第10話 ホット・レッド・ベット・イット①
ブラック・リコリスとアンが身を潜める廃ビルにシードたちが集い始めた。屋上から屋上へと渡り、ラペリングで壁を降りて窓を割り次々と屋内に突入した。圧倒的な数のアドバンテージによって敵を袋叩きにするのだ。無論地上の出入り口も戦闘員が確保しており、最早リコリスが脱出するのは不可能だと誰の目にも明らかな状況――――
一階を捜索していたシードと三階担当のシードが同時に“音”を聞いた。発砲音と金属音と、何か重たいものが勢いよく倒れたような連続した音だ。それぞれ頭上で、足元で聞こえた。
「二階で戦闘発生。全員警戒を怠るな」
突撃銃を構えた一階のシードが次々と階段を駆け上がった。人数にして十人。素早い動きに加えてこれほどの頭数にも関わらず、足音は一人か二人分程度に抑えられている。精密機械のように洗練された動きだ。そんな連中が上からも下からも迫ってくる。常人ならばこの事実を悟った時点で、その手から命を零してしまうだろう。
――――だが、ここにいるのはよりにもよって、そう、よりにもよってブラック・リコリスだ。
「うあぁッ!!」
その断末魔は四つ同時に発せられた。一階から駆け上がったシードの一人が、目の前で発生したその断末魔の正体を知り、戦慄する。前方の四人の上半身をスパっと野菜でも切るかのように断ち切った白っぽい蛇のような一閃――――それはリコリスが背負ったアンの背骨だ。僅かに残った骨盤と尾てい骨の部分にリコリスのブレードの予備を取り付け、武器に改造したのだ。
「思ったより早く集まってきたぞ」
「ああ、だがお前のアイデアのお陰で私は楽ができそうだ」
リコリスの戦術の要は、彼女の鍛え抜かれた足腰から来る機動力。バランスの良い肉体は風を切るように素早く動き、右腕のブレード、そしてチョップやキックといった格闘で確実に命を奪う。しかし左腕がほぼ再起不能な状態まで追い込まれたことで、格闘の精度は著しく下がっている。決定打を奪われたも同然。
そこをカバーするのがアンの脊柱剣。幸い彼は骸骨男で、足の骨を粉々にされたためにかなり軽い。そんな彼を背負ったところでリコリスの機動力は衰えないし、弱点である背中に目と手がつき、ほぼオールレンジ攻撃を可能としたのだ。圧倒的な素早さとリーチ、必殺の攻撃力でシードの指が引き金に触れる前にその首を落としていく。さながら毒針の代わりに研ぎ澄まされた剣を得たサソリのようだった。
「リコリス、後ろからも来る。前を任せたぞ」
「分かった。前進するから距離を見誤るなよ」
一通り敵を片付け、リコリスはシードの死体から突撃銃とマガジンと手りゅう弾を拾い、手早く排莢とリロードを済ませる。残った戦闘員の頭を速やかに撃ち抜きながら階段を駆け下り、一階に待機していたシードたちと再び交戦する。真っ先に銃を構えた二人の内一人をヘッドショットで始末し、もう一人の右腕を射撃で肉塊に変え、左腕をアンの剣で切り落として使い物にならない状態にした。噛みつかれないように念のためブレードで下あごを切除して即席の肉の盾に変え、出入り口からの銃撃に備える。使い捨ての戦闘員と言えど防具はそれなりにいいモノを取り揃えているから、弾が貫通する心配はない。
「手際が良いな」
「得意技だ」
返事をしたリコリスはやけに楽し気で、そのまま銃撃をやり過ごしながら一気に出入り口めがけて猛獣のように突進した。しかしシードも馬鹿ではない。出入り口を固めている四人は闇雲な銃撃は即座に止め、リコリスが建物から出た瞬間にカウンターを決めるべく、ブレードを構えた――――それを見るや否や、リコリスは肉の盾のはらわたをブレードでぶち抜き、手りゅう弾を一発代わりに押し込んだ。盾は肉の爆弾となり、蹴り飛ばされてから炸裂した。シードたちは爆風をかわすために後退したが、ただでさえ足の速いリコリスが爆発に合わせて加速し始め、構え直すのが間に合わない――――
「ふっ――――!!」
ブレードで二人、アンの剣で二人の首を刎ねる。突破成功。勢いを殺さず道路に飛び出し、全速で空港を目指して走る。ただ彼女にとって気がかりなのは、シードよりもスナイパーの存在だった。この女エージェントがちょっとしたことで一々喜んだりしないタイプだとは知っていても、過剰なほどに首を振って辺りを確認する様子を見て、アンが声をかける。
「流石にお前と狙撃でやり合うには移動時間が足りないんじゃあないのか?」
「ああ、だが……“あの女”なら……」
喋り終えるよりも先に、リコリスが動きを止める。背中側のアンには見えていなかったが、彼女の視線の先にそびえるものを見れば、その理由は明白だ。
「チカ……」
リコリスを鍛えたエージェント、カラーレス・チカ。千の花の名を冠したこのエージェントは、意外にもリコリスより背丈が低く、戦場に身を置いているとは思えないほどに華奢だった。オレンジの果実のような鮮やかな色の髪は膝の裏にまで届く長さで、やはり顔は仮面で覆われている。
「速いな。狙撃の直後から俺たちがここに来ると読んでいたわけか」
「いいや、コイツは私たちがここに来たのを見てから追いかけてきた」
「解せんな」
「私もだ」
不意を突くようにリコリスがアサルトライフルのトリガーを引き、目の前の障害を取り除かんとする。遮蔽物の無い路上でこれをかわし切ろうなど到底不可能だ。だが、飛び出たすべての弾はアスファルトにめり込むだけで、肉を貫くことは無かった。チカの姿が完全に消えていたからだ。
「何だ!?」
驚愕しながらも、アンの動物的本能が防御のために剣を振るわせた。間一髪、背後から飛び掛かってきたチカのダガーナイフの軌道を逸らす。が、右手のナイフを左手へとパスし、再び違う軌道で斬りかかってきた。アンの背骨の剣はリーチこそ長いがこの至近距離では重すぎて守りには使えない。しかもチカはまるでこの展開を見通していたかのよにリコリスの体の左側に踏み込んでいる!
