キャロルと王子様
多田七究
第一章 キャロル
お城のような大きな家
物心がついたときから、普通に話すことができませんでした。
内容が、重要か、そうでないかは関係ありません。
話している途中で突然、言葉が出なくなるのです。話さなければいけないと思えば思うほど、言葉は出てくれなくなります。
息ができなくなり、悔しくて、悲しくて、泣きたくなりました。
どうすればいいのか分からず、誰かが助けてくれないかと思いながら、自分から動くことを考えられなくなっていました。
あの日までは。
8分の1ほどの質量の衛星を従える、宇宙に浮かぶ惑星。
水の塊のように見える。
そこに光を照らす恒星は絶妙な位置にあり、生命は存在することを許された。
北半球にある大きな大陸。北西に、縦に長い島が浮かぶ。島の北西部には、たくさんの湖と高原が特徴的な、レイクサイド。高い山はない。
一面の緑。丘や草原が広がり、羊の姿があちこちに見える。
大きな湖から丘を上がると、大きな町がある。街中にも木々が多い。
並ぶ建物は歴史を感じさせる。ほとんどの屋根は三角で、色あせた黒いタイルが貼られている。白い壁が多い。色の違う壁には、黒いタイル。
道路のほかに、線路がほかの地域とを結ぶ。
町の外れ。大きな湖を一望できる場所に、お城のような大きな家が建っていた。壁は茶色のタイル。近くには庭園。
五歳くらいの少女と、よく似た七歳くらいの少年が、外で遊んでいる。
季節は夏。高原のため気温は高くない。
周りは牧草地だ。家畜の飼料目的と、景観のために整えられていた。牧草の先には木々が広がる。リスやウサギなどの姿があった。虫はすくない。
「おにいちゃん……ハァハァ……まって」
サラサラとした金髪をなびかせた少女は、少年に追いつけなかった。
「すまない。キャロル。大丈夫かい?」
短い金髪をきれいに整えた少年は、妹のほうへ歩く。抱き締めた。キャロルは幸せそうな顔をして、兄を抱き締め返す。
その様子を、二人の両親も幸せそうな顔で眺めていた。
つり目の少女は、浮かない顔をして考える。
(なぜ普通に話せないのか、分からない)
緑色のワンピースを着た少女は、家の中に入った。青い服の兄も続いた。
グレーの長袖シャツを着た父親と、お揃いの服を着た母親も、家に入る。
家に入ると、広間だった。
ダンスパーティーが開催されてもおかしくない広さ。
複雑な装飾が施されたインテリアが並ぶ。大きな暖炉にも装飾が施されていた。白い土壁の上部分にも、見事な装飾。
足元には、真っ赤なじゅうたん。暖炉の近くには椅子やソファ。通り過ぎた。靴は履いたまま。
父親が、メイドにお茶の準備を頼む。
家族は居間に向かった。
日当たりのよい場所。壁には、たくさんの絵が飾られていた。床には絨毯が敷いてある。
「……これ」
キャロルは、母親に絵本を渡した。
そして、たくさん並んでいる椅子の中の、小さい椅子に座った。
隣の椅子に座った母親が、絵本を広げて読み始める。ひとつに束ねられた長い金髪。全身から愛情を感じられる。
真剣に聞く娘。
近くの椅子に座った父親は、息子と学校の話をしていた。金髪の二人は、似たような髪型。ラフな服装のはずなのに、気品に溢れている。
父親がふと話をやめ、娘を見る。
「キャロルも、あと少しで初等教育とは。早いものだね。ジャスミン」
絵本を読み終わった母親が答える。
「そうね。イントッシュ」
「ブライアンも、もう立派な紳士だ」
父親は嬉しそうに、息子の頭を撫でながら言った。息子も嬉しそうに笑っている。
母親も嬉しそうだった。すこし声のトーンを落として言う。
「でも、この幸せな時間がずっと続けばいいのに、って考えてしまうわ」
娘は楽しそうな顔で、一人で絵本を見て考えていた。
(お家は大きいけど、パパは王様じゃないよね。こんな偉そうじゃないもん)
柔らかい表情の父親。
「子供が巣立っていくのは、幸せなことなのだよ」
「ええ。そうね」
「と言いながら、私は、泣いてしまうかもしれないな」
「私も一緒に泣きますから、安心してください」
両親は笑った。
(王子様が現れたら、助けてくれるのかな)
キャロルは、王子様とお姫様が出てくる絵本を読んでいた。
メイドがお茶とお菓子を持ってきた。金髪の少女はそちらを見なかった。
五歳のキャロルは、就学前教育をおこなっていた。
これから通うことになる学校に付属している場所。家からあまり遠くない。
難しい勉強ではない。文字一文字ずつに結びついた発音を身につけ、正しい読み方を学ぶというもの。
椅子がない教室。床に座っている。
ほかの生徒もたくさんいた。
先生に集中するのは十分ほど。何人かの生徒が先生に教わっているあいだ、ほかの生徒は、塗り絵やゲームなどをして遊ぶ。
まずは、座ることと話を聞くこと、集団生活に慣れるのが目的。
この国では、言葉に出して言わないと分からない、という文化がある。褒める、感謝を言葉で表すのは普通のこと。
相手に何でも話すのは、当たり前のこと。
しかし、キャロルは自分から話すのを苦手としていた。
「……」
就学前教育の場では、特に問題はなかった。周りは騒がしい。恥ずかしがって喋らないだけだと思われている。
何も話さなくても、メイドは意思を汲み取って代わりにやってくれた。
父親にも、母親にも、兄にも、自分からは、めったに話しかけることがなかった。とっさに声をかけられたときや、自分で話せると分かっているときは、話す。
(なんで、言葉が出るときと出ないときが、話す前に分かるんだろう)
たまに自分から話しかけると、周りの人は嬉しそうにする。キャロルはそれが嬉しかった。同時に、悲しかった。
周りは、可愛いと言って、話さないことを許す。
キャロルは、次第に、行き場のない感情を抱えるようになっていった。
(このままでいいの? どうすればいいのか、分からないよ)
両親は可愛がってくれた。金髪の少女は、自分のことを話さない。兄は可愛がってくれた。金髪の少女は、自分のことを説明しない。
(嫌われるのが、自分が必要とされなくなるかもしれないのが、怖い)
パンにベーコン、卵料理が並ぶ朝食を家族揃って食堂で食べているときも、温室で家族揃って植物を見ているときも、子供部屋にメイドといるときも。父親に抱きしめられているときも、母親に抱きしめられているときも、キャロルの心が休まることはなかった。
みんなは可愛いと言ってくれるのに、自分は何もしていない。その思いが強くなっていった。
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