だって僕はNPCだから

枕崎 純之助

第一章 闇の魔女

第1話 僕とミランダ

「よくぞ災厄の魔女たるミランダを倒してくれました。あなたの功績は永遠にたたえられることでしょう。感謝の言葉もありません」


 NPCである僕にとっての最大の仕事はそのセリフを口にすることだった。

 NPC。

 すなわちノンプレイヤーキャラクター。

 ゲーム内でプレイヤーが操作するキャラクター以外の登場人物のことらしい。

 たとえばRPGゲームにおけるボスキャラを初めとする敵キャラなんかをそう呼ぶんだって。

 このゲーム内すべてのキャラに配布されているマニュアルにそう書いてあったんだ。


 他にも、街中をウロウロしていてプレイヤーに話しかけられると「ここは~の街です」とか「ここから東に向かうと小さな洞窟があります」とか決められたセリフを喋る、言わば「その他大勢」の役割を受け持つキャラクターのこともそう呼ぶんだ。

 僕もそのNPCの一人で、役どころは『洞窟内に巣食う悪の魔女を見張る兵士』というものだった。


 とは言っても本当に見張っているわけじゃない。

 だって危険な魔女を見張る役に僕一人だけって、猛獣のおりを紙で作ってるようなものだろ。

 僕は別に戦闘のプロでも何でもない。

 槍を一本持たされてるけど、使ったこと一度もないしね。

 本当に危険ならもっと大勢で厳重に見張りをするだろうけれど、危険な魔女は僕を襲ってきたりはしない。

 だって僕はNPCだから。


 魔女も僕がいなくなったら自分のことをプレイヤーたちに紹介してくれる役がいなくなって困るからね。

 要するに僕たちNPCは皆、自分の決められた役割を果たすために存在しているんだ。

 今、僕がいる場所は洞窟の奥深くで、すぐ近くには訪れる者を闇の底に葬り去る恐ろしい魔女・ミランダが闇の玉座に鎮座していた。

 国王の命令でここにいる一兵卒の僕だけど、悪の魔女を見張るって言ったって別に何のことはない。

 仕事内容はいたって単純だ。

 ただここに留まり続け、魔女を退治するために訪れたプレイヤーにお決まりのセリフを告げるだけ。


「この先には危険な魔女がいるから用心しろ」


 ってね。

 青ざめた表情と怯えた口調がポイントで、これにはちょっと自信がある。

 え? 

 昼夜関係なくこんな洞窟の中にいて気が滅入めいらないかって?

 そりゃあ僕の仕事場は暗くてジメジメするし、普通に考えれば最悪の環境さ。


「こんな薄気味悪い場所にずっと留まっているなんてゾッとするぜ」


 以前にここを訪れたプレイヤーが僕に一瞥いちべつをくれながら嘲るようにそんな言葉を漏らしたことがあった。

 そりゃ、ゲーム内とはいえ世界中を駆け巡るプレイヤーたちからすればそう思って当然かもしれないけど、NPC相手だからって好き勝手言ってくれるよ。

 ま、僕みたいな冴えない兵士相手だと、なおのこと言いやすいんだろうけど。


 けれど、そうした出来事もごくまれなことだった。

 ここがゲーム進行の本筋から外れたトレジャーハント目的のダンジョンだからかもしれないけど、何しろここを訪れるプレイヤー自体がそう多くはない。

 別にここを通らなくてもこのゲームはクリア出来るからね。

 そう。

 僕はこのゲームの中じゃ世界の隅っこにいる。

 この洞窟のことなんか知らないまま、このゲームをクリアしていくプレイヤーだって少なくない。

 ただ、もともと人付き合いが苦手な僕には、この暗く寂しい場所がちょうどいいのかもしれない。


 別にいじけて言っているわけじゃないよ?

 暗く寂しい場所なんて言ったけど、言い換えれば静かで落ち着く場所とも言えるからね。

 僕にとっては騒がしい街中で大勢のNPCに混じって、ひっきりなしに訪れるプレイヤーを相手に同じセリフを口にし続けるほうがよっぽどゾッとするよ。

 だってプレイヤーは人の家の扉を開けて勝手に上がり込み、挙句の果てにタンスを開けたりつぼを覗いたりして中の物を持って行ったりするんだぜ? 

 信じられるかい?

