第6話 オール・ユー・ニード・イズ・ラフ②


「約束のカネだ。確認しろ」


 レース終了後、再びレッド・クローバーのもとを訪れたリコリスに向けて、赤い服のエージェントは一枚の小さな“チップ”を投げ渡した。部屋の入口に立っている一行に対し、彼女は反対側の端に立っている。その距離は約四メートルほどで、『能力の効果範囲』の話を鵜呑みにするなら、クローバーには到たちを殺せない(わけではないが、少なくとも魔核能力を用いて攻撃はできない)


 リコリスの手に収まった透き通った桃色のソレは、到の目にはただのプラスチック板に見えた。だがよく目を凝らせば、その中央に何桁か0の並んだ数字が刻印されているのが分かる。


「確かに、約束通り一千万クレジットだ」


「関所で必要なのは一人三十万クレジットだろう? 随分と奮発してくれたな」


 勘ぐるようにアマビエに抱えられた頭蓋骨だけのアンが指摘する。それに答えたのはリコリスの方だった。


「まだ回収する自信があるのさ。コイツは転ぶなら近くにいるやつも転ばせて、その上にのしかかるような女だからな。だが……」


「それは今じゃない」


 先を読んでレッド・クローバーが静かに言う。


「私はお前やカインと違って嘘が苦手だよ。ここでやりあっても負ける。だから闘わない」


 そこまで聞くと、リコリスは無言で踵を返そうとした。他もそれに続くつもりだったが、到だけが再びクローバーを振り返り、あろうことか彼女の方へ歩みだしたのだ。しかも、明らかに三メートル以内に踏み込んでいる。二人の間には何の隔たりもない。流石のクローバーも眉を寄せ、疑念を彼にぶつける。


「ぼうや、なんのつもりだ?」


「あなたは、リコさんを追ってくる?」


「……どうかしら」


「一緒に来れば、ぼくがリコさんに頼んで宇宙船に……箱舟に乗せてもらう」


 その場にいた全員が目を見開き、明らかにたじろいだ。到は敢えてクローバの領域に踏み込むことで覚悟を示した。リコリスの敵対者は少ない方が良い。そして今敵対しているエージェントは、明らかに強い力を持っている。ならば味方に引き込んでしまうのが理想的だと考えた故の行動だ。


「到……自分が何を言っているのか分かっているのか? コイツは誰の味方にもなる。船にさえ乗れれば何だって良いんだ。都合が悪くなった途端にカイン側につくぞ!!」


 アンが警告すると、クローバーの口が弧を描き、静かに笑いだした。その笑い声は段々と大きくなり、遂に腹を抱えて大声で笑いはじめた。


「ンハハハハハ!! こいつは傑作だ!!」


「何がおかしい!」


「ンフッフッフ……これを笑わずにいられるか。箱舟か、なるほど。ね。アーッハッハッハッハ!!」


 話が進展しないと分かると、到は歯を食いしばって無言で立ち去ろうとした。が、その背中にクローバーが冷たい視線を投げかけて言った。


「ねぇ、私って嘘が下手って言ったよね」


「……」


 到は決して振り返らず、応えることもせず部屋を後にした。アマビエとリコリスも同じように立ち去り、不気味に笑む赤い服の女だけが取り残された。


「……お互いにね」


 クローバーはズボンのポケットから通信端末を取り出し、そのスイッチを押した。そして笑いを絶やさぬままに端末に囁きかけた。


「四つ葉よ。あなたの“希望”は、やっぱり真っ黒だったわぁンッフフフフフフ……」





 アイアンヒルを去る時が来た。アイアンヒルは四つの街の中で最も広いが、荒廃の度合いで言えば最も酷い有様だ。故にガラクタ山ばかりで殺風景な景色の続く退屈な場所。到にとっても、とても冒険の舞台とは思えない夢の無いところといった印象だったから、ついに広い世界へと踏み出すと思うと、胸の高鳴りが抑えられなかった。格納庫でリコリスと体を組み立て直したアンがマシンを整備する間、車いすに座ったまま義足を楽し気にばたばたさせていた。


