ディーナ

 9月から新学期が始まる。初等教育を受けることになったキャロル。

 緑色のチェックのワンピースに、緑色の上着という制服姿。

 就学前教育のときと同じく、メイドの運転する自動車に乗り込む。母親と一緒に。自然に囲まれた場所を出発。

 大きな家から、学校まで向かう。

 学校は街中にある。屋根は灰色。黄土色の壁で、横に長い建物。

 車から降りると、一人で学校の敷地に入る。

 挨拶が苦手なキャロル。他の生徒が言ったときに一緒に言って、ごまかした。

 校庭には先生が何人も立っていて、クラスが書かれた紙を持っている。

 前年度の終わりに、学年以降体験日というものがあった。そこで、生徒たちは、新しい担任の先生と一日過ごしていた。自分のクラスがすぐ分かるようになっている。

 キャロルは、見知った先生のいるところに並んだ。

 朝一番で、全校生徒が集まる集会があった。毎朝おこなわれるもので、内容は様々。道徳的な話を先生から聞くものや、音楽集会、誕生日集会、今週頑張った子を表彰する、という集会もある。

 今日は、音楽集会だった。みんなで歌う。キャロルも普通に歌えた。

 集会が終わり、靴を履いたまま建物に入る。

 向かうのは、コートや鞄を掛けておく部屋。クロークルームという簡素な場所に、コートは着ていないので鞄を掛けた。

 教室に着くと、生徒たちは床に座る。

 灰色のじゅうたんが敷いてある。キャロルも床に座った。

 出席を取る方法は、返事ではない。挨拶をして先生の名前を呼ぶ、というもの。

「おはようございます。わたくしの名前は、メリンダと言います」

 若い女性教師が、自分の名前を告げた。

 15人の生徒たちが、次々に挨拶をしていった。キャロルの番になる。

「……おはようございます。メリンダ先生」

 周りが騒がしかったために、金髪の少女はあまり緊張していなかった。それでも、言葉が普通に出ることはない。

「大丈夫ですよ。みんな、すぐお友達になってくれますからね」

 メリンダ先生から優しい言葉をかけられても、キャロルの心は晴れなかった。

 全員の挨拶が終わる。男子生徒は、上着の下が白いシャツにネクタイ姿。

 通い始めた最初の日から始まる、勉強。

 といっても、遊び中心のカリキュラムである。絵を描いたり、夏休みの思い出を話したり。

 授業の始まりと終わりに挨拶はない。座っているあいだに始まる授業。

 教室にある三つの机に、グループに分かれて座る。先生が何かを説明するときには、床に座って先生を囲むようにして話を聞く。終わると、グループの机に戻って文字を書く。教科書はない。

 2時間ほど授業を受けると、休み時間になる。子供たちは運動場に出た。室内で過ごすのは、雨天の場合だけ。

 生徒たちが遊んでいるのを、先生が二人以上で見守るのが決まり。ほかの先生たちは休憩している。

 金髪の少女は、あまり話さなかった。しかし、他の生徒は優しかった。

 少女が笑うとみんなも笑って、それを見た少女が、満面の笑みを見せた。


 休憩が終わり、次の授業が終わると、お昼休みになった。生徒たちが移動する。

 キャロルは、食堂で給食を食べ始める。食堂には細長いテーブル。椅子も並ぶ。少女は静かに食べていた。

 先生たちもお昼休憩。そのため、異常がないか見るのは、子供たちを見守る専門の人。

「ごきげんよう」

 キャロルの隣の椅子に、淡い茶色の髪の少女が座った。

 ずっと金髪を保つ人はすくない。多くの場合、成長と共に別の色に変化する。キャロルたち家族が注目される理由は、そこにもある。

「……ごきげんよう」

 間を置いて、金髪の少女は小さい声を出した。

「わたくし、あなたとお友達になりたいの。名前は、ディーナ」

 淡い茶色の髪の少女は、笑顔だ。

「わたくしは……」

 キャロルは、何かを言おうとした。だが、言えなかった。ハァハァと呼吸は乱れ、頬が染まった。悲しそうな顔をしていた。

「知っているわ。同じグループですもの。無理しないでいいのよ。よろしく。キャロル」

 話したあとでディーナは笑顔になり、給食を食べ始めた。

 キャロルも表情を緩ませる。

(名前を伝えたいのに、言葉が出なくて、悔しかった。悲しかった)


