まだ見ぬ国
初等教育の終わりの日がやってきた。
一日中特別なことをする、わけではなかった。午前中は授業。
送別会では、みんなフォーマルな服を着ていたが、堅苦しさはない。体育館に並べられた椅子に座り、和やかな雰囲気。
終わりに、賞の発表。ほかの国から来て、文化が違うにも関わらず好成績を収めた生徒に、努力賞が。
優秀賞にはキャロルが選ばれた。
拍手が起こって、キャロルは何も言えなかった。ただ、微笑んだ。
(ありがとう)
そのあと、みんなで歌を歌った。キャロルも歌った。
歌うときは普通に言葉が出るため、全力だ。楽しんでいる様子を見て、周りも笑顔になる。
夏休み。町の中心部から離れた牧草地。
大きな湖を一望できる場所に、お城のような家が建っている。
いつものように、大きな家で過ごすキャロル。
日当たりのよい場所にある居間。壁にはたくさんの絵が飾られていて、床には絨毯が敷いてある。
つり目の少女は、兄のやっているビデオゲームを見ていた。隣同士の椅子に座っている。
過激な内容のものは、両親が許可しなかった。
ほのぼのとした雰囲気の、アクションゲームをやっている。見た目とは裏腹に、後半の難易度は高い。
「お兄様、そこは左ですわ!」
金髪ロングヘアの少女は、テンションが上がっていた。ゲームを見ているとき、プレイしているときは、よく喋る。
喜んだ両親は、ゲームを禁止しなかった。
「そうは言うがね、難しいのだよ。キャロル」
整えられた短い金髪の少年は、正直に告げた。
近くで見ている母親は、ゲームに詳しくないので、口を出さない。
「わたくしにやらせようとして……わざと失敗しているのではなくて? ブライアン兄様」
キャロルが言った。ゲームに関係することは、症状が出てもお構いなし。自分の気持ちを伝えていた。
「そう言いたいところだが、俺よりキャロルのほうが上手いんだな。間違いない」
ブライアンは、素直に妹を認めた。
「ブライアン、言葉遣いが悪いわよ」
母親が口を開いた。
「……」
妹は何も言わなかった。
「申し訳ありません。お母様。我が妹の優秀さに、興奮してしまいました」
ブライアンは、至って真面目。
「分かっているのならいいです。普段どおり話してくださいね」
母親も、至って真面目。
「……お兄様、わたくしがやります。かわってください」
キャロルはゲームに夢中だった。
天井にシャンデリアがきらめく。壁には装飾。広い食堂。
大きなテーブルに、夕食が並んでいる。メイドが作った料理だ。
ヨークシャープディングという、シュークリームのような生地のパン。ローストラムにはグレイビーソースがかかっている。人参や、茹でたキャベツ、それに、ポテトが多く皿に乗る。
食べているときも、キャロルはゲームの話に夢中。
「……あのアイテムを取ったあと、急いで行けばいいのですわ」
口の中の食べ物を飲み込んで、キャロルは言った。
「なるほど。そういうことだったのだね」
妹が楽しそうに話す様子を見て、納得したブライアンは微笑んだ。
「ぜひ私にも教えて欲しいですね。キャロル」
父親も微笑んでいた。
「子供の楽しみを奪っては、いけないわ。イントッシュ」
母親は、キャロルが答える前に父親をたしなめた。
「すまない。ジャスミン。楽しそうな様子を聞いて、寂しかったのだよ」
「教えて差し上げてもいいですが……わたくしは厳しいですわよ」
十代前半の少女は、言ったあとで眩しい笑顔を見せた。
「お手柔らかに頼みます。レディ」
父親の言葉に、全員が優しい顔になった。
食事のあと、家族は一緒にビデオゲームをした。
一人がプレイしているのを三人が見る。キャロルはよく喋り、笑った。家族は、幸せそうな笑顔。
お風呂から出た、パジャマ姿のキャロル。
自室のじゅうたんを踏んで、たくさんある椅子の一つに座る。壁の絵を見てはいない。携帯用の情報端末で、ゲームの情報を調べている。
「まあ。これもJ国製でしたのね」
兄の持っているゲームソフトの多くが、J国で作られたものだった。子供からお年寄りまで遊べるものが多い。
この世界には、国ごとの言葉はない。統一言語が使われている。
とはいえ、文化や風習は異なる。情報だけでは分からないことが多々あった。
別の国の日で衣装を着たことはあっても、そこに住む人々の、詳しい生活までは分からない。
(一体、どんな国なのかしら)
キャロルは、まだ見ぬ国に思いを馳せた。
夏休みが終わり、9月になる。
上流階級に生まれたキャロル。
中等教育から親元を離れ、授業料の高い私立の寄宿学校に入った。
鉄筋コンクリート造りの大きな校舎。近くに、三階建ての寮がいくつもある。どちらも茶色の壁。
ここは丘の上。町の中心からすこし離れた場所。緑が多い。湖もある。丘の下の大きな湖は見えない。
キャロルの家とは、反対側に位置している。
白いシャツ、緑色の上着に、同じ色のネクタイ、黒いスカートという制服。
(家族と離れて、少しほっとした。そう思ったことが、悲しい)
セカンダリースクールでは、科目ごとにクラスを移動する。
教室は、各科目の先生のもの。
科目が変わるごとに、生徒たちは、教科書が入った鞄を持って移動した。
廊下に並ぶのは、荷物を置くロッカー。
決められた時間内に必要な分量の小論文を書く訓練が、ほぼ全科目にあった。ディベートが重視される。自分の考えを、挙手して発表する必要がある。
上流階級の言葉遣いを習得して、上品に話す生徒たち。
話すことに苦手意識があるキャロルは、成績に影響するため頑張って話した。まだ、自分のことを伝えられなかった。
授業が終わると、廊下は人で溢れた。
(人の波に、飲み込まれてしまいそうですわ)
昼食は食堂で食べた。
ディーナのほかにも、多くの生徒がキャロルに優しくしてくれた。
それでも、心を開く兆しは見られない。相変わらず、吃音のことは伝えられなかった。
言葉に詰まるのも相変わらず。
(離れていくかもしれないと思うと、言えませんわ)
キャロルは、ゲームクラブに入った。クラブ活動は、週二回。
叫ばないように気を付けていたキャロル。しかし、テンションの上がることが多々あった。よく喋っている。
やはり、自分のことは言わなかった。
お世辞にも豪華とは言えない部屋で、最初は男子が多かった。
いつの間にか、女子も増えてきた。なぜか、人気のクラブになった。
言わなくても力になってくれる。
言わなくても、そばにいてくれる。
(わたくしの家が大きいから、仲良くしてくれているだけかもしれない)
疑念が、少女の頭によぎった。
11月の初めに、花火が打ち上げられる。
12月のお祭りが過ぎる。秋期の終わりになった。
長期の休みには、家族だんらんを過ごした。
みんなでビデオゲームをする。
父親に抱きしめられ、母親に抱きしめられ、兄に抱きしめられて、キャロルは幸せな気分になった。
春期は1月の初めごろから。冬休みの宿題はない。
休みを家族で過ごした生徒たちが、制服姿で学校にやってきた。
家族や友人をないがしろにするわけではないが、ゲームをする時間が増えていく。
嫌いになったわけではない。
(そのときだけ、自分でいられる気がするなんて。ただの現実逃避かもしれませんわね)
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