第1話 スター・トリップ③
浴室に侵入していた赤毛の少女は、リコリスと一緒になって到を“洗浄”していた。洗ってもらえること自体は素直に嬉しい到でも、二人の“タオル捌き”は余りに力強く、まるで暴れる犬を洗っているかのような手つきで、到は頼んだ訳でもないために文句をつけようにもつけられず、もどかしい思いをしていた。何より、完全に露にされた自身の裸体をまざまざと見られることになり、顔全体の熱が高まっていくのに耐えられなかった。せめて自分だけは紳士的に振舞おうと、最後に残った良心を振り絞って瞼を固く閉じるが、背中に触れるリコリスの柔らかい部分や、少女の妙に艶めかしい手つきに心が緩みかけてしまう。
(駄目だ!耐えるんだぼく!ぼくには刺激が強すぎる!目を開けてしまったら理性が……!!)
「さ、流すぞ」
「あっはい……」
漸くこの
「あっ待って」
リコリスがシャワーのホースを手に取るより早く、少女がなぜかそれを制止した。そして腰に手を当てて「えっへん」と胸を張ると、その手を湯船に向かって伸ばし、空中でうねうねとかき回すような動きをしてみせた。
「魔法を使えるのか」
「ま、魔法!?」
「如何にも! うおおお! アマビエのなみのり!」
少女が人差し指をピンと立てて叫んだ途端、湯船を満たしていた熱々の湯がうねりながら飛び出し、瀑布がごとき勢いで到とリコリスの頭上から落下した。
「わああああ!!」
「この方がお湯を無駄遣いしなくていいでしょう?」
(なんなんだいったい……)
この絶叫のおかげで、到は完全に発声能力を取り戻した。
◆
「申し遅れました。あたくしめ、『アマビエ』というものであります」
「……あ、アマエ……?」
「ううん、アマビエ」
「アマエビ?」
「アマビエ」
「アメリカザリガニ」
「少年あんたワザとやってんでしょ」
薄紅色の着物を纏い、件の少女は自らを『アマビエ』と名乗った。到は一度名前をからかってから、共に散らかった机を囲むその少女の名前が日本の人魚に似た妖怪と同じ名前であることを思いだした。風呂では色々な意味で興奮しっぱなしだったからあまり意識していなかったが、アマビエは小柄ながら背筋をピンと張って整った姿勢を保っており、一挙手一投足に指先まで可憐さを醸し出す様子はまさしく大和撫子というにふさわしい美少女。薄い艶のある唇でニッコリと儚げな微笑みを見せつけられ、到は思わずドキリと心臓が跳ね、耳のあたりが熱くなった。
「少年の名前はユウキ・イタル……日本人、だよね?」
やっと馴染みのある言葉にたどり着き、到は自らを取り巻く謎の一端に指先で触れる実感を得ていた。好機とばかりにその領域に深く踏み込もうと試みる。
「エビちゃん、日本のこと分かるの!?」
「エビちゃんて……まあいいわ。ええ、その通り。何故ならあたしは日本出身の妖怪……『人魚』だからよッ!」
「胡散臭」
「ちゃんと魔法見せたじゃん! 信じてよぉ~!」
「まあ……ぼくもこうして変な目に遭ってるし……」
信じるなと言う方が無理な話だと、飲み込める程度まで咀嚼しきれた訳ではなくても、状況が喉の奥まで目の前の事実を押し込んでくるのだから、飲み込まざるを得なかった。この世界も、目の前の人も、全ては空想ではなく、現実だ。
「エビはなにか目的があって『イヴ』に来たのか?」
「エビ浸透してるのね。まあ大した目的じゃないんだけど……旅行ってとこ?」
(人魚はそんな気軽に滅びかけの異世界に来れるものなのか……)
「観光でこんなところに来る異星人は初めてだな」
「まあ妖怪にもいろいろあるのよ。それに、この世界はもともといろんな種族が出入りしているじゃない。今更妖怪が出てきたところで驚くようなことじゃないでしょう、ブラック・リコリス」
投げかけられたリコリスは肯定的に小さく頷いた。到は彼女が特別何かを知っているわけではないと察し、ひとり落胆した。
「じゃあ、ぼくがこっちに来た原因なんて……」
「ごめんなさい。あたしには何も分からないわ。あたし自身もこの世界から出られなくて困ってたところだし、“たるたる”の力にはなってあげられないの……」
「たるた……何だって?」
「イタルだから、たるたるよ。タルタルステーキみたいで可愛いと思いなさいよ気に入りなさいよ」
(人生で初めて聞いたよそんな脅し)
これで完全に到は手詰まりだった。何一つ情報がない今、彼が何のために、何が要因となって『イヴ』へ転移したのか、それを突き止める手段はほとんど失われてしまったのだ。地球に大した未練があるわけでもないが、到にとって突如として押しつけられた『滅び』の運命は手に余るものだ。
「まあ、揃いも揃って災難だったな。だが、運が悪いとも言い切れん。二人ともこのまま『イヴ』の滅びに付き添うわけではないだろう? 私に考えがある」
そう言ってリコリスは机の上の空き缶を乱暴に退けたかと思えば、自らの通信端末をその中心に置いた。
(携帯電話……なのかな?)
