みを浮かべる。

 ついうっかり……ね。

 そりゃどうも。

 意地の悪いリードの顔は僕といういたぶりやすい獲物を見つけて揚々ようようと輝きを放っている。


 リードは以前からずっとこうだ。

 僕をあざけり、さげすんで日頃の鬱憤うっぷんを晴らしているんだ。

 そのくせプレイヤーの前じゃ紳士ぶってるもんだから、生来の外見の良さも手伝ってゲーム内じゃ人気も上々。

 嫌な奴だ。

 ま、今僕の目の前にいるこのリードの顔こそ、彼の本当の顔だってことを僕は知ってるからいいけどね。

 何にしてもリードの憂さ晴らしに付き合ってやる義理はない。


「悪いけど僕もう行かなきゃならないんで」


 そう言って背を向けると、サッサと僕は歩き出した。

 リードとお喋りしていて、いいことなんて何も無いからね。


「待てよモグラ野郎。もう穴ぐらへお帰りか? せっかく日の当たる場所へ出てきたってのに哀れな野郎だな」


 リードのしつこい言葉が僕の背中にねっとりとまとわりつく。

 だけど僕はそんなの気にせずスタスタと歩き続けた。

 さっきも言ったけど僕はただの『その他大勢』のNPCでしかない。

 同様にリードがああして好青年の顔の裏で僕に陰湿な言葉を投げかけるのも彼のNPCとしての特性なんだ。

 要するに僕たちはそうやってプログラミングされた通りに動いているだけさ。

 いちいち暴言に腹を立てる理由なんて僕にはないよ。

 そのはずだった。


「薄汚い魔女のところにそんなに早く帰りたいのか?」


 リードのその言葉が僕の足を止めた。

 止めようとしたわけじゃない。

 足が勝手に止まってしまったんだ。

 僕は今まで感じたことがない感情のうねりを感じて思わずリードを振り返っていた。

 視界の中ではリードが少し驚いたような意外そうな顔をしてこっちを見ている。


「お? どうしたモグラ野郎。けがらわしい魔女のお守り役とか言われるとやっぱり腹立たしいのか? ずいぶんとお怒りのご様子だな」


 そう言いながらリードは耳障みみざわりな笑い声を立てる。

 怒ってる? 

 僕が? 

 そんな馬鹿な。

 魔女ミランダの見張り役をしているのはずっと前からだし、そのことで人から色々と陰口をたたかれたり後ろ指を差されるのは慣れっこを通り越してもはや僕のNPCとしての仕事だ。

 もう一度言うけど、怒る理由なんてない。

 だというのに……。


「おまえは薄気味悪いあの魔女の付属品だ! 暗い穴ぐらの底で地虫みたいなミランダと夫婦にでもなったらどうだ! 日陰者ひかげもの同士お似合いだぜ。ヒャハハハハハ!」


 あろうことか僕は自分を見失っていた。

 気が付くとリードに向かってうなり声を上げながら突進している。

 馬鹿なことだ。

 やり一つまともに振るったことのない僕が、凄腕のサポートNPCであるリードに向かっていくなんて。

 しかも僕のような一般NPCは、プレイヤーはおろか他のNPCに対しても危害を加えられないように設定されている。

 リードに向かっていったところで何か出来るわけではないんだ。

 それでも怒りにとらわれた僕は自分を止めることは出来なかった。


 リードは彼自身、予想すらしなかったであろう僕の突然の凶行に一瞬驚きの表情を浮かべたが、その表情はすぐに喜びを帯びて輝いた。

 エサの付いた針に魚がかかったときの釣り人の興奮と熱狂に満ちた表情に似たそれだ。


「そうだ! ブチのめされに来い! モグラ野郎!」 


 その時だった。


「おやめなさい」


 ふいに白い人影が僕の目の前に立ち、視界をさえぎった。

 僕は思わず立ち止まる。

 一人の少女が僕の前に毅然きぜんと立ちはだかっていた。


「あ、あなたは……」


 呆気あっけに取られてそうつぶやきを漏らす僕の眼前に立っていたのは、つい先ほどまで僕と一緒にいたシスター・ジェネットだった。

 ど、どうして……。


「王城内での乱暴狼藉らんぼうろうぜきは王国に仕える兵士として恥ずべきことですよ」


 錫杖しゃくじょう懲悪杖アストレア』を持ったまま彼女は確固かっこたる口調でそう言った。

 僕は茫然ぼうぜんとしたまま彼女を見つめ、言葉を失って立ち尽くした。

 つい今しがた玉座の間に連れて行き、そこで別れたばかりの彼女がなぜここに?

