第13話 だって僕はNPCだから

「くらいなさいっ!」


 ミランダが前方に突き出した両手の間から、黒いきりが噴き出してドクロの形へと変貌した。

 ドクロは大きく口を開けて尼僧にそうを喰らおうとする。

 命を奪う見えざる触手が今にも尼僧にそうたましいかすめ取ろうとしていた。

 僕が今まで幾度も見た光景であり、かつてはそのえげつないプレイヤーの死に様に背筋が寒くなる思いだったが、この時の僕は罰当たりにも尼僧にそうの息の根を止めるミランダの活躍に胸躍らせていたんだ。


 だけど……。

 事態は僕の予想し得ない様相をていした。

 ミランダが『死神の接吻』デモンズキッスを発動したのとほぼ同時に、尼僧にそうは鋭い声を発して神聖魔法を詠唱した。


「人を呪わば穴二つ! 『応報の鏡』リフレクション


 そう言う尼僧にそうの目の前に光り輝く大きな鏡が現れたんだ。

 標的を目指して空間を伝う漆黒のドクロは、その鏡に当たって跳ね返った。

 それがあまりにも一瞬の出来事で、僕は自分の目の前で起こった光景を正しく理解することすら出来ずに呆然と立ちすくんだ。


「ウ、ウソ……だろ」


 僕はほとんど声にならない声でそうつぶやくのが精一杯だった。

 結末はあっけなかった。

 ミランダの『死神の接吻』デモンズキッスはその鏡に跳ね返されて術者である彼女の元へと戻っていく。

 突然のことにミランダも一瞬反応が遅れてしまい、その身を漆黒のドクロに飲み込まれた。


 そして……。

 弾き返された自身の死の魔法にかかって、ミランダはゆっくりと倒れ伏した。

 33%の確率で死を与える『死神の接吻』デモンズキッスは、ミランダの命を一瞬にして奪い去ったんだ。


「なっ……」


 僕は彼女の名を叫び出しそうになったが、目の前の光景があまりに衝撃的すぎて見ていることしか出来なかった。

 ミランダが息絶えていくその様を。


 ミ、ミランダ……何の冗談だよ。

 こんなシナリオ、僕も君も想定していなかったじゃないか。

 君は傲慢ごうまんで凶悪でいつだって負け知らずだったはずだろ。

 こんな時に身をもってライフの重さを教えてくれなくてもいいんだよ。

 自問を繰り返す僕の視界の中で、僕とミランダの視線が交わった。

 今まさに命の火が消えようとしているその時、倒れたままの彼女は僕を見て少しだけ笑ったんだ。


 ……何で笑ったのかなんて僕には分からないよ。

 でも、その顔は彼女が今まで見せていた不満げな顔じゃなく、少しだけ満足しているような穏やかな笑顔だった。

 その顔を見た僕は、彼女がいなくなってしまうことに今まで感じたことのないほどの寂しさを覚えたんだ。


 そして……ついに悪の魔女ミランダは息絶えて目を閉じた。

 僕は立ち尽くしたまま心の中でミランダに向かって手を伸ばし、今まさに消えていく彼女の命を引き戻したかった。

 だが、そんなことはもちろん叶わず、彼女の亡骸なきがらは電子データと化して消え去っていき、後には何も残らなかった。


「ミランダ……」


 僕はあまりのショックで自分が目にした光景をすぐに受け入れることは出来なかった。

 だってそうだろう?

 ミランダはこんなにあっさりと負けたりなんかしないはずだ。

 だけど、現実に彼女は尼僧にそうに敗れ去り、チリひとつ残さずに消えた。


 もちろんこれでミランダがこのゲームの中からいなくなってしまうわけじゃない。

 ミッションがクリアされるとこの洞窟内の設定はすぐにリセットされて、次に現れるプレイヤーのためにミランダも僕も再配置される。

 でも、そうやって再現されるミランダは僕と他愛もない会話を交わしていたあのミランダではない。

 すべての設定がクリアーされてリカバリーされたまっさらなミランダであり、僕との会話を重ねた日々は全て忘れ去られてしまう。

 さっきまで僕の目の前にいたあのミランダは永遠に失われたんだ。


 それは僕も同じだ。

 僕も同様に全てをリセットされて再びミランダを見張る兵士として一から仕事を開始する。 

 二人が重ねたこの数日間の記憶は記録上から抹消されて二度と呼び起こされることはない。


 僕はふところから一枚の写真を取り出した。

 その写真の中では、僕の隣でミランダが笑っている。

 そこに写るミランダは僕だけが知っているミランダだ。

 傲慢ごうまんで凶悪なだけの魔女ではなく、不器用で寂しがりで一人で外に出るのが怖いくせにそれを素直に言えない、かわいげのある一人の少女だった。


 写真に写る僕とミランダは確かに共有していた。

 時間と、そして思いを。

 この写真は消えない。

 これからもこのゲームの中に残ることになる。

 でも僕とミランダの記憶からは消えてしまうんだ。

 次にこの写真を見ても僕も彼女も、これが何を意味するのか思い出せないだろう。


 もちろん、イベントで外に出るのに彼女は僕を誘ったりはしない。

 僕自身も彼女が自分を誘うだなんて思ったりはしない。

 だって写真の中で確かに重ねていた二人の思い出は、これで消えてしまうのだから。

 僕が知っている魔女のミランダは二度と戻っては来ない。

 僕の胸の中に確かに息づいているこの想いも二度とは戻って来ない。


 今になって僕の頭の中に、先日のミランダの中位魔法『悪魔の囁き』テンプテーションによって引き出された心の声が響き渡る。

 ミランダ。

 僕は……君と一緒にいたかったんだ。


「悪の魔女は退治いたしました。ご安心ください」


 尼僧にそうは優雅な仕草で僧服のすそをつまみながら、僕に一礼してそう言った。

 彼女は悪の魔女を倒して、この洞窟に平和をもたらした正義の尼僧にそうだ。

 王国の兵士たる僕にとっても恩人となる。

 けれど僕はこの聖なる尼僧にそうに言いたかった。


 ミランダを返してくれ、と。


 それでも僕はミランダを倒した聖なる尼僧にそうに対してこう言うんだ。

 どんなに悲しくても、どんなに悔しくても、こう言うんだよ。


「よくぞ災厄さいやくの魔女たるミランダを倒してくれました。あなたの功績は永遠にたたえられることでしょう。感謝の言葉もありません」


 だって僕はNPCだから。

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