リコリスが液晶の中心を指先で軽く叩くと、そこから立体映像が部屋いっぱいに出力された――――大きすぎてまるで何が表示されているか分からない。
「すまない、初めて使う端末でな」
再びリコリスが液晶に触れて、映像の大きさを調節する。今度こそ机の上に収まるサイズになり、その全貌が明らかになった。
透き通った青いホログラフィーで表示されたものを、到とアマビエは円盤状の機械だと認識した。フォルムだけなら古いSF映画に出るオーソドックスなアダムスキー型円盤で、ぷかぷかと浮遊しているかのようなイメージ映像が流れている。
「これは……宇宙船?」
到の率直な感想にリコリスは力強く頷いた。
「葉巻型じゃないわね。プランを聞かせてちょうだい」
ニタニタと笑いながらアマビエが促す。
「この世界の中心にある『ゴールドランド』という街に隠してある脱出船だ。私はコレを奪う計画を以前から練っていた。もとより私は滅びなど待つつもりはない。意地でも生きてやるつもりだ。こんな世界からおさらばするついでに、二人を地球に送り届けよう」
(あら~……簡単に言ってのけちゃったよ)
希望を見出すよりも先に話の壮大さに着いていけるか怪しいと、到は顔をしかめる。何より、リコリスのセリフにしれっと混ざっている不穏な単語が引っかかった。
「そもそも奪うって……これ、本当は誰が使うものなんですか?」
「私が元々いた『未来の結社』という組織が幹部だけを乗せて脱出する計画だった。結社とは言わば宗教団体。希望を信じる者だけが“箱舟”に乗れると謳っている。実際は信者を工廠に閉じ込めてこの船を作らせているだけだがな」
「そんな悪の組織みたいなのがあるんですか? よくこの円盤を発見できましたね……」
到がそう呟くと、リコリスは答えようとして、しかし僅かに言葉を詰まらせた。到とアマビエは顔を見合わせ、互いに首を傾げた。
「結社の総帥『カイン』直属の部下だった。ブラック・リコリスとは奴に与えられたコードネーム。子供の頃から奴の下で戦闘マシンとして使われていた。結社に仇なす者を始末するために」
リコリスは仮面の裏で小さくため息を漏らし、端末の映像出力をオフにした。その手をゆっくりと持ち上げ、胸の前で拳を固め、じっと見つめる。
「……しかし、もう奴に操られたりしない。計画の協力者が私を結社から逃がしてくれたんだ。腕の怪我だけで済んだのは“彼”のお陰だ。ここ『アイアンヒル』でまた合流する予定で……そうだ、あいつも出身はこの世界ではないらしいから、ニホンのことを知っているかもしれない」
「本当ですか!?」
僅かな希望でも、今の到には手を伸ばさない理由はない。到は確かに一度は絶望し、生きる気力さえ失いかけていた。だが、少なくとも今は生きることを諦めていない。夢に描いた異世界の存在はここに証明され、不可思議な人物が二人も目の前に揃っている。とりあえず『イヴ』の滅びさえ避けてしまえば、次の冒険につながる。何の思い入れもない地球に帰らなくたって、リコリスの目指す別の世界に行けるのだから。
「リコリスさん……って、ちょっと呼び辛いな。リコさんって呼んでいいですか?」
「え? ……ああ、構わない」
「ぼく、リコさんと一緒に行きたいです。地球には帰りたくないです」
「……君の
「故郷だからって帰らなきゃいけない理由にはなりませんよ。どうせ親も友達もいないし。ぼくは……冒険がしたいんです。地球とは違う世界を。今までの自分を全部捨てて、まるっきり新しい自分になったつもりで、希望に満ちた冒険がしたいです!」
到は生まれて初めて他人に自分の妄想――――もとい、夢を打ち明けた。大声を出して主張したのも初めてだったし、特に理由もなく誰かと一緒にいたいと願ったのも初めてだった。彼の瞳はさっきまでとは別人のように輝いていた。
「ふっ……そんな風に言われたら、ダメだとは言い辛いな。良いだろう。イヴを出たら、一緒に新天地を探す旅に出よう。ただ、出るまでは面倒が多いぞ」
「はい!」
「ちょっとちょっと! あたしを置いてけぼりにしないでよ!」
アマビエが頬を膨らませて割って入った。到はきょとんとした顔で赤毛の少女を見つめた。
「エビちゃんは地球に帰るんじゃないの? 観光客なんだし」
「旅と食べ歩きは道連れってね。ロールプレイングじゃ魔法使いがパーティに一人はいるものでしょ?」
リコリスがやれやれと言いそうな風に両手を広げ、「ふふっ」と小さく笑った。
「まあ、悪い話ではあるまい。私一人ではイタルを守りきる自信がないからな。協力者は多い方が良いさ」
「さっすがリコリコちゃん。話がわっかる~。てなわけで、よろしくね! たるたる!」
「う……うん、こちらこそよろしくね。エビちゃん」
到は差し出された小さな手を握り、力を込めて握手した。どちらかというとアマビエの方が握力が強いと感じ、到は複雑な心情に胸と手を痛めた。それでも彼は、胸の高鳴りと、こみ上げる喜びのあまり、口が弧を描くのを抑えかねていた。
彼はわらっていた。溢れる希望を手に掴んだ、その感覚に酔っ払ったかのように。声には出さず、心から“わらって”いたのだ。
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