二章 ダブル・パラダイムシフト
第7話 ホープレス・マインド①
視界の半分が真っ黒だった。今いる場所がどこなのかもわからない。水の流れる音が聞こえるが、耳の奥にフィルターがかけられた様に音がこもっている。四肢と、あらゆる内臓に重石でも詰められたかのように、体が重く、自由が利かない。なのに足と、左腕の痛みはハッキリしていて、何度も何度もねじ切られるような痛みが襲い掛かる。
「あああ……ああああああ……あああああ!!!!」
結城到はその激痛で目を覚ました。自分がどこにいるのかわからない。コンクリートの壁と床に、水の流れる音。この場所自体が薄暗いが、それ以前に自分の左目が正常に機能していないことに気づいた。震える右腕で必死に痛む左腕を探すが――――触れることができない。確かに今そこで体から切り離される感覚が何度も繰り返されているのに、右手は虚空を扇ぐだけだった。何が起きたのか、彼は次第に思い出す。
(そうだ、ぼくはリコさんたちを逃がすためにレッド・クローバーの矢をわざと受けたんだ)
事実を認識しながら、彼は必死に肉体に起きた全てを否定しようともがいた。もたれかかった壁を、床を、滅茶苦茶に殴った。拳の皮がめくれて血だまりができるまで殴り続けた。それでも痛みが、左腕と両足の痛みが治まらない。
だがそれ以上に重くのしかかる事実があった。到は爆発の直後に見た光景をよく覚えている。遠ざかっていく黒いシルエット――――小さくなっていくリコリスの背中をじっと見つめていた。そうだ、彼は置いていかれた。生き死には別として、リコリスたちは到のことを顧みることもことさえしなかった。信じていた人が、信じたかった人が自分を切り捨てた……。
何故一思いに死ねなかったのか。振り返ってみれば昔からそうだったと到は自身の悪運の良さ自覚する。両親が死んだ事故のときも、両足を失ったときも、どうして世界は一々ぼくを生かすのか。
世界の理に向けた巨大な怒りが血を滾らせ、到は拳が熱くなるのを明確に感じていた。両足を失った直後は胸に風穴を開けられたように空虚な気持ちばかりだったというのに、今は彼自身が驚く程の怒りだけが、破壊衝動を駆り立てた。今すぐに世界を破壊しつくしてやりたい。そうして無力な拳で冷たい床を叩き続けていると――――
「やめろ! いたる! やめるんだ!」
彼の腕を掴み、背中側から抱き寄せて声をかける女。到はそんな異質な存在を無視して手を振り払ってまだ何かを殴ろうとしたが、今の彼は義足も鎧も身に着けていないから、中学生として相応の腕力しか発揮できない。抵抗も空しく、彼はその女になすがままの状態にされてしまった。
「落ち着け! いいか、私の声を聞け! ゆっくり息をするんだ!」
漸く到は自分以外の誰かがいると認識し、自制心と羞恥心が遅れて目覚めた。自分が何をしていたのか分からなくなり、縋るように背後の声の主に視線を向けた。
長い金糸の髪とブルーの瞳、そして健康的な焼けた肌を強調するその名の通りに真っ白な鎧(は外して、黒のインナーを着用していた)――――ホワイト・ヘリアンタスだ。ついさっきまでダムネーション・イヴのレースで命のやり取りをした女エージェントがそこにいた。口元をマスクで隠した“敵”を目の当たりにした到は、慌てて身を守ろうとする。
「動くな。傷は塞いだが、私の能力でダメージは取り除けない。下手に動くと体に悪い」
その言葉の意味の全容を捉えきれず、到は失った左腕に目を向けた――――腕どころか、肩から先が丸ごと無くなっている。しかし、丁寧に包帯が巻かれ、結構な暴れ方をしたにも関わらず出血さえしていない。
「……治療してくれたんですか」
殆ど聞き取れないような声で到が問うと、ヘリアンタスは思いのほかフランクな口調で答えた。
「最近になってやっと能力の使い方が分かったんだ。私の肉体に触れている間、傷の回復力を高めることができる。まだ名前も決めていない魔核能力だが、とりあえず死ぬのだけは免れた。もうしばらくは私から離れるな」
そんな彼女に到は当然疑心を抱く。この女は敵で、自分は殺されかけたのだから、至極当然な心理だ。そんな状態でその敵に体を預けなければならない自分の弱さが悔しく、ヘリアンタスの膝の上で彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。と、ここでようやく今いる場所がどこなのか考える余裕が出てくる。遠くから確かに聞こえる激しい水音と、不味い空気。静かに流れる水に冷やされたコンクリートの壁や床。薄暗くはあるが、照明が点々と灯されていてある程度先まで見渡せる。
「ここはどこですか? ぼくをこんなところに連れてきて……なんのつもりです?」
