第6話 オール・ユー・ニード・イズ・ラフ①
遥か彼方に見える黒い影がブラック・ソニックだと気づき、ホワイト・ヘリアンタスはもう一度アーチェリーを展開して最後の決闘に備えた。
――――本来なら彼女にとってただの“的当て”に過ぎなかった。自分も知り得ない心の深淵から湧き上がった怒りの熱が、脳の命令よりも早くこの体を突き動かしていた。その怒りを一瞬にして無に還したこの胸の高鳴りは何だろうと、彼女は弦を引きながら考えていた。脳裏に浮かぶのは結城 到という少年の姿だった。戦闘のプロとして技術を磨いたエージェントの攻撃を躱し、プライドを叩き壊したあの少年のことが気になって仕方がない。知りたいという欲求が手元を狂わせ、まばたきの回数が多くなった。
「……くっ」
何を馬鹿なことをと、彼女は一度アーチェリーを下げて大げさに首を振って雑念を振り払おうとした。自らに課せられた使命は、裏切り者のブラック・リコリスを始末すること。カイン直々の命令だ。エージェントとして命に代えても役目を果たさなければならない。しかし――――
(知りたい。あの子のことを……私を上回ったあのセンスの秘密を……)
今度は欲望が彼女の体の支配権を奪い、その足は彼女のラピードマシン『グレート・ホワイト』のところへ向かった。スターターを起動し、エンジンが目覚めの咆哮を響かせた。搭載されたコンピュータが立ち上がると同時に、スクリーンにレッド・クローバーの姿が現れた。
「何のつもりだホワイト・ヘリアンタス? 何故攻撃しない?」
「……ただ撃っても、彼は必ずかわす」
「彼?」
彼女の静かな答えにレッド・クローバーは眉を顰めた。それ以上は互いに言葉を交わさず、ホワイト・ヘリアンタスがスイッチを切ったことで通信は終わった。間もなく“その時”が来る。迷いはない。間違ってない。そうやって呪詛を唱え、心を固く縛った。
「……!!」
流石の到もいつまでも攻撃されないとあっては混乱は免れなかった。コースを一周するまでに罠を仕掛けるのは容易いかもしれないが、それにしたってホワイト・ヘリアンタスがアーチェリーを使った攻撃をしないのはおかしい。到はコースの広さを活用し、できる限りホワイト・ヘリアンタスから離れ、迂回するようにしてゴールを目指すことにした。ブラック・ソニックの頭の向きを変えたその時――――
「到、奴が動く!」
「!!」
グレート・ホワイトが動き出した。いや、正しくは動いていた。エンジンの加速性能の悪さを補うため、そして到達に動いていないと錯覚させるため、ゆっくりゆっくりと加速していたのだ。到達にはそれが突然急激なスピードを出したかのように見えていた。
「最高速はあっちが上だ! 引き離せない!」
二機の距離は縮められ、並列になって走った。ぴったりと真横につけられた到は流石に焦りを隠せず、何も装備していない左手でショック・ブラスターを撃とうとしてしまう。アマビエも立ち上がって迎撃しようとしたが、既に水のボトルは使い切っている。体格差もあって当然勝てる相手ではないが、彼女は身を乗り出して掴みかかろうとした。
「うりゃああ!!」
「エビちゃんだめだ!」
到が手を伸ばすが、届かない。だがアマビエの小さな体は真後ろに倒れ、エージェントに挑むことはなかった。彼女の体を引っ張ったのは到ではない。かと言ってホワイト・ヘリアンタスが押し倒したわけでもない。
「……やっとお目覚めか」
「リコさん!」
意識を取り戻したブラック・リコリスがアマビエを制止し、ホワイト・ヘリアンタスに黒いブレードの切っ先を突き付けた。彼女は一瞬だけ振り返り、到を一瞥した。信じあう二人は互いに頷き合い、それぞれの思いを言葉もなく伝え合った。
即ち、走れ!! 闘え!!