 プライバシーなんて無いも同然じゃないか。


 その点、ここにいる限り他人にあれやこれやと詮索せんさくされることもないし、決められたセリフをせいぜい1日に2~3回伝えるだけで済むんだから気楽なもんさ。

 それというのもこの仕事場において僕は脇役に過ぎないからね。


 僕の同僚と呼ぶべき……かどうかは分からないけど、さっき話したようにこの洞窟にはその主たる、世にも恐ろしい魔女が巣食っている。

 僕の背後に見える通路の先にある闇の玉座で、プレイヤーを待ち構えている彼女の名はミランダ。

 洞窟をクリアーして褒賞アイテムを手にするためには、彼女を倒さなければならない。

 まあ、ありふれた話だよね。

 ただし、このミランダがかなり厄介やっかいな存在で、プレイヤーの攻勢を受けて自身が負けそうになると、『死神の接吻』デモンズキッスという死の魔法を連発して相手の息の根を止めにかかる。

 これにかかるとどんなに体力自慢のプレイヤーでも50%の確率で即死してしまうんだ。

 それこそ風船ふうせんに針を刺すがごとく、あっさりとね。

 僕のいる定位置からだと、プレイヤーと魔女ミランダとの戦いを毎度目にすることになるんだけど、ミランダがヒステリックに『死神の接吻』デモンズキッスを連発し出すと現場はまるではちの巣をつついたような騒ぎになる。


 今まで僕は多くのプレイヤーが彼女によってゲームオーバーに追い込まれる場面を幾度となく目撃し続けてきた。

 嬉々としてプレイヤーのしかばねを踏みつける彼女はまさに悪の権化ごんげだったね。

 何と言うか彼女の場合、職業として悪役をこなしている、というよりも趣味として大いに楽しんでいるようにしか見えない。

 彼女の長く緑がかった黒髪はこの薄暗い洞窟の中に灯る松明たいまつの明かりに照らされてあやしげな輝きを放ち、その身にまとっている『深闇の黒衣ヘカテー』と呼ばれる漆黒のドレスは彼女の圧倒的な存在感をさらに浮き立たせていた。

 そしてその黄金色の瞳はまるで暗闇に光る猫の目のようで……って別に僕、彼女のマニアックなファンとかじゃないからね。


 毎日職場で顔を合わせ続けている唯一の同僚なんだから、さすがに身体的および性格的特徴くらいは覚えちゃうよ。

 まあ要するにミランダは一見すると華奢きゃしゃな体つきのごく普通の少女にしか見えないんだけど、実際のところはすこぶる凶悪な魔女だった。

 僕に危害を加えないとはいえ、出来ることなら彼女とは一定の距離感を保っておきたい。

 だって怖いじゃん?

 だけど、そんなミランダも普段あまり訪問者のない時は自分の居場所である闇の玉座に座ったまま大きなあくびをしたり、今まで倒したプレイヤーたちとの戦闘記録などを見ながら日がな一日を過ごしていた。


 こう言うと悪の魔女なんて言ったって地味なもんだろ?

 ある時、プレイヤーが一人も訪れない日が3日連続で続くと、よほど退屈に耐えられなくなったのか、彼女は珍しく僕に話しかけてきた。


ひまね……」


 この時、出し抜けに声をかけられた僕は少し驚いてしまった。

 なぜなら、このゲームが生まれてどのくらい経つのかもう忘れてしまったけれど、彼女が僕に話しかけてきたことなんて、今まで指で数えるほどしかなかったはずだからだ。

 それもたいていはプレイヤーを倒した後の勝利に酔った嬌声きょうせいまじりの言葉だったりする(よく見なさい。そこの兵士。無謀にも私に挑んだ愚か者どもの末路をナンタラカンタラ……的な)ので、こんなふうに何気ない会話を持ちかけられるのは恐らく初めてのことだ。


「……そ、そうだね」


 僕は少し緊張気味にそう言葉を返した。

 彼女は恐ろしい魔女だ。

 もちろんさっき言った通り、彼女がNPCである僕に対して危害を加えるようなことはない。

 そう設定されているからね。

 ただ、彼女のおっかなさを幾度となく目の当たりにしてきているせいか、僕はどうしてもビクついていた。

 そりゃ怖いだろ。

 彼女が恐怖の魔女だからってんじゃないよ? 