「スティールタウンの地下水路。死にかけのお前を拾ってリコリスを追うつもりが、四つ葉に嵌められてマシンを壊されてな。慌ててここに逃げ込んだ。お前のことが気になって仕方が無かったんだ。ダムネーション・イヴで見せたあの判断力、戦術、センス……お前くらいの歳の男の子ができたものじゃない。だからただ捕まえて質問するだけのつもりが……奴め、相変わらずやり口が汚いったらありゃしない。死なれちゃ聞きたいことも聞けないから、慌てて治してるってわけさ。それに……」
「それに?」
「お前のことについて考えると、リコリスのことを忘れられる。あんなに怒ってたのが馬鹿みたいに思えて……むしろ私が助けられた気分なんだ。ほら、膝枕じゃ治癒が遅くなる。もっとこっちへ来い」
抵抗できないのをいいことに、ヘリアンタスは到の体を抱き寄せた。流石の到も警戒心より羞恥心が肥大化しはじめていた。何せヘリアンタスは白い鎧を外し、豊満な肉体を恥ずかしげもなく外界に曝け出しているのだ。丁度胸のあたりに頭が触れていることもあって、到は自分の顔が真っ赤になっているのがよく分かった。
「照れているのか?」
「うるさいです……」
「思ったより素直だなお前」
「っ……馬鹿にするな。回復したらすぐにお前をぶっ倒して……」
啖呵を切るつもりが、到は半ばで言葉を見失った。自分の体を鑑みれば、如何なる強い意志さえ無駄だと、誰の目にも明らかな事実を突き付けられてしまう。義足を失い、鎧は半壊。挙句左腕と左目を失ったのだ。彼は闘う前から“詰み”に追い込まれている。
ただひたすら悔しかった。敵に頼らなければならないこと。リコリスと共にスティールタウンに行けなかったこと。失ってばかりの自分の弱さ――――
――――普通だ。中学生なりによくやった方だ。到は波立つ感情に蓋をするように、脳裏で言い訳を繰り返した。そうしなければ、そのうち野垂れ死にするであろう自分が情けなくて仕方がない。せめて死ぬ時くらい、自分を肯定し続けていたい――――
「……ッ!!」
ダメだった。到は悔しさを、怒りを抑えられなかった。全てを中途半端で終わらせることが、リコリス達に置いて行かれることが、何も知らずに死んでいく運命が、許せなかった。彼は右腕に残ったショックブラスターを起動し、ヘリアンタスの喉首に突き付け、震える声で言った。
「ぼくを……リコさんのところに連れていけ。拒否したら……撃つ」
精一杯の脅しであり、抵抗だった。胸のイミテーション・コアから漏れ出す青い光が以前より弱いことから、もうブラスターを数える程度撃ったら“電池切れ”だ。ヘリアンタスの表情を彼の視点では窺えないが、当然ヘリアンタスはこの程度では眉一つ動かしていない。それでも到は、残された手段に縋った。
「……お前、リコリスの何なんだ?」
「ぼくは……リコさんの……」
「彼女について行ってどうする?お前は何が目的なんだ?」
「この星を脱出するんだ……カインの宇宙船を奪って……一緒に地球へ行くんだ!」
到は情報を引き出されていることに気づいていない。しかし、ヘリアンタスはこの到の発言に違和感を覚え、口元に手を当てて黙考した。
(宇宙船だと? カインから聞いた話とまるで違う……リコリスの目的は確か……)
「さあ……あんたはどうするんだ……?」
答えを催促する到にヘリアンタスは「ああ」と軽い返事をする。しかし何かを思い立ったようにニヤリと笑みを浮かべ、また耳元に顔を近づけて囁く。
「よし、私がリコリスのところへ連れて行ってやろう」
「……本当だな?」
「ああ、どうせ私もリコリスに用事がある。だが私からも頼みがあるんだ」
眉を顰める到。ヘリアンタスは焦らすように間をあけてから“頼み”について話した。
「道中、私が質問したら必ず答えろ。そうすればリコリスのところまでおんぶしてやるし、命も保証する」
「ッ……馬鹿にするな! ぼくは……」
「外骨格なしじゃまともに動けないんだろう?そのブラスターもただのショック光線を撃つだけだ。殺せはしない。条件が不満ならもう少しマシな商売のネタを用意するのね」
一転して……否、最初からヘリアンタスに有利な状況だと知らされてしまい、到はやるせなく右手を脱力させた。分かりきっていたハズなのに、どうしても否定したかった事実。自分は誰かに頼らなければ何もできない人間だということを、到は認めてしまった。それでも彼は、恥を覚悟でヘリアンタスの条件を飲むしかなかった。例え醜態を晒してでも――――
「……分かった。ぼくを連れて行ってくれ」
「交渉成立だ。おんぶでいいか? 今ならお姫様抱っこも選ばせてやるぞ?」
「背負え!」
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