「――――ッ!!」
到がレースに集中する姿勢に戻ったと同時に、リコリスは右手のブレードを振りかざし、切りかかった。その一振り一振りが的確に喉を、胸を、人体のあらゆる急所を狙っている。しかし、いなされている。リコリスの攻撃が強く素早いからこそ、そのパワーを利用し、指先で軽く触れるだけで大きく的を外すことができる。ヘリアンタスは腕の動きだけで攻撃を躱し、同時にリコリスのスタミナを削っていた。口元だけをマスクで隠したヘリアンタスの目元が挑発的な笑みを見せた。
リコリスの構えが獰猛で狡猾な獣の攻めの姿勢から、大地に鎮座する冷たい岩石のように静かな守りの姿勢へと変化した。ヘリアンタスも攻めるようで攻めないギリギリの姿勢を保ち続けている。が、挑発してもリコリスから攻撃してくることはないと察知し、彼女は顔の前で拳を握りこみ、ボクシングのファイティングポーズに近い構えをとった。互いの喉首に刃をあてがっているかのような緊迫感が到の体にも届いていた。リコリスには殆ど時間が残されていない。目の前の刺客を倒し、この街を脱出しなければならない。勝負を決めるのは今しかない――――
最初に動いたのは――――二人同時だ。リコリスは刃を腰だめから真っすぐに突き出し、ヘリアンタスはその手を左の手刀で弾き落とした。が、それはブラフ。リコリスは傷を負った対の手でヘリアンタスの手刀を掴み、体ごと引っ張って体勢を崩させ、掴んでいた手を放して肘鉄をボディに叩き込んだ。
「うっ……!!」
ダメージを受けながらヘリアンタスは僅かに怯んだ程度。むしろ体を反転させているリコリスにキックをお見舞いする――――これも腕で防がれてしまった。その足の勢いを殺さず狙いを変えて三連続キックを狙うも、全て凌がれた。今度はリズムよくフェイントを織り交ぜ、時にリズムを崩したりもしてパンチとキックの連続攻撃を繰り出す――――これも的確に防がれてしまった。それどころか、自ら崩した攻撃のリズムの隙を突かれ、顔面に強烈な拳を二発も食らう始末だ。
焦りを、狼狽を露にする。怪我を負っているリコリス相手ならば、格闘で凌駕できると踏んでいたからこそ。
「っ……邪魔をするなリコリス!!」
「……?」
ヘリアンタスの意外な言葉にリコリスが思わず思考停止する。彼女の目的は『自分を抹殺すること』がとばかり思っていたから、その言葉の意味がまるで読めなかった。何かがおかしい――――作戦ではなく、全く見当違いの思惑を孕んでいると睨んだリコリスは、指を鳴らして燃料シリンダーを出現させ、それをグレート・ホワイトのコックピットにある推進バーに当たるように投げ捨てた。狙い通り推進バーの動きを狂わせ、グレートホワイトは明後日の方角へ方向転換してしまう。
「なっ……!?」
焦るばかりのヘリアンタスも流石にその行動の意味を看破し、戦慄しながら本能的にコックピットへと体を戻し、シリンダーに手を伸ばした。リコリスは魔核魔法で炎を出現させ、引火させるつもりだ――――と思ったが、彼女はそうしなかった。
「クソッ!!」
慌ててマシンの操縦に戻るが、もうゴールは目前だ。ここからどう走っても、彼らのゴールは阻止できない。咄嗟にアーチェリーを構えたが、到は最後までとっておいたスモーク・グレネードをここで使い、敵の視界を完全に遮った。
「振り切った!! 行けぇたるたる!!」
「見えたぞ!! ゴールだ!!」
アリーナの歓声がエンジン音をかき消すほど大きくなる。耳をつんざくほどの拍手喝采ファンファーレの嵐が到には心地よかった。それ以上に……
「イタル」
自分を呼ぶ優しく力強い声に、到はゴール前にもかかわらず目を向けた。互いに顔を見合わせ、喜びを分かち合う。
「よくがんばった。ゴールはお前が決めろ!!」
「はい!!」
グリップを握る手はいつの間にか汗でベタベタになっていた。到は雄叫びをあげ、勝利の歓喜を全身で観客たちに見せつけながらアーチを潜った。作戦はまだ終わっていない。それでも到は、リコリスとの信頼がつかみ取った初めての勝利に酔いしれて、大声で笑った。
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