 1時間ほどの、お昼の休み時間が過ぎた。

 灰色のじゅうたんが敷かれた教室。生徒たちは床に座っている。

 午後の授業の前に、また出席を取る時間がやってきた。次々に挨拶をする生徒たち。

 キャロルの番になった。

「……ごきげんよう。メリンダ先生」

 周りが騒がしかったために、金髪の少女はあまり緊張していなかった。やはり、言葉が普通に出ることはない。

「ごきげんよう」

 先生は微笑んだ。キャロルは、すこし困ったような顔をして微笑む。

 2時間ほど授業があった。途中で10分ほど、短い休憩が入った。

 掃除の時間はない。掃除をする人を雇っているので、下校のあとに掃除がおこなわれる。

 授業が終わり、下校時間になった。

 キャロルと同級生は、クロークルームに鞄を取りにいき、宿題を入れた。

 帰るときにも挨拶が必要だった。順番ではない。誰かが挨拶をしているとき、重ねるようにしてキャロルは言う。

「ごきげんよう。メリンダ先生」

 傍のディーナが、キャロルに挨拶をする。

「ごきげんよう。またね」

 手を振られて、キャロルも手を振り返した。声は出さない。

(またね)

 それぞれの親が迎えにきて、生徒たちは帰路に就いていく。

 キャロルの母親が迎えにきた。一緒にメイドが運転する車に乗り込み、自宅へ向かう。

 絵本の中のような景色が、窓の外を流れる。

 町の中心部からすこし離れた。大きな湖を一望できる場所にある、大きな家に戻った。


 教科書がなく、文房具も学校のものを使う。

 キャロルの鞄から出たのは、宿題だけ。音読に頭を悩ませる。

 母親は、宿題を一緒に見てくれた。キャロルが何か言わなければ、手伝うことはない。

 学校で何があったのかを家族に聞かれても、キャロルは答えなかった。

 自分で話せると判断したときには、話す。みんな笑顔で聞いてくれて、キャロルも笑った。

 成績優秀なキャロル。

 そのためか、音読で言葉が出ない時間があっても、みんな待ってくれた。優しい言葉をかけてくれた。


 初等教育開始から1年が経過する頃。

 六歳のキャロルに、PC(パーソナルコンピュータ)が与えられた。長時間使わないようにと、寝室ではなく居間に置かれる。

 インターネットを活用する、水玉模様のワンピースを着た少女。

 一番、調べたかったことを調べた。そして、自分が何者なのかを知った。

(吃音)

 おもな症状は言語。繰り返したり、つまったりする。

 繰り返し。<例>ごごごごごきげんよう。音を繰り返す初期の症状。

 引き延ばし。<例>ごーきげんよう。音を引き延ばす言い方。初期症状。

 ブロック。<例>……ごきげんよう。つまって音が出てこない。最初の一音が出れば、あとは話せる。周りの人は吃音だと分からないことが多い。

 本人も言い換えたり、黙ったりするので、連発するものだけが吃音だと思っている人は多い。

(ようやく、たどりついた)

 随伴して起こること。抜け出そうとした動作が身についてしまったもの。手足を振る、表情を変えるなど。次第に効き目はなくなる。動作だけが残り、苦しむことになりかねない。

 情緒にも影響する。予期や不安、症状が出ることにより、表情や態度に変化が起こる。自分の吃音にどの程度敏感になっているかによって、反応は変わる。

 こわばる・赤面・当惑など、変化する表情。

 そらす・チラッと見るなど、定まらない視線。

 おどけ・恥ずかしそう・落ち着かないといった態度。

 照れたような笑い・せきばらいするなどの行動。

 先を急ぐ・小声になる・単調になるというような話し方。

 症状を出さずに話そうとして行う工夫は、一時しのぎでしかなく、解決にはならない。

 回りくどい表現をする・あー、えー、などを入れる、延期。

 話すスピードを上げる・語音に弾みをつける、助走。

 一度話すのをやめて、再び試みる、解除。

 症状が悪化し、吃音に対する意識が強まると、回避が始まる。強まれば強まるほど吃音は悪化していく。

 話す場所や相手を避ける。

 中途で話をやめる。考えるふりや、分からないと言ったり、黙る。相手が言ってくれるのを待つ。

 ジェスチャーを多く使う。ことばや語順を言い換える。

(よかれと思ってやっていたことが、わたくしの症状を悪化させていた)

 キャロルは、さらに調べる。

 未だに吃音がよく分かっていないこと、治療法がないということが分かった。

「どうしよう……」

 美しい金髪が揺れた。声に出して、泣いた。

 ※参考文献:日本吃音臨床研究会のウェブページ。

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