第7話 ホープレス・マインド②

 ヘリアンタスに背負われて地下水路を移動することになったが、流石に両足も左腕も無いと、幻肢痛以前に平衡感覚が狂ってしまい、常時目が回ったような状態に陥っていた。右腕だけで彼女の体にしがみつくのも難しく、元々体力がないことと蓄積したダメージもあって、背中でじっとしているにも関わらず全力で走った後のように呼吸が乱れてしまう。


「大丈夫か?」


「あんまり……」


「休憩しながら進むか」


「ダメです! ……リコさんに追いつかなきゃ」


 ヘリアンタスが立ち止まると、膝や右腕を動かしてそれを拒んだ。彼女は無言で従うが、あまり揺らさないようにゆっくりと歩くことにした。


「気持ちは分かるよ」


「……なんの話です?」 急に切り出され、到は反応に困った。


「私もリコリスかのじょに置いていかれたってことさ。私はシードにいたときから彼女の部下だった」


 妙に楽し気に話すヘリアンタスに違和感を覚えつつも、到はその続きに耳を傾けた。


――――そもそも結社がエージェント養成を始めたのは一七年前、十代~二十代の女性が突如として大量にかき集められた。一七年前に特別な事件が起きた覚えなどないが、カインが何やら慌てるほどの出来事があったというのは間違いあるまい。私は少し遅れて、スティールタウンのスラムにいたところをシードとして召集された。それが十年前の話だ。早い段階でコードネームが与えられ、リコリスと共に仕事をこなすようになった。専ら彼女がポイントマン、私がバックアップだったよ。ああ……彼女は師であり、私の親友であって、本当の姉妹のように思っていた。


 だが、彼女は前触れもなく結社を裏切った。私たち二人で担当した最後の任務。反抗勢力の科学者『アベル』の抹殺。殺しは手慣れていたし、特別難しいことではなかった筈なのに、シルバーシティの研究施設に向かう途中、私たちはアベルの刺客の強襲を受け、全滅した。理由は単純、作戦がすべて筒抜けだったからだ。分かるだろう? リコリスが情報を漏らしたってことだ。彼女はアベル側に寝返り、お前の言う『宇宙船』を奪ってイヴを脱出するつもり……と、話しているらしいな。


「……らしい?」


 到はヘリアンタスの含みのある言い回しに眉を寄せた。彼女は彼が疑問に思うことを予想し、敢えてそうしたのだ。


「お前には脱出が目的だと言ったそうだが、それだけではない筈だ。そもそも宇宙船……もとい『箱舟』はお前が想像しているだろうじゃない」


「じゃあ何だってんですか……?」


「あれは……宇宙戦闘機……と言うのが正しいのか、正直どう表現するべきか分からないな。少なくとも輸送船じゃないし、かなり強力な攻撃能力を持っているのは確かだ」


 到の心の中に、一点の染みが現れた。疑念――――当然リコリスに向けたものだ。彼女は到とアマビエに『イヴを脱出し、別の世界に行く』と話した。仮にヘリアンタスの言ったことが本当で、宇宙船に攻撃能力があったとしてもその目的自体は問題なく達成できるだろう。身を守る手段として活用するとも考えられる。だがもしも、彼女がただの足として船を使うのではなく、――――


「違う……」と、言いかけて決して口にできない。そもそも彼女が、彼女たちがどんなことをやっていたのか考えれば当然だった。リコリスは生きるために手段を選ばない。もとより計画自体がそのやり方のではないか。到の中の疑念という染みが、ゆっくりではあるが着々と広がっていく。核心に至ったとは言い切れなくても、想像が悪い方向に広がって歯止めが利かない。


「でも……リコさんは言ったんだ……ぼくたちと異世界を冒険するって……」


「……ブラック・リコリスは裏切ると断言するわけじゃあないが、深く信用するのは止めておけ、とだけ言っておこうか。お前に彼女の何が分かる? 私は十年も彼女と一緒だった。それだけあっても……あの女は全てを見せたわけじゃない。二日三日でどこの馬の骨とも知らないお前に本音を明かすほど軽率でもあるまい。まあ、信じる信じないはお前次第だし……っと、ちょっと踏ん張ってろ」