 本来なら今頃、国王様や大臣たちから手厚いもてなしを受けているはずなのに。


「シ、シスター? 国王様との謁見えっけんはもう終わったんですか?」


 そう言う僕にジェネットはサラリと答えた。


「お忘れですか? 私はプレイヤーではなくNPCですから諸々の手順は省略されます」


 あ、そういうことか。

 プレイヤーが受ける一連の歓待かんたいはジェネットには無用ってことなのか。

 思わぬ闖入者ちんにゅうしゃにリードも面食らったような顔を見せたが、すぐに気を取り直したようで余裕の笑みを浮かべる。


「これはシスター。ミランダ討伐の成就、お見事でした。華麗なお手前だったようですね。よろしければ祝杯でもいかがですか? もちろん酒ではなく紅茶でもみ交わしながら」


 だがジェネットは表情をまったく変えずに整然と言葉を返す。


「お気遣い痛み入りますが、私はこちらの兵士様に用があるので遠慮させていただきます」


 つれない彼女の言葉に意表を突かれたのか、それとも自尊心を傷つけられたのか、リードは少しだけ顔を引きつらせて言った。


「これは驚いた。貴女ほどの方がこんな下々の兵士に何か御用がおありとは。興味深い」

「あなたには何ら関係のないことです。ご理解いただけたのでしたら、この場はご遠慮いただけますか? もしこれ以上、事を荒立てるおつもりならば先ほどのあなたの言動を包み隠さず口外させていただくことになりますが」


 イケメンのリードに対する女性キャラクターの態度としては気持ちいいくらいの冷淡ぶりだ。

 ジェネットは穏やかな口調ながら一歩も引かない強い意思を感じさせる視線をリードに向けていた。

 リードはほんの一瞬、わずかに目を細めて値踏みするような視線をジェネットに向けると、彼女の冷然とした態度をいなすかのように朗らかな笑い声を上げた。


「ハハハ。シスターも人が悪い。神に仕える貴女がそんなことをするはずがないでしょう」


 リードはあくまでも好青年の笑顔を崩さず、両手を広げて落ち着いた口調でそう言った。

 見る者に敵愾心てきがいしんを抱かせない巧妙な笑顔だった。

 それでもジェネットはまったく揺らぎも惑わされもしない。


「我が神は正義の神。非道を悔い改めさせるためならば、鉄槌を下すこともお許し下さいます。試してみますか?」


 ジェネットの言葉にリードの顔から初めて笑みが消えた。

 その目に冷めた光が宿っている。

 やがてそれは冷笑となってリードの顔全体にゆっくりと広がった。


「いいでしょう。そこまでおっしゃるなら、この場は引くとしましょうか」


 そう言うとリードは大仰に肩をすくめてみせた。

 そして僕をにらみつけるときびすを返して背を向けた。


「シスター・ジェネットの慈悲の心に感謝するんだな。モグラ野郎。ああ、それからシスター。僭越せんえつながらご忠告申し上げますが、あなたのその義の心はご立派ですけれど、それがいずれ御身のあだとならぬようご注意下さい」


 背中越しにそれだけ言うとリードは大股で歩き去っていった。

 その背中は傲然ごうぜんとしていて、相変わらず憎らしかった。

 僕はその背中を見送りながら先ほどまでの怒りもすっかり忘れ、ただただジェネットのその可憐な容姿に似合わない胆力に驚嘆していた。


 すごいんだなぁ。

 ジェネットって。

 やっぱり何かを成し遂げる人はオーラが違う。

 そんなことを考えながら彼女を見つめていると、ジェネットも僕に顔を向けた。


「少しは落ち着きましたか?」


 そう言う彼女に僕は声もなくコクコクとうなづいた。

 僕のその反応を見るとジェネットはニッコリと天使のように微笑みながら、突如として僕に懲悪杖アストレアを突きつけたのだった。

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