「スティールタウンってどんなところなんです?」


「楽しいところじゃないぞ。人はここより少ないがゴロツキは多いし、古い住宅街と飲み屋しかないからガキはひたすら退屈だ」


 骨格を油まみれにしたアンが、これまたつまらなそうに言った。表情は読めなくても理由は明白。彼も肉体的な理由で酒を飲めないからだろうと、到とアマビエはアンの心中を察して苦笑した。


 スティールタウンに何かご褒美を期待していたわけではないが、それでも到の心配は募るばかりだった。いくら戦力があったとしても、シードやクローバーのような結社の手先がこの先も必ず待ち受けていると思うと、気が気ではない。だが、リコリスの背中を見れば、底のない不安の渦中でも希望を見出せる。今の彼には彼女こそが光。ダムネーション・イヴでそうであったように、


「次の街の関所にはどんなエージェントがいるんです?」率直に問う到。


「以前はグレイ・アイリスというエージェントだったが、今はどうだろうな。私が最後に彼女を見たのは確か……五年以上前だったと思う」


「……失礼かもだけど、リコちゃんいくつ?」


「二四歳だ……老けて見えるか?」


(それが一番分からねーんだろ)到とアマビエ、そしてアンでさえも全く同じツッコミを心の内だけで呟いていた。


「まあどちらにせよスティールタウンの関所を潜る金も用意できてるんだ。シルバーシティまでは一直線だよ。安心しろイタル」


 心強いリコリスの言葉に、到は大きく首を縦に振って応えた。




「…………」


 着信を知らせる通信端末のアラームだけが、アイアンヒルの荒野に木霊する。ホワイト・ヘリアンタスは応答するどころか、液晶に視線を向けることさえしない。じっと、ただ一点を――――黒い雷光が過ぎ去った彼方を見つめて、胸を満たす不思議な感覚の正体を探っていた。ついさっきまで、彼女の胸中はブラック・リコリスを倒すことでいっぱいだった筈。それが一転、今まで感じたことのない、どう解消していいのか分からない感情にすり替わっている。ただ、その要因だけはハッキリしていた。


(ユウキ・イタル……)


 声には出さず名前を唱え、弾かれたように再びグレート・ホワイトに跨った。手際よくエンジンを起動し、ゴール地点のアリーナではなく、スティールタウンにつながる関所側へと走り出す。


 彼女は考えていた。『あの少年を追わなければならない』と、使命感に駆られたように。





 アリーナを後にした一行はブラック・ソニックに乗り、早々にスティールタウンに入ることにした。アイアンヒルに長く留まればクローバーやシード、そしてホワイト・ヘリアンタスの襲撃を許す可能性が高まる。不用意に戦って傷を負えばじり貧になる一方だと、到にも容易に想像できた。唯一アンだけはまたバラバラにされるのが不服だったらしく、最後まで遠回しな抵抗を続けていた。運転は到ではなく、リコリスだ。傷は痛むが、レースとは違う。ただ関所を抜けるだけで終わる。


 荒れ尽くした街道を真っすぐに走り、アイアンヒルとスティールタウンを繋ぐ関所にたどり着く。到は高速道路の料金所のようなものを想像していたが、実際はパイプ椅子に座ったみすぼらしい格好の痩せた男がいるだけだった。男の前でマシンを停め、リコリスがクレジットチップを投げ渡す。受け取った男は箱状の小さな機械にチップを入れ、すぐに取り出してリコリスに投げ返し、ろくに磨いていないであろう黒ずんだ歯を見せて笑った。


「四つ葉が言っていた」男がしゃがれ声で切り出す。


「勝ったぞとな」


 リコリスは何も言い返さなかった。チップの金額を確かめ、ポケットに戻してからマシンに再びまたがり、グリップを強く押し込んで発進する。到は心なしかアリーナを出たときよりずっと初速が速い気がしていた。


(……勝った? どういうことだろう……四つ葉ってクローバーのあだ名というか通称……だったかな。でもレースはぼくらが勝ったし、こうしてアイアンヒルは抜けたんだから、少なくともあの女に手出しは……)


