第5話 レーサー・イン・ザ・ダーク④


 ブラック・ソニックは減速し続け、三週目にしてガラクタ山の麓で初めて他のマシンに追い抜かれてしまった。攻撃的なパイロットがほぼ全滅したのが不幸中の幸いか、レースに勝つことだけが目的の奴らにとって、殆ど止まっているも同然の到たちのことなど眼中に入れる価値もない。


 そうなったのも、ブラック・リコリスが気を失って到の体を操作できなくなったためだ。能力の“糸”が切れた今、到は自らの手で時速六〇〇キロオーバーの手綱を握らなければならない。リコリスのように元々ラピード・マシンに乗っていたならともかく、バイクの免許さえ持たないただの中学生にそんなことができるだろうか。


「無理に決まってるでしょ!! ぼくにはできないよ!!」


「やるしかないんだ到!! この調子じゃリコリスも暫く目を覚まさない。ここまで進んだ以上はレースを走り抜けるしかない!!」


「そんなこと言われたってぼくは操縦するの初めてなんだよ!!ぶっつけ本番なんて……」


「落ち着いて考えろ!! お前はさっきまで操縦していただろう!!」


「それはリコさんが……」


 パチンッ――――到の言葉を遮った音は、到の頬から飛び出たものだった。彼が弱気な言葉ばかりを並べるのに憤慨したアマビエが側車から身を乗り出して引っ叩いたのだ。限りなく優しく。


「思い出しなさいよ! さっきのワイヤーはたるたるがリコちゃんの“糸”から教わった技術でしょ! あんな一瞬のミサイル攻撃を応用できたんだから、操縦だってきっとできるよ! 二周も走ったんだから!!」


「だけど……」


「だけどもあんぱんもないよあんぽんたん! あなたがやらなきゃ誰がやるの! 私なんて足が短すぎてやってられないし、アンちゃんなんて足すらないわよ!たるたる、あなたしかいないの!! 闘って、勝って、一緒に異世界を冒険しましょう!!」


(ぼくしかいない……)


 アマビエの言葉にふと、到はある事実に気づいた。パニックになりかけていたために全く気が回らなかったが、彼の視界はとてもクリアで、コースの先まで澄み渡って見えていた。単に速度を落としているからというわけではなく、障害物をすり抜けてコースの形や特徴が透き通って見えるかのようだった。


 ――――全部分かっている。全部知っている。信じたい人から教わった技術と知恵が、“糸”を通して肉体に焼き付いている。脳に、眼に、指先に。


 その瞬間から到の手に自然に力がこもり、グリップを前に押していた。エンジンに燃料が注ぎ込まれ、咳き込みながら息を吹き返す。弱りかけていた黒き雷光が爆音を轟かせた。心臓がドクンと強く脈打ち、血の流れに乗って勇気が稲妻のごとく全身を駆け巡った。


(今ならぼくは雷になれる――――!!!!)


 ガラクタ山の麓の細やかなカーブを見事なテクニックで、恐怖が欠如した怪物のように突き進む。やがてハイウェイに差し掛かる頃には追い抜かれたパイロットたちの姿が見え始め、リコリスがそうしたように跳躍装置を駆使してそれを追い抜き返した。無視して然るべき雑魚だと思っていたブラック・ソニックがまた現れたことに、追い抜かれたパイロットや前方を走るパイロットも驚きを隠せなかった。攻撃的な性格でなかったとしてもこの脅威を排除しようと考えざるを得ない。


 ハイウェイ終盤、ブラック・ソニックの正面を走る小さな豆のようなマシンを操るアーキュリス=ロメオが背後の脅威に感づき、後部ポッドに積んだ拡散グレネード弾を使って廃ビル突入と同時にクラッシュさせてやろうと目論んでいた。ここまでブラック・ソニックはカウンターに特化した戦術ばかりを選んでいた。故に下手に攻撃するより、チャンスを待って必殺の一撃を与えるのが有効と考えたのだ――――が、勝利に対して貪欲さを発揮する今の到は余りにも攻撃的だった。廃ビル入り口まで急ぐアーキュリスのマシンめがけて左腕からワイヤーを発射し、エンジン自体に引っ掛けた。


「待て到! 腕の装甲が吹き飛ぶぞ!」


「構うものか!! このレースは何としてでも勝つ!!」


 廃ビル直前のカーブを狙って、到は深呼吸してから腕を思い切り引っ張った。逃げようとするアーキュリスに対し、旋回のために減速したブラック・ソニック。二機を繋ぐワイヤーが瞬時に張りつめ、そこに発生した強大なエネルギーが、到の腕の装甲とアーキュリスのマシンのエンジンを諸共ひっぺがえしてしまったのだ。コントロールを失った小型マシンは当然クラッシュし、到達はその残骸の横を悠々と走り抜けていく。


「修理代は高くつくぞ」アンが溜息混じりに言うと、到は皮肉っぽく笑って返した。


「賭けの賞金で賄えればいいけれど」


 廃ビルはショートカットが完成しているため、迷いなく進むことができた。前方にはまだ三人いる。次のアイアン・バレーは狭い谷底を走るため、勝負し辛い。だが洞窟エリアは走ることに集中しなければクラッシュを免れないし、その先にはホワイト・ヘリアンタスが待ち構えている。到は思考を巡らせ、敵を打ち破る手段を必死に考えた。


