リラックス
アサトが、レトロファイトをプレイしている。
横で黙って見ていたキャロル。アサトに話し掛けられる。いつもゲームをプレイしているときのような、すこし高いテンションで話した。
ライバルと戦うアサト。
激しいバトルを見て、応援する。勝てば喜び、負ければ悔しがった。
宣言どおり少女は、暗くなる前に少年の家を後にした。
「……送っていただき、ありがとうございます」
両親の泊まっているホテルの前で、キャロルはスカートの端を持つ。軽くひざを曲げた。
「いえ、近いので、気にしないでください」
アサトはさも当然のように言った。
去っていく、グレーのシャツ姿の少年。後ろ姿が見えなくなる。荷物を持った薄手の白いシャツ姿の少女は、ビルディングの中に入った。
「……ごきげんよう」
両親の居る部屋に入ったキャロルは、自分から挨拶をした。父親と母親から笑顔で挨拶を返される。
三人はテーブルを囲んで座った。オレンジ色の明かりに照らされた部屋で、キャロルはこれまで話せなかった色々なことを話していなかった。
両親の話を聞いて、それに答える。
何年か分の話したいことがあったはずなのに、思い出せなかった。
今という幸せを噛み締めていた。笑顔だった少女の頬を突然涙が流れて、母親に抱き締められる。
なぜ泣いたのか分からない少女は、泣きながら笑っていた。
翌日。家族は、ホテルから南西にある山の上の公園に行った。
緑の多い、散歩道のような場所。
異国の町と海、反対方向に広がる陸地を見下ろす。山の多い見慣れない風景の中で、色々な話をした。
「この辺りには、ニンジャの里はありませんね」
父親は、残念そうに告げた。
「もう少し早ければ、桜も咲いていたのでしょうね」
母親も残念そうだ。
「また……訪れましょう」
丸襟の白いシャツに紺色のスカート姿の少女は、両親に向かって微笑んだ。
お昼を回ってしばらく経つ。
家族は、駅の近くの公園へ向かった。芝生が植えられていて、ベンチがたくさんある。木も植えられていて、紛れるように時計が立つ。東側に見えるのは海。
ベンチに座らず、東の端まで移動する家族。母親は日傘を差している。表が白で、裏側が黒。レースの飾りがついていた。
海の向こうには、ただ、雲が見える。
お喋りをしながら、潮風の香りを楽しんだ。
キャロルの携帯用情報端末に、変化があった。持ち主が気付き、両親も気付いた。
メッセージを確認するキャロルに、両親は何も言わなかった。
「……わたくし、アサトのお家に、行ってまいります」
「ええ。いってらっしゃい」
「ゆっくりしてくるといい」
両親が承諾すると、金髪ロングヘアの少女が笑顔で礼を言う。公園を後にした。
アサトの家の前まで行くと、ちょうどアサトも戻ってきたところだった。
「……ごきげんよう」
キャロルが、今回は抱き着かなかった。
「こんにちは」
制服姿の少年が、少女の表情につられて微笑んだ。
今回は、アサトが着替えてから部屋に入ったキャロル。自分はプレイせず、白いシャツの少年がゲームをするのを見ていた。二人はベッドに座っている。
「さすがですわ!」
キャロルは、テンションが上がっていた。
「ありがとうございます」
アサトは、照れた様子で礼を言った。レトロファイトのランクが20まで上がって、世界で戦っていた。
「……昨日のお友達は、いらっしゃらないのですか?」
普段に近いテンションでキャロルが聞く。
「はい。別にいつでも行けるから、とか何とか言われて」
アサトは、台詞部分ですこし友人の真似をしていた。
「そうですか。……そうですね」
なぜか2回言ったキャロルは、すこし寂しそうだ。アサトの眉がすこし動く。
「ゲーム、やりますか?」
「いえ。……楽しいのです。見ているのが、好きです」
キャロルが心からの笑みを見せて、しばらく見つめていた少年。慌てて視線を逸らす。
ゲームを終えると、二人は家を出た。
両親に連絡を取っていたキャロルに手を引かれ、アサトは駅の近くの公園に行く。
すこし緊張した様子で挨拶をして、キャロルの両親から挨拶と笑顔を返された。左手を少女に握られたまま、少年は話をする。
手が離されたあとで家族に手を振り、去っていく姿を見守った。
次の日。五月、第一金曜日。
キャロルと両親は、列車ですこし西に移動した。
特に観光地でもない、普通の町で降りる。周りを山に囲まれ、のどかな田園風景が広がる。