 刹那、脳裏に浮かんだ赤いシルエット。そいつは到が決定的な勘違いをしていると告げる。


 彼はレッド・クローバーと交渉するべく、覚悟の証として彼女の領域に踏み込んだ。半径三メートル……その範囲でなら奴の攻撃は当たる。それを承知の上での行いだ。自分の命をそのまま交渉材料にして、味方に引き込もうと考えての行動だ。しかしそれが致命的。レッド・クローバーの能力は


「……たるたる、何見てるの?」


「……嘘だろ」


 到は振り返り、追ってくる“ソレ”を視界の中央で捉えた。ソレは、ダーツの矢だ。彼を殺すべく放たれた一発――――


 『クローバーズ・フィールド』とは即ち、!レッド・クローバーの手を離れたダーツが、異常な軌道とスピードで真後ろから追ってくる!


「何だと!?」


 状況を知ったアンが叫ぶ。リコリスもすぐにスピードをあげ、何とか振り切ろうとする。が、彼女はそれが無駄だと知っている。


 魔核能力はリコリスの『デステニー・ストリング』も含めて、ことわりを歪めて発生する超常の力。どんなにブラック・ソニックが高性能でも、あの矢は振り切れない。振り切れないと知っていても、それでもただ速く速く走らせる以外にできない!!


「あのダーツは爆弾が仕込まれている……触れたら爆発するぞ!」


「なら撃ち落とす!!」


 アンが警告した直後、リコリスが咄嗟に到の手に糸を伸ばし、右手のショック・ブラスターを乱射して対抗したが、レッド・クローバーの能力は一度発動したらどうやっても止められない。矢はブラスターを避けて到めがけて速度を増すばかりだった。


「……」


 “アレ”は、自分を狙っている。何故なら、自分が呼び起こしてしまったものだから。その事実に触発され、到の中の勇気と狂気が再び覚醒する。しかし今度は躊躇いがあった。心臓の鼓動は高ぶりではなく、本当にやるのか?という自身への問いかけのようだった。汗が噴き出しては乾いていく。


「たるたる……ダメだよ」


「エビちゃん……」


 到の思惑に感づいたアマビエが真剣な、それであって縋るような眼差しを見せ、必死に首を振る。到の中の躊躇いがより大きくなり、彼は仲間たちの顔に視線を向けた。


(ぼくが始末をつければ……みんなは予定通りこの世界からきっと……)


 到は恐怖心という足枷を振り払い、側車後方に身を乗り出した。


「待てイタル! 何を……」


「たるたる!!」


「止めろ! 本当に死んでしまうぞ!」


 呼び止める声はしっかりと届いていた。だが到は一切の迷いもなく、勇気と狂気に身を任せてマシンから飛び降りた。レッド・クローバーの能力のたった一つの弱点を彼は見抜いていた。それは、。能力の強みそのものが弱みでもある。到は生身の左手を真っすぐに突き出し、手のひらを大きく広げ、まぶたをギュッと力強く閉じてその時に備えた。


 ――――生憎、失くすことには慣れている。


「イタル!!」


 リコリスの悲痛な呼びと同時に、手のひらに矢が突き刺さった。狙い通りと言わんばかりに到は口元だけでニヤリと嗤い、姿なき赤い影に向けて言い放つ。


ダブルブルおおはずれだクソッタレ」


 彼の手を巻き込んで矢が爆発した。爆発自体は小規模でも、その衝撃は彼の肩まで肉を抉り、左腕は形さえ残さなかった。吹き飛んだ彼の体は路上に叩きつけられ、そこからぴくりとも動かなくなってしまう。ぼやけた視界の中に遠のいていくブラック・ソニックの後ろ姿を見た到は、勝利を確信して笑い続けた。もう声など出ていない。掠れた息が漏れているだけだったが、それでも到は笑い続けた――――



第一章 ダムネーション・イヴ・パーティ 了


次章 ダブル・パラダイムシフト

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