「え?」


 突然声を潜め、ヘリアンタスがベルトに刺していた白い棒状の武器を右手で構えた。足の無い状態の到の身の丈と同じくらいの長さで、先端が僅かに膨らみ、逆に中央部に持ち手らしきくぼみがある以外、装飾など何一つない無骨なデザインのロッドだ。到は空気が明らかに緊迫したのを感じ、彼女が戦いに備えたのだと看破する。


「やはりシードが来たか」


「シード? だったらあんたの味方なんじゃ……」


「いや、私はもう結社の人間じゃない。命令を無視してここに来ちゃったからな」


 ヘリアンタスがそう告げた途端に、連中は水路の曲がり角からゾロゾロと現れた。影だけが形を持ったような黒装束の集団、シード隊だ。リコリスの時と違い、先陣を切ったリーダー格は既に腕のブレードを構えていて、対話をするつもりな無いらしい。


「カラーレスの命令だ。ホワイト・ヘリアンタス、貴様を抹殺する!」


「まったく慌ただしい小娘たちだこと」


 今にも斬りかからんとしている相手の前で気の抜けたことを言うヘリアンタスに説教でもしてやりたいところだが、到はその直後に顔面を一突きで潰されて壁側に吹き飛んだリーダー格を見て、この女がダムネーション・イヴで多くのパイロットを一方的に葬った凄腕中の凄腕であるということを思い出した。それでも臆すことなくシードたちは次々と襲い掛かってくる。


「ふんっ!」


 ヘリアンタスの振るうロッドは針穴に通す糸のように精密に弱点を突く。目で追うことを許さない素早い一発で確実にシードの首をへし折り、向こうからの攻撃を許さない。同時に複数が襲い掛かってくれば、足を狙って動きを止めたり、ブレードを装備した腕を弾いて攻撃の軌道をずらすことでヘリアンタス自身は殆ど身をかわすことなく攻撃を無力化していく。そして一人ずつ確実に即死させる。しかもその間、彼女はゆっくりではあるが歩みを決して止めなかった。


(シードとエージェントの間にはこれほどの実力差があるのか……だとしたら、リコさんが本調子だったらどれだけ強いんだ……)


「おのれ裏切り者め!!」


 最後に残った一人も果敢に刃を振りかざすが、最低限の動きだけで右腕・左腕・右足・左足を次々と粉砕され、仰向けに倒されたその腹にロッドを突き立てられて動きを完全に封じられた。簡単に殺さない理由は明白、情報を引き出すためだ。


「まあ無駄と分かってて聞いてんだけどさ、カラーレスは私のことなんて?」


「ぐっ……」


 ヘリアンタスが訊いたとき、シード隊員の口の中でカリっという音がして、三つ数えられたかどうかも怪しい内に仮面の裏から大量の血を流して絶命した。情報が漏れるのを防ぐために、彼女たちは奥歯に即効性の薬物を仕込んでいるのだ。ヘリアンタスは「やっぱりか」と言いたげにため息をつき、再び歩みだした。


「連中が奥歯に仕込んでる“カプセル”は口封じに便利な薬だ。真っ先に口の中に広がって舌と喉を溶かすから、仮に毒が回らなくても喋ることだけはできなくなるんだ。まあ、生き残っちまったら悲惨だがな」


「舌がなくなったらよっぽど生き残れないと思うけど……待って、まだ音がする」


 水路の奥から微かに聞こえる足音に気づき、到が声を潜めた。ヘリアンタスは無言で足を止め、その場にしゃがみ込んだ。足音は着実に近づいている。ただ歩いているわけではなく、小走りに近い短い間隔でコツコツと音が反響してくる。


(増援が来たのか……)