 単純に僕は彼女の鋭い目付きや、その迫力に満ちた声、そして威圧的な態度が苦手だった。


 そんなふうに恐れおののく僕の様子をつまらなさそうに見ながら、彼女は不満げに言葉を続けた。


「どうしてここはこんなに人気がないのかしら」


 ぶっきらぼうな彼女の言葉に気圧けおされたまま、僕は伏し目がちに首を傾げた。


「さ、さぁ……」


 僕のそんな態度に腹を立てたのか、ミランダの顔に浮かぶ表情が少し険しくなる。


「何よ。その気のない返事は。何かもっと気の利いたこと言えないわけ?」


 そんなこと言われても……っていうか顔怖いから。

 彼女は顔立ちの整った美人なんだけど、そういう人って怒った顔が人並み以上に怖いよね。

 まるで研ぎ澄まされた刃みたいで、触れたらすぐに切れそうだよ。

 彼女の理不尽とも思える言い分に、僕は力なくうなだれる。


「だって僕はNPCだから……」


 僕のその言葉にミランダは両手を腰に当てて玉座から突然立ち上がった。


「関係ないっ!」


 ひぃっ! 

 雷鳴のように轟然と響き渡るミランダの怒声に僕は思わず首をすくめた。

 ミランダはピリピリとした雰囲気を振りまきながら声を張り上げる。


「もう一度やり直し! で、どうしてここはこんなに人気がないわけ?」


 それはもう彼女の独り言ではなく明確に僕に向けた質問、いや詰問だった。

 人気が無いのは僕のせいじゃありませんよ?

 僕の心の声を読み取ったわけではないだろうけど、彼女は僕をギロッと睨みつける。

 ううっ……僕はまるでヘビに睨まれたカエルだ。


 下手な回答や言い逃れは許されない雰囲気を込めたミランダの視線が、僕の肌にチクチクと突き刺さる。

 数秒間続く沈黙の中で彼女の無言の圧力に負けて、僕は思っていることをつい正直に口走ってしまった。


「こ、攻略の難易度が高い割に、手に入るお宝にありがたみが無いせいじゃないかな」


 し、しまったぁぁぁ! 

 なにマジレスしてんですか僕は。

 以前から思っていた本心がつい口から漏れてしまい僕は慌てたが、一度発せられた言葉は飲み込んで回収することは叶わない。

 口を開けても飲むのは息ばかりだった。


 やばい。

 絶対怒られる。

 胃の奥がキューッと絞まるような感覚に、僕は今にも泣き出してしまいそうだった。

 でも僕の言ったことは真実だった。

 この洞窟で苦労して魔女を倒した結果、手に入るアイテムは剣や槍などの強力な武器類なんだけど、実は呪いがかかっていて装備したら二度と外せなくなる、といういわくつきの一品だった。

 その呪いを解くためには強力な解呪の魔法が必要なんだけど、実はこれらの武器類と同等の威力を持つ武器って他にもあるんだよね。


 これってこのゲームを製作した側のミスだよなぁ。

 呪われた武器ってのは他に類を見ないほどの威力があってこそ初めてその価値があるわけで、他に同じくらい強い武器があるなら、迷わずそっちを選ぶだろう。

 呪いというデメリットを打ち消すほどのメリットがなかったら入手欲は薄れるよね。

 わざわざ呪われた武器を手にするために危険を顧みずにこんな場所まで来るのは、よほどコレクター癖を持っているプレイヤーだけだろう。


 そういうこともあってここはゲーム内でもひときわ訪れる者の少ない人外魔境となっていた。

 ちなみにその褒賞アイテムである呪われた武器は、いつもミランダが座っている闇の玉座のすぐ後ろに隠されている。

 たまに彼女が取り出して、ひまつぶしに手入れをしているのを見たことがあるけど、そのうちの一つは奇妙な形をした剣だったと思う。


 と、悠長にそんなことを考えている場合じゃない。

 僕は生意気にも闇の魔女に意見をしてしまったんだ。

 今からミランダのターンで、僕が彼女から雷のような怒声を浴びるところですよ?(泣)