J国の普通の街並みを見て回る、金髪の三人。
昼には、お手頃価格のレストランで、和風の定食を食べた。キャロルはかなり慣れていて、両親もあまり苦戦せず完食した。
客のすくない店内。
家族はしばらく話をして、歯磨きをしてから店を後にした。
「歩き疲れたなら、おんぶすることもやぶさかではないですよ」
と言った父親の言葉を制止し、キャロルは自分の足で歩くことを選んだ。
和風の民家が立ち並ぶ場所を見て、畑で農作業をする人の声を聞いた。話しかけられたキャロルは、自分の症状について軽く説明。
「……観光ではなく、ここに住む皆さんの暮らしを見たかったのです」
迷子になったのかと思い心配してくれた人に対して、キャロルは正直に答えた。
「若いのに立派な心掛けだねえ」
感心した様子の、農家の人。
キャロルの両親は誇らしげに礼を言い、微笑んだ。
話をした農家の人に誘われ、三人は、すぐ近くにある自宅にお邪魔した。
屋根に黒い瓦が並ぶ、二階建ての和風の家。
きれいな庭も手入れされている。小石が川のように並び、植えられた木が見下ろしている。
縁側に座って庭を眺めている家族に、お茶が渡された。
十代前半の少女は、家の住人である中年女性に質問した。色々なことを聞いて、ノートにメモを取っていた。
「……本当に、ありがとうございました」
キャロルは言ったあと、教わったお辞儀を実践した。両親も真似をした。家族は、もてなしてくれた農家の人に手を振った。
近くに来たらいつでも寄ってくれと、別れ際に声をかけられた。
列車で
まだ、アサトから連絡はなかった。それでもキャロルは家に行き、チャイムを鳴らした。
アサトの母親が玄関を開ける。
「勝手に、部屋に入っていいよ」
キャロルは遠慮した。二人は台所で話す。何かを聞いて、キャロルはメモを取っていた。アサトの母親に何かを言われて、キャロルは顔を赤くして慌てていた。
情報端末に届いたメッセージ。
嬉しそうに見る少女を、アサトの母親も嬉しそうに眺めていた。
しばらくして玄関が開いた。誰かの声が聞こえる。
「ただいま」
「……おかえりなさい」
帰ってきた人物に向けて、キャロルはすこし恥ずかしそうにしていた。
言われた少年も、すこし恥ずかしそうにする。空の弁当箱を母親に渡してから、自室へ向かった。少年が普段着に着替える。
そして、キャロルが部屋に入った。アサトがゲームをするのを、隣に座って見る。
「えーっと、眠いんですか?」
アサトが聞いた。昨日のように気分を高揚させて話をしないキャロルに、面食らった様子。隣を見ると、少女に見つめられている。
「……そうかもしれません。今日は、結構歩きましたから」
キャロルは、アサトのほうに身体を傾けて、膝の上に頭を乗せた。横向きに倒れた状態の少女は、目を閉じた。
「……」
アサトは、何を言っていいのか分からなかった。初めての経験だった。
「寝ていないので……ゲームをなさってください」
目を開いたキャロルが言った。
アサトは、しばらくレトロファイトをプレイした。だが、いつもより相手を倒すまでの時間がわずかに長かった。
「んー」
キャロルは眠そうな声を上げたあとで体を起こした。アサトが、ほっとした様子で隣を向く。そこに相手はいない。
少女は少年の後ろに座って、背中にべったりともたれ掛かり、腕を回す。
「……」
アサトは何も言えなかった。
「……」
キャロルは何も言わなかった。
「今、寝るのはまずいですよ」
「疲れてしまいましたわ。このまま眠らせてください」
キャロルが駄々をこねた。
アサトは、対戦相手をさっさと倒してゲームを終了して、気合いを入れた。そして、体の向きを変えてキャロルを抱き締めた。
「起きてください」
言われる前に、キャロルの目は開いていた。全身に力を入れたあとで、目を瞑ってすぐに開き、恥ずかしそうな顔をする。
「……起きましたわ」
キャロルは、世界大会の前日である明日のことについて詳しく話したい。
しかし、頭が回らなかった。
明日、アサトの家に来て、そのときに伝えると言い、両親の泊まるホテルへ帰る。
アサトは当然のように送っていく。
疲れのためか、キャロルは普段よりすこし早く眠りについた。
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