 ヘリアンタスの強さは百も承知だが、先を急ぐ到にとってあまり足止めを食らうのは鬱陶しいことこの上ない。しかしヘリアンタスもシードとは比べ物にならない程強いとはいえ、やはりそこは歴戦の戦士だけあって油断はできない。歩調はあくまで慎重で、警戒を緩めることなど一切しない。到は自分の足で歩けないことも自分の力で闘えないことも、ただただもどかしかった。


「いたる、しっかり踏ん張ってろ。来るぞ……」


 ロッドをビリヤードのキューのように突きの姿勢で構え、曲がり角の先から現れんとしている影に備える。足音はもう目の前まで迫っていて、この角から顔を出せばその姿を拝めそうだが、こちらから踏み込むことはせず、あくまで迎え撃つつもりだ。


「さっさと片付けちゃいましょうよ」


「うるさい」


 急かす到を静かに制止し、ヘリアンタスはロッドを持った右腕をゆっくりと引いた。足音の間隔が大きくなり、今まさに姿を現そうとしている。そして――――


「ッ!!」


 先手必勝の一撃を放つ!! だが――――!!


「あっ待って!!」


「!!」


「うびゃあ!?」


 甲高い叫び声はロッドを食らったから飛び出たわけではない。むしろヘリアンタスはロッドを引き戻し、反対の手で“そいつ”の胸倉を掴んで床に押し倒すに留めた。襲撃者だと思っていた影は、ついに姿を露にする。


「エビちゃん!?」


「徳川の埋蔵金の在り処なんて知らないよぉ~……ってあれ? たるたる! やっと見つけた!」


 半泣きで手をブンブンと振り回し抵抗するアマビエが、到に気づいた途端にパッと笑顔になる。


「あのときのちっこいのか」


 きょとんとした顔でヘリアンタスが手を離す。起き上がったアマビエは背負われた到を一目見て顔を真っ青にした。


「いやあああああ!!!! たるたる!! なんでこんな!?」


「おいおい叫ぶなちっこいの。ここは声が響く」


「でもたるたるが!!」


「治療はした。死にはしない。だから落ち着け」


「エビちゃんぼくは大丈夫だよ。ね?」


 パニックこそ収まったが、アマビエはそれ以上叫ぶどころかまともに話すことが難しいほど呼吸が乱れていた。苦しそうに胸を押さえ、その場に座り込んでしまう。


「この娘の方が怪我したお前より辛そうだぞ」


「し、心配ないってばエビちゃん! それより、リコさんとアンちゃんは?」


 アマビエがいるということは、あとの二人も一緒に探してくれている筈だと到は考えた。アマビエは視線を逸らして微かな声で応える。


「……先に、街へ行ったわ。あたしもたるたるを探して追いつくつもりでいたの」


「あの女らしいというか……目的が最優先らしいな。このままだとスティールタウンを通り抜けてシルバーシティまで行かれちまう。これは急いで追いかけた方が良さそうだ」


 ヘリアンタスに反対する者はいない。だが、到はどことなく背筋が寒いような気がした。どうしても認めたくなかったが、やはりリコリスは場合によっては誰だって何だって捨てられるのだ。生きるためには仕方のないことだが、彼女と並んで歩けると思いあがっていたことが恥ずかしい。到はこのままリコリスに追いついたとして、どんな顔をすればいいのか分からなくなってしまった。


(それでもぼくは……追うしかないんだ……希望を……)


「ヘリ子さん」


「……ん? そりゃ私か?」


 勝手にあだ名をつけて何だが、到はヘリアンタスの頭にプロペラがついて空を飛ぶほんわかぱっぱした姿を想像して口をへの字に曲げた。直後、再びショックブラスターを突き付けて脅しをかけた。


「エビちゃんも連れていってください」


「……分かった。まあ目指すところは同じだからな。おいエビとやら、行くぞ」


「……」


 アマビエは押し黙ったまま首だけを縦に振って応え、ヘリアンタスの後ろを歩きだした。その指で到の服の裾を縋るように掴んでいる。


「まあ、よろしく頼むよ」


「……ええ、ヘリ子さん」

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