(ワイヤーはあと一本、ショック・ブラスターは……残ったマシンはガードが堅そうなのばかりだから、たぶん効かない。火炎放射はぼくが火傷する。スモーク・グレネードは役に立ちそうにないな。どうする……)


「攻撃一辺倒じゃ駄目よたるたる!」


 アマビエの言葉で到は自分の思考が偏っていたことに気づき、それがただの安全策に過ぎないことを知った。目の前の脅威をただ排除するなら誰にだってできる。パイロットに求められているのは危険に向かって走り出す勇気と、ほんのちょっぴりの狂気だ。今の到にはその両方が丁度良く取り揃えられている。


「走りで勝負を決める!!」


 廃ビルを抜け、アイアン・バレーへとマシンを走らせる。よりにもよって前方にいるマシンは横幅が広いものばかりだ。意気込んだ直後で出鼻をくじかれた到は歯を強く食いしばって苛立ちを露にした。しかし、加速し始めた狂気が瞬間的に勝利のイメージを呼び覚まし、到はその下準備をはじめた。


「エビちゃん、まだ水のボトルはある?」


「えっ? あと一本残ってるけど……」


十分じゅうぶんだ!! 合図と一緒に水のシールドを張って!!」


 返事を聞いた途端に到は跳躍装置を展開させ、右手に残ったワイヤーを谷の岸壁に向かって打ち込んだ。耳をつんざく爆発音を響かせ、ブラック・ソニックが岩壁に向かって飛び上がる。到は腕の装甲がミシミシと嫌な音を立てたことに気づきながら、も、更に跳躍装置に点火して滞空時間を稼ぐ。流石に岩壁の上まで登ることはできないが、目的はそれではない。ブラック・ソニックは大空を駆け、一気に先頭まで行くつもりだった。しかし――――


「ダメだ到……足りない……!」


 一位を走っていたノーヴ=ザルカニアのマシン『SOI-023 セイバー・ビートル』が急加速し、着地したブラック・ソニックと並んだのだ! しかし洞窟に入る直前のことで、ノーヴ自身も極端にスピードを出すのは危険だと考えていた矢先だった。到は落下する中で敵機体の様子を見て、自分の中の狂気が最高潮に達したのを感じ、指をパチンと鳴らした。虚空から光と共に出現した燃料シリンダーがその手に収まる。


「今だ!! うおおおおお!!」


「うおおおおお!!」


 到とアマビエが同時に叫び、それぞれが手にしたシリンダーとボトルを正面に投げつけた。アマビエは即座にボトルの中の水を魔法で操り、マシンの正面で広げて防壁に変えた。燃料シリンダーはセイバー・ビートルの後部バーニアに引っかかり、到の右手から放たれたショック・ブラスターを受けて引火し、大爆発を起こした。


「ああ……冗談だろ……」


 アンがそう呟いたのは、ただ到の無茶すぎる攻撃手段のためではない。この一連の攻撃がよりにもよって行われたからだ。爆発四散したセイバービートルの残骸とその衝撃はアマビエの魔法によって防がれたが、洞窟そのものは巨大なエネルギーに耐えられず、崩壊しはじめたのだ。


「エビちゃん燃料!!」


「うびゃああ!! 急いでたるたるぅ~!!」


 慌てた手つきで燃料を補給し、グリップを強く押して最大限のスピードを発揮する。滅茶苦茶にうねる洞窟を的確な操作で駆け抜け、背後から着々と迫る崩壊の波をギリギリのところで躱していく。背後のマシンたちは崩れた岩に押しつぶされ、スクリーンの情報からも消滅した。少しでも減速すれば彼らのようになると、常人であれば心の中に僅かでも発生した恐怖が白い布に落としたシミのように瞬時に広がって、怯んでしまうところだが、勇気と狂気を備えた到がそんなものに飲まれるはずがない。光に向かってただひたすらにエンジンを吠えさせる。


「いけえええええ!!!!」


 姿勢を低くし、ただ一点を見据えて一心に光に溶けていく――――


 気が付けば、到達は洞窟の外の開けた場所を走っていた。アマビエはリコリスとアンを抱え込んで顔を伏せていたため、何があったのかさえ認識できていなかった。自分が死んでいるのではないかと錯覚さえするほどだった。到自身もかなり長い間を挟んでからようやく自分の行動が如何に無茶だったか理解し、乾いた笑いがこみ上げてきた。


「はは……あはは……やったぞ……」


「二度とやるな」


「もうだめ……死んじゃったのね……あたしたち揃ってたるたるステーキになったのね……こんなことなら……」


「起きろ魚介」


「え……あっあれ? あれれ? 生きてる? やったー! すごいよたるたる!」


「待て俺を離すな落としたらどうする!?」


 アマビエは“バンザイ”を慌てて止め、アンを強く抱きしめて喜びを延々と語り続けた。しかし到は彼女たちと同じ気持ちを共有したいと思いながら、素直に喜べずにいた。最後の敵が迫っているからだ。避けられない巨大な壁。到は一切の迷いもなく、白い絶望に抗うべくマシンを走らせた。


「ホワイト・ヘリアンタス、勝負だ!!」

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