「ぐう……ッ!!」
防ぐ余地のない正確で鋭い一撃、二撃、三撃! チカのナイフはリコリスの左腕・肩・脇腹に一突きずつ刺しこまれた。四発目が放たれる直前になってようやくブレードを振るってチカを退けんとするも、敵方の予測能力はリコリスたちのソレより遥かに正確で、右手へとナイフが戻されて右肩に五撃目が放たれていた。幸い姿勢が攻撃と同じ方向に崩れたことでクリーンヒットは免れたが、これまでのダメージと合わせて見積もれば、最早リコリスとアンに勝ち目は無いと考えるのが普通だ。現時点で身体能力の優劣云々を度外視して回避が不可能なコンディションなのだ。必死に体勢を整えようとしても、度重なるダメージと出血で酸素を失った脳は着々と麻痺しつつあった。
「リコリス!!」
「ッ……黙ってろ!!」
意地でも退こうとしないリコリス。アンはなんとか彼女が逃げる隙を作ろうと剣を振るうが、チカの強烈な手刀によって何度も弾かれ、ついに刃の接合部を粉砕されてしまう。更に瞬きすら許さない速さでリコリスの細い首めがけて手を伸ばし、抵抗する余地も与えず容易く宙に持ち上げてしまった。爪が肉に食い込み、赤い線が重力の方向に向かって白い肌の上に引かれる。チカを引き剥がさなければ死ぬ。生存本能がけたたましい警鐘を鳴らし、ついにリコリスは攻撃の手を止めてもがくしかできなくなってしまった。
「……!!」
アンも、リコリスさえも終わりを確信したその瞬間、チカだけが目の前の獲物から視線を逸らした。ただ手に力を籠めるだけでリコリスの首を骨まで粉砕できたというのに、ただひとつのイレギュラーがこのエージェントの判断を狂わせた。リコリスの麻痺しかけた耳も遅れてその存在を察知する。音――――爆弾を連続して炸裂させたような巨大な音だった。しかも彼女がよく知る“エンジン”のもの。リコリスが声には出さずその名を唱える!
(ブラック・ソニック!!)
音が間近に迫り、チカがリコリスを正面に突き飛ばして反対の方向へと大きく跳躍した。同時に何発かの銃声が響いたが、その標的であったチカは胸の前で交差した両腕で難なく弾丸を無力化した。地面にその両足がついたとき、倒れている筈のリコリスの姿は消え去り、遠い景色の中に黒い点だけが見えていた……。
「……協力者がいたか」
ふぅ、と静かに息を吐いて、チカは敵を追う素振りも見せず真っ先に地面に落ちた弾丸を拾い上げた。人体にぶつかったというのに、まるで分厚い鉄板に向けて発射されたかのように潰れていた。かつてアイアンヒルの武器工場で製造されていた市販の弾だとすぐに分かったが、マシンの操縦者の正体にたどり着く要因にはならなかった。だが、チカは大体の目星をつけていた。目の端で微かに捉えたシルエットは一人分。だが一般人がブラック・ソニックを操縦しながらリコリスを拾い上げる芸当をできるはずがない。プロだとするなら死の教示者か、あるいは結社のエージェントということになる。そこまで考えたチカはベルトのホルダーから端末を取り出し、部下たちに合図を送った。生き残ったシードが一斉に集まり、チカの周りを囲む。
「内通者がいる。四つ葉かチェリーが。目立つ動きがあるのは四つ葉だ。先に泳がせて、その後でチェリーを探る。しばらく待機しろ」
そう告げると、シードたちはまた一斉に別々の方角へと去った。チカはリコリスと正体不明の協力者が消えた方角を一瞥し、静けさを取り戻した街のどこかへと歩いて行った。
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