 怒り狂ったミランダに怒鳴りつけられることを覚悟していた僕だったけど、彼女は意外にも口を閉じたまま黙然と腕組みを続けていた。


 どうやらお客さんが少ないことは洞窟の主であるミランダも気にしているようで、眉根を寄せてムッとしながらも彼女は思案顔でポツリとつぶやいた。


「少し『死神の接吻』デモンズキッスを控えようかしら」


 もっともらしく聞こえる彼女の言葉だけど、僕は内心で首を横に振った。

 難易度という敷居を低くして来客を増やそうという安直な考えなんだろうけど、死の魔法たる『死神の接吻』デモンズキッスは彼女にプログラミングされた揺るぎない設定だ。

 肉食獣が肉を食べることをやめられないように、彼女自身の都合でどうにか出来るわけじゃない。

 それでも僕はいちいち自分に返ってくる危険なブーメランを投げるつもりは毛頭なく、彼女の言葉に追随ついずいするように頷いて言った。


「そ、そうしてみたら?」


 我ながら他人事への無関心な返事だと辟易へきえきする。

 しかし、これがたいそうミランダのしゃくさわったようで、彼女は僕の矮小わいしょうな心臓を射抜くような冷たい視線を向けてきた。


「……あんたさぁ。当たりさわりのないことしか言えないわけ?」


 そりゃキミが今にも僕の息の根を止めそうな表情でこっちを見てるんだから、当たりさわりのあることは言えませんよ。

 それにそれを僕に言うか? 

 NPCのこの僕に。


「だって僕はNPCだから……」


 しかし僕の言葉は火に油を注いだようで、ミランダは爆発音のごとく怒声を上げた。


「あああああもう! 私だって同じよ! 決められた行動しか取れないわよ! きっと次のプレイヤーに対しても馬鹿みたいに狂喜乱舞しながら『死神の接吻』デモンズキッスを連発しまくるのよ! 悪い? 悪いかって聞いてんのよ!」


 な、なななな何だ? 

 僕、何か対応を間違ったのか?

 僕は彼女の迫力にタジタジになりながら必死に頭を巡らせた。


「わ、悪くはない……と思うよ」


 そもそも良いも悪いもないんだ。

 結局のところ、僕らはゲーム内のキャラクターで、僕はプレイヤーにお決まりのセリフを言い続け、彼女は『死神の接吻』デモンズキッスを連発してプレイヤーを葬りまくるしかないんだから。

 そういう設定なんだから。

 それをコントロールすることが出来るのはこのゲームの管理人を含めた運営陣であって、彼らは定期的に行われるアップグレードによってゲームバランスを整えている。

 その際にゲームの難易度に影響を与える各種設定が微調整されることになる。

 彼らにしかそうした調整はできない。

 そんなことはミランダにだって分かっているはずだ。


 そう思うと僕はわずかに落ち着きを取り戻しながら、頭の中に浮かび上がってきた現実的な思考を言葉にした。


「もし仮に次のアップグレードで難易度が下方修正されてもどうせ一緒だよ。入手アイテムがアレな以上、ここを訪れるプレイヤーは増えやしない。それは僕らにはどうにも出来ないことなんだから、割り切って思い切りキミの役割を果たしたほうがいいと思うよ」


 言ってしまった。

 彼女の逆鱗げきりんに触れるどころか、無遠慮にまさぐってしまった。

 けど、もう怒鳴られてもいいや。

 僕は開き直った。

 自分の思ったことを正直に包み隠さず言葉にしたんだ。

 そうする以外に彼女に何を話したとしても、それは気休めにも慰めにもならない陳腐なセリフでしかないからだ。


 すると意外にもミランダは怒りの表情をわずかに緩めて玉座に座り直し、腕組みをしながらこう言った。


「……フン。ちゃんと自分の意見を言えるんじゃない。最初からそう言いなさいよバーカ」


 そう言うと彼女は不思議とすっきりとした表情を見せた。

 怒られるものとばかり思っていた僕はすっかり拍子抜けして、そのせいか妙に裏返った声で気の抜けた返事を返してしまった。


「う、うん。キミってもっと怖い顔してるのかと思ったけど、近くで見ると案外普通の女の子だね」


 普通の女の子ってのもNPCの僕にはよく分からないんだけど、ここを訪れる女子プレイヤーたちと今のミランダはさほど変わらないように思える。

 僕がそう言うとミランダは少しだけムッとした表情を見せた。

 けれどそれは先ほどまでのようなただの怒りの表情とは異なる、どこかムキになったような顔だった。


「……あんたは冴えない顔してると思ったけど、近くで見ると思った以上に冴えない顔してるわね。ザ・モブキャラって感じ」

「……どうも」


 そんなことを言われた僕だけれど、ミランダとこんな話をするようになったという状況に戸惑っているせいか、意外に腹は立たなかった。

 その日を境に僕とミランダはよく会